★スペイン コンキスタドール(征服者)
ペドロ・デ・カンディア
1526、 Pizaro Thirteen
ピサロ13人

大航海物語★

PERU
ピサロ13人のカンディア

ペルー 1935/1/18 発行
Gambia
スパニッシュ・ガレオン船
16th Spanish Galeon


ガンビア 2000 発行
南アメリカの地図



ペルー
ペルーの 200海里
排他的経済水域を表す地図
ペルー 1983/3/25 発行

1492年コロンブスの新世界発見以来、スペインからドット大勢の人々が新世界へと船出して、新世界を征服しました。その中の一人にペドロ・デ・カンディアがいました。カンディアはヴェネチアの植民地クレタ島にあったカンディア王国で生れたギリシャ人で、カスティーリャ王国レオン州の伯爵令嬢と結婚し、ペドロ・ド・ロス・リオスと共に新世界に渡航して、スペインの探検航海家で征服者”コンキスタドール”になりました。カンディアはフランシコ・ピサロのペルー遠征で、ピサロ13人の一人になって歴史に名を残しました。

ペドロ・デ・カンディア・グランデ・デ・カスティーリャ(脱帽免除特権)
  Pedro de Candia, Grandee de Castilla 1485-1542/9/16
  クレタ島生、チュパス57才没
ペドロ・デ・カンディアはギリシャ人でヴェネチア植民地クレタ島(Isla de Crete)のカンディア王国(Kingdom of Candia 1205-1669)で生れ、カスティーリャ王国カスティーリャ・イ・レオン州サモーラ県(Provincia de Zamora)の伯爵令嬢とヴィリャルパンド村(Villalpando)で結婚しました。1526年にペドロ・ド・ロス・リオスと共に新世界に渡航しました。同年フランシコ・ピサロ第2次ビルー探検航海に参加して、2隻でサン・ファン川から探検航海しながら南下を続け、グアヤキル近郷のタカメス(Tacamez, north of Guayaquil)に上陸。ペルー最北西部ツンベス州トゥンペス(Tumbes)からペルー中部バルバコア(Barbacoa)に到達。ピサロ達が下船後、コロンビアのガリョ島(Isla de Gallo)
測量するカンディア?

ギニア 1966/1/8 発行
からアタカメス(Atacames, Ecuador)のサン・マテオ湾(bahia de san mateo)まで進み地図を作成しました。船でペルーの海岸線を探検後、ガラパゴス諸島の最も東方にあるサン・クリストバル島(Isla de San Cristobal、チャタム島:Chatham Island)に到達したという説も有。その頃には食料の欠乏や気候のせいで隊員に不穏な動きが見られるようになったので、一端ゴルゴナ島(Isla de Gorgona)に戻りました。ピサロに忠誠を誓ったピサロ13人の一人(Great 13th)となってピサロと共にゴルゴナ島に残り、アルマグロはゴルゴナ島発見などの報告と人員の補強をするため、1526/7月に再びパナマに向かいました。パナマに着くとパナマ総督はペドロ・ド・ロス・リオスに代わっていて、ペルー征服の禁止を命じていました。ピサロと残った13人は7ヵ月の間ゴルゴナ島に待機して、支援のないまま1527/2月末に、さらに南を目指して100レグア(約557km)進みペルー海岸トゥンベスに到達・上陸して、カンディアは探検隊のアロンソ・ド・モリーナと共に通訳の現地人フェリピージョ(Felipillo)を連れて上陸調査しました。ピサロはさらに南緯9度のチャンチャン川の南まで南下航海後、大きな豊かな国(インカ帝国)があることを確信してパナマに戻り、カンディアはピサロと共にパナマ総督の反対でスペイン国王の勅許を得るため、スペイン本国に帰国しました。その後に新世界に戻って、ピサロ、アルマグロゴンサロと共にインカ征服に参加しました。

1526年、エクアドルとペルーの海岸線を探検航海、トゥンペスに上陸し地図を作成
      ピサロとスペイン本国へ帰国
1527年、パナマの海岸線を探検航海
1528年、コロンビアとエクアドルの海岸線を探検航海
1530年、ペルーの海岸線を探検航海
1534年、国王から第2代クスコ総督(2nd Alcalde of Cuzco Peru 在任1534-1535)に任命され、
      ペルー王国の貴族ドン・ペドロ・デ・カンディア(Don Pedro de Candia)となる
1538年、ラスサリナスの戦い後に、アンデス山脈を越えてアマゾン河源流域にあるという伝説の
      黄金郷王国アンバヤ(Ambaya)の征服に失敗。エルナンド・ピサロに捕えられる。
      ギリシャ人16人と共にアルマグロ2世軍に参加してチュパスの戦い後、斬殺されました。

▼その他のピサロ13人
 The Famous Thirteen (Los trece de la fama、英:the thirteen of the fame)
・ニコラス・ド・リヴィエラ
  Nicolas de Rivera "el Viejo"、Olvera, Cadiz province, Andalusia, Spain
  アンダルシア州カディス県オリヴェラ生
  最初のリマ市長(1535、1544、1546、1549、1554)

・クリストバル・ド・ペラルタ
  Cristobal de Peralta、hidalgo of Baeza, Jaen province, Andalusia
  アンダルシア州ハエン県バエサのヒダルゴ生

・アントン・ド・セリョン
  Anton de Carrion、Carrion de los Condes, Palencia province, Castilla y Leon
  カスティーリャ・レオン州パレンシア県カリオン・デ・ロス・リオス生

・ドミニゴ・ド・ソラルス
  Domingo de Soraluce、Soraluze-Placencia de las Armas, Gipuzkoa province, Basque
  バスク王国ギブスコア県ソラレス・パレンシア・デ・ラス・アルマス生

・フランシスコ・ド・シュエラー
  Francisco de Cuellar、Torrejon de Velasco, Madrid province, Comunidad de Madrid
  マドリード州マドリード県トレハン・デ・ヴェラスコ生

・フアン・デ・ラ・トレ・イ・ディアズ・チャコン
  Juan de la Torre y Diaz Chacon、Villagarcia de la Torre, Badajoz province, Extremadura
  エクストラマドーラ州バダホス県ヴィラガルシア・デ・ラ・トーレ生

・ペトロ・ド・ハルコン
  Pedro de Halcon, Seville、Seville province, Andalusia
  スペイン南部アンダルシア州セビリア県セビリア生

・ガルシア・ド・ハレン
  Garcia de Jaren、Jaen province, Andalusia
  スペイン南部アンダルシア州東部ハエン県生

・アロンゾ・ド・ブリセノ
  Alonso de Briceno, born in Benavente, Zamora province, Castilla y Leon
  カスティーリャ・イ・レオン州サモーラ県ブエナヴェントーラ生

・アロンゾ・ド・モリーナ
  Alonso de Molina、Ubeda, Jaen province, Andalusia
  スペイン南部アンダルシア州東部ハエン県ウベダ生

・ゴンサロ・ド・マルチン・ド・トルヒーリョ
  Gonzalo Martin de Trujillo、Trujillo, Caceres province, Extremadura
  エストレマドゥーラ州カセレス県トルヒージョ生

・マルチン・ド・パス
  Martin de Paz

別格〜
バルトロメ・ルイス (水先案内人、船で探検航海して残留せず)
  Bartolome Ruiz 1482-1532 (Pilot)、Moguer, Huelva province, Andalusia
  スペイン南部アンダルシア州西部ウエルバ県モゲル生

こちらで、
インカ征服の戦い
ペルー内戦・反乱での主な戦い
新世界征服者(コンキスタドール)
スペインの大航海年表を、お楽しみください。


▼参考HP:〜
スペインの州の場所地図 (9の州の地図)
サンルーカルデパラメダ港の場所地図

ピサロの第2回旅程の地図(1526-27)
バルトロメ・ルイスの航海地図 (1526、1527-28、Rio San Fan有)

パナマの地図
コロンビアの地域別地図
エクアドルの地域別地図
ペルーの詳細地図 (Quito、Tumbes、Cajamarca、Lima、Cuzco有)
アマゾン河水系の地図 (日本語、ペルーの地図、アマゾン河はアンデス山脈から東流)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     12/11/11
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