Portugal 国連 1989 発行 |
切手で綴る 冒険大航海(Adventure Voyages)ポルトガル発見者の群像(3-4)
ジョアン・デ・リスボア船長 1525 アズマールの戦いに航海従軍 アズマールの戦い・フェズ王国 |
大航海物語 ポルトガル編★ |
PORTUGAL ポルトガルの航海者リスボア船長 ポルトガル 1990 発行 |
REPUBLICA de GUINE | |||
モロッコ→ |
アフリカの地図 セネガル川会議記念 ギニア 1970/2/3 発行 |
SULTANATE of OMAN インド洋の地図 オマーン 1981/11/23 発行 |
PORTUGAL 16世紀ポルトガル・カラベル船 ポルトガル 1943 発行 |
ジョアン・デ・リスボア船長 Joao de Lisboa(生年没年不詳、15〜16世紀頃) リスボア船長はポルトガルで帆船に乗組んでいました。そして、航海の経験をつんでパイロット(水先案内人)となり、インドへ向かうポルトガルの遠征船団に参加しました。1497年にポルトガルのテージョ河々口のリスボンを出帆したバスコ・ダ・ガマ提督のインド遠征艦隊のパイロットの一人だったという説もあります。 1506年にリスボア船長は、トリスタン・ダ・クーニャ船長がインド対岸の東アフリカ海岸への遠征作戦を指揮した15隻の船隊に水先案内人として参加して出帆しました。その遠征航海は急な国王の命令でホルムズ(Ormuz、Strait of Hormuz)攻撃の隠密航海となり、その途中、嵐で南アフリカ西方へと流され、南大西洋上に有るトリスタン・ダ・クーニャ諸島を発見した航海となりました。 1415年にセウタ(セウタ攻略)がポルトガルに征服されると、1513/8/28〜29にポルトガルとフェズ王国(ワッタース朝モロッコ:Wattasid dynasty、1472〜1554)との「アズマールの戦い」(Battle of Azamor、1513/8/23-39)が起こり、ポルトガルの戦勝で大西洋岸の港がことごとくポルトガルに占領されました。リスボアはそのアズマール攻撃戦にパイロット(水先案内人)として従軍しました。 1518年にディオゴ・ロペス・デ・セケイラ(Diogo Lopes de Sequeira、第4代インド副王:1518-1522)のパイロットとして東アフリカ海岸からインドへ航海。1525年にフィリップ・デ・カストロ(Filipe de Castro)のパイロットとして東アフリカ海岸を航海、などでポルトガルからインドへのパイロットとして、16世紀に活躍しました。 参考:〜 ・アズマールの戦い (Battle of Azamor, 1513/8/28-29) アズマールの戦いはポルトガルとムーア人(ベルベル人)の王国で、マリーン朝モロッコ(1195〜1470 首都:フェズ)の次のフェズを首都としたワッタース朝モロッコ(Wattasid dynasty、1472〜1554)が戦った戦い。この戦いにはフェルディナンド・マゼラン船長も従軍していて膝に重傷を負いました。なお、ワッタース朝モロッコは1472年に建国するも、サアド朝が1509年にモロッコ南部に成立してモロッコの南部を支配し、ワッタース朝はモロッコの北部のみを支配することになり、1554年にサアド朝がモロッコ全土を支配して滅亡。
王母は到着後に亡くなる 1502年、ポルトガルがアル・ジャディーダ(El Jadida)を占領 入植したポルトガル人が建造した城塞に囲まれた旧市街が 2004年にユネスコの世界遺産に登録 1505年、ポルトガルがアガディール(Agadir)を占領 1506年、ポルトガルがグーリミーヌ(Souira Guedima)を占領 1522年、フェズで地震が起こり多大な被害を受ける 1511年、サアド朝がラバト(Rabat、現:モロッコの首都)を占領 1524年、サアド朝がマラケシュ(marrakish、北アフリカ最高峰トゥブカル山 4165m有)を占領 1541年、ワッタース朝がアガディール(Agadir)をポルトガルから奪還、再占領 1545年、サアド朝がムハンマド・アッ=シャイフがフェズを急襲、ワッタース家はオスマン帝国の スレイマン1世に救援とし和睦の仲介をもとめるが不調 1549年、サアド朝勢力がフェズに入城、最後の国王ワッタース王を捕らえる 1550年、サアド朝が首都フェズを占領ワッタース朝滅亡 1554年、逃亡した王弟アブー・ハサンがスペインの王フェリペ2世とオスマン帝国の後ろ盾のあるアルジェー海賊の支援でフェズを占領するも、オスマン帝国の介入を嫌った占領地のモロッコ人が謀反したため、同年中にサアド朝にフェズを奪還されワッタース朝が消滅。 参考HP:〜 ・フェズ王国の地図(古地図) ・フェズ王国の地図 ・フェズ王国の場所地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 08/8/5 |