切手で綴る世界遺産(イェーメン)
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ソコトラ島 2008、世界遺産登録 |
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エチオピア付近の地図 (ソコトラ島の場所地図) 紅海↓ |
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テオドロス2世 | ←アラビア半島 ←アデン湾 ←ソコトラ島 ←ソマリア |
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エチオピア 1964/12/12 発行 |
・ソコトラ島 Socotra Island、Republic of Yemen 世界遺産:ユネスコの自然遺産(2008) (UNESCO World Heritage Site, Type:Natural) 正式名称:日:ソコトラ群島 英:Socotra Archipelago 仏:Archipel de Socotra ソコトラ島は面積:3,796ku(淡路島(592ku、143,025人(2010)の約6倍)、人口:42,842人(2004)で、アフリカのソマリア半島の東のアデン湾口に有るイェーメン領内のインド洋上の島です。アラビア半島の南300km、アフリカ大陸の東端ソマリア半島アシル岬の東北東240kmに浮かぶ、イエメン領内のインド洋上の島。広さは東西に約100km、南北に約40km。もっとも大きな街は北岸沿いにあるハディブ(Hadibo)。島のすぐ西側はアラビア半島とアフリカのソマリア半島に挟まれたアデン湾です。古代からアラブ人、インド人、ギリシャ人などの商船の寄港地として繁栄しました。年間降水量は約250mmで、そのほとんどが12月から2月にかけてのモンスーン(季節風)によって海から運ばれた湿った風が山にぶつかって発生する霧によるものです。航路が衰退した現在は農業が中心で、牧畜としてヤギが島内のほぼ全域で放牧されています。2008年に独特の生態系でソコトラ群島(Socotra Islands)が世界遺産に登録されました。 1498年、NHK-TV「ポルトガルからインドまで航海3万キロ」ではヴァスコ・ダ・ガマが寄港となっている 1503年、アルブケルケ将軍の第5次インド遠征艦隊の第3艦隊ディオゴ・ペレイラ船長が インド遠征の途上にソコトラ島を発見 1507年、アルブケルケ将軍とトリスタン・ダ・クーニャ船長がソコトラ島を攻撃、 上陸して首都(Soq)を占領、砦を建設して駐留軍を置く 1508年、アルブケルケ将軍がホルムズからソコトラ島に到着、 駐留軍が飢えていたので救援 1511年、ポルトガルが島を放棄して撤退 1967年、南イェーメンのイギリスからの独立で南イェーメン領となる 1990年、南北イェーメン合併でイェーメン領となりハドラマウト県に属す 2008年、世界遺産に登録される 2013年、ソコトラ県として分離される。 竜血樹から取れる竜血(シナバル)は古代ローマ時代から中世欧州、あるいは中国で珍重され、いまでも現地住民の貴重な現金収入ですが、竜血樹の繁殖域は減少しているうえに、2008年世界遺産に登録されたことにより、竜血が土産物として扱われるようになったことで仲買人から竜血が買い叩かれる事態が発生しています。苛酷な気象条件の下で動植物が独自の系統的進化を遂げ、イエメン本土のあるアラビア半島とは異なった生態系を形成しており、固有種率は極めて高い。そのため「インド洋のガラパゴス」とも呼ばれています。地球温暖化による環境変化や人間による開発などのため、数百種が絶滅を危惧されています。 ・ソコトラ諸島の島々:〜 (Socotra Archipelago)
・竜血樹:ドラセナ・シナバリ Dracaena cinnabari インド洋の西端、紅海の入り口付近に浮かぶソコトラ島の固有種。 この種の樹皮から採れる赤い樹脂=“竜血”は古代から地中海世界にもよく知られ、同島の重要な輸出品でした。ドラセナ・ドラコよりもさらに乾燥した気候に適応。ソコトラ島はほとんど雨が降らないが、季節と場所によっては朝になると霧が発生。その時、密生した葉に結露が生じ、その水を滴下させ、根から吸収して育つ。 種小名”cinnabari”は「竜血の」の意味。 ・竜血樹:ドラセナ・ドラコ Dracaena draco マカロネシア各地の ・カーボベルデ、 ・カナリア諸島、 ・マデイラ諸島、 ・アゾレス諸島、など、及び ・モロッコ の一部に産します。種小名”draco”は「竜」の意味。 参考HP〜 ・ソコトラ島の場所地図 ・ソコトラ諸島の地図 ・ソコトラ島の地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 10/11/11、17/9/18 |