Unaited States

国連 1981 発行
切手で綴る アメリカ合衆国(United States of America)
テキサス独立戦争
1835/10/2〜1836/4/21
Texas War of Independence

大航海物語
アメリカ編

USA
テキサス州旗

USA  1976/2/23  発行

テキサス州成立

Texas Statehood
1845 テキサス州150年 1995
USA  1995/6/16  発行
テキサス州鳥
マネシツグミ
Mockingbird


テキサス州花
青花のルビナス
Bluebonnet

USA  1982/4/14 発行

テキサス州成立

Texas Statehood
1845 テキサス州100年 1945
USA  1945/12/29  発行

テキサス独立戦争 (1835/10/2〜1836/4/21)
 Texas War of Independence

 別名:テキサス革命:Texas Revolution
テキサス独立戦争はメキシコと、メキシコの一州だったコアウイラ・イ・テハス(Coahuila y Tejas)州の一部、現在のテキサスとの間で行われた戦争で、1821年にメキシコがスペインから独立すると、テキサスはメキシコ領コアウイラ・イ・テハス州の一部となりました。メキシコ政府はこの地方の開発を進めるため、アメリカ合衆国人の移民を認め、また1803年のルイジアナ買収 メキシコ国旗

Un  1985 発行
によって西部への開拓を開始しやすくなった多くのアメリカ人が、メキシコ領北部に流入しました。アメリカ合衆国人人口が増加したテハス各地でのアメリカ合衆国人入植者たちの発展が進むにつれてアメリカ合衆国人入植者とメキシコ政府との摩擦が起り、そのため、1830年にメキシコ政府はアメリカ合衆国人入植者がアメリカからテキサスへ来るのを禁止しました。

メキシコ大統領アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ(Antonio Lopez de Santa Anna, 1794-1876)による中央集権体制は、メキシコ各地での反発を招き、各地で独立の機運が発生しました。奴隷制を認めないなどの、メキシコの政策に不満を感じたアメリカ合衆国人入植者たちはテキサス革命を決意し、1835年にメキシコからの分離を目指して反乱を起こし、1836年にテキサス共和国として一方的に独立を宣言しました。

1836年メキシコ軍の進軍でアメリカ合衆国人入植者がたてこもっていたサンアントニオの「アラモ伝道所の砦」が陥落し、守備隊は全滅(アラモの戦い)。テキサス独立軍は"アラモを忘れるな"(Remember the Alamo)を合言葉に、メキシコ軍と対峙、メキシコのカウディージョのサンタ・アナ将軍のメキシコ軍を「サンジャシントの戦い」でヒューストン将軍が率いるテキサス共和国軍が撃破してサンタ・アナを捕虜にしました。司令官のサンタ・アナが捕らえられたため、メキシコは止むを得ずテキサス共和国の成立を認めました。

テキサスの独立後、アングロ・サクソンが主導権を握ったテキサス共和国ではメキシコ政府が廃止した黒人奴隷制が復活。1845年にテキサスはアメリカ合衆国の28番目の州として併合されたため、翌1846年テキサスを併合されたメキシコがアメリカに宣戦布告して、米墨(べいぼく)戦争(Mexican-American War、1846-1848)が勃発。米墨戦争はアメリカ合衆国優位に進み、1848年アメリカ合衆国はメキシコに勝利。この戦争によってメキシコは領土の半分を失い、アメリカ合衆国は現カリフォルニア州、現アリゾナ州などの タイコンデロガの戦い

USA  1995/6/16 発行
南西部をメキシコから取得。1861年の南北戦争ではアメリカ南部連合に属し、戦後1870年に合衆国への復帰が認められました。

参考:〜
・サンジャシントの戦い (1836/4/21)
 Battle of San Jacinto

 別名:サン・ハシントの戦い
サンジャシントの戦いは、テキサス独立戦争中に、テキサス人反乱軍がメキシコ軍をテキサス州サンジャシント川付近で破った戦いで、テキサス勢は、「アラモの戦い」や「ゴリアドの虐殺」で兵員が減少していた。最高司令官に任命されていたサム・ヒューストン将軍は、アラモ陥落の知らせを受け取るとゴンザレスの街を焼き払い東下を開始した。これに対しメキシコ軍は、大統領サンタ・アナの号令のもと部隊を分散させテキサス軍の追撃を開始。

4/20にテキサス軍の斥候ディーフ・スミスがメキシコ軍の伝令を捕まえ、サンタ・アナ軍の居場所を確定。この情報をもとに、ヒューストン将軍は4/21に800人の兵でシエスタ中のメキシコ軍1500人を奇襲。戦闘自体はわずか18分で終り、テキサス軍の犠牲は18人だったが敗走したメキシコ軍は650人が戦死。

4/22日、一兵卒に化けていたサンタ・アナ大統領がとらわれ、彼は自らの命と引き換えにテキサス暫定政府にメキシコ支配権を譲渡し、軍隊をリオ・グランデ川以南へ引き上げることを承諾。テキサス共和国は正式にメキシコから独立した。

・ゴリアドの虐殺
 Goliad massacre

ゴリアド(Goliad, Texas)の虐殺はテキサス革命の一部でメキシコのコアウイラ・イ・テハス州で1836年に発生した一連の戦闘の結果で発生。メキシコ軍の部隊はいくつかの衝突でテキサス軍を打ち負かし、最終的には多くの戦争捕虜を虐殺。当時始まったばかりのテキサス共和国には恐怖とともに、激しい憤りとメキシコへの敵意
アラモ伝道所

USA  1954 発行
が広まった。
※アラモ伝道所(Alamo Mission, San Antonio:アラモの砦、Fort Alamo)。

・カウディージョ
 Caudillo
(スペイン語)
スペインやイスパノ・アメリカにおいて存在した軍事的な階層で、一般的には統領などと訳される。イスパノ・アメリカではスペインの植民地政府が消えると、各地で一種の権力の空白が生じた。この空白を埋めたのがカウディーリョと、カウディーリョに率いられたガウチョやジャネーロなどであり、彼らは土地から上がる利益で私兵を率い、権威的、独裁的に暴力を背景にした政治を行った。
カウディージョの例:〜
・メキシコのアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
 (Antonio Lopez de Santa Anna, 1794-1876)
・アルゼンチンのフアン・マヌエル・デ・ロサス
 (Juan Manuel de Rosas,1793-1877)
ドミニカ(共)のラファエル・レオニダス・トルヒーヨ・モリナ
 (Rafael Leonidas Trujillo Molina、1891-1961)

キューバのフィデル・アレハンドロ・カストロ・ルス
 (Fidel Castro, Dr. Fidel Alejandro Castro Ruz、1926-)

・スペインのフランシスコ・フランコ・イ・バアモンデ
 (Francisco Franco y Bahamonde、1892-1975)。

・参考地図HP:〜
 テキサス共和国の領土
 現在のテキサス州

こちらで
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・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   09/8/8、令和 R.3/12/12(2021)

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