Spain 国連 1988 発行 |
切手で綴る スペイン
セウタ Ceuta |
大航海物語 参考資料 地図編★ |
GIBRALTAR セウタの場所地図 |
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タリファ、アルへシラス、サン・ロケ | ||
アルへシラス→ タリファ→ ジブラルタル海峡→ タンジール→ |
タンジール、セウタ . |
←ジブラルタル半島 ←ジブラルタル海峡 ←セウタ |
ジブラルタル 1986/325 発行 |
REPUBLICA PORTUGUESA カモンイスの”セウタの戦い” ポルトガル 大正13年 1924/11/11 発行 |
MARRUECOS PROTECTORADO ESPANOL ジブラルタル海峡 アフリカからの眺望 スペイン領モロッコ 1949 発行 |
町はフェニキア人によって建設され、フェニキア、ローマ、バンダル、イスラムと支配者が変わり、1415年ポルトガル軍が占領。1580年のスペイン・ポルトガル連合を経て、1640年の連合崩壊後スペインの支配となり、ヨーロッパ側のジブラルタル、モロッコのタンジールに対抗して自由都市、自由港として発展して来ました。
・プラサス・デ・ソベラニア Plazas de soberania プラサス・デ・ソベラニアは北アフリカの地中海南岸に有るスペイン領の飛び地の総称で、 ・セウタ、自治都市 ・メリリャ、自治都市、 ・チャファリナス諸島、スペイン直轄地 ・ペニョン・デ・アルホセイマ、スペイン直轄地 ・ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラ、スペイン直轄地 の大小5つに分けられ、スペインの主権が及ぶ地域で、スペイン保護領領モロッコとは一線を画されていました。1956年にスペインがモロッコ王国の独立を承認し、スペイン保護領モロッコを廃止するも、保護領成立以前からスペインが支配するプラサス・デ・ソベラニアは保護領に含まれていなかったので、その地位に変化はありません(現在もスペイン領)。
・ペニョン・デ・ヴェレス・デ・ラ・ゴメラ Penon de Velez de la Gomera モロッコの北岸にあるスペインの飛び地といえばセウタとメリリャ(Melilla)だが、メリリャにはほとんどの地図に載っていないような超ミニ飛び地がいくつか存在する。ペニョン・デ・ヴェレス・デ・ラ・ゴメラ(Penon de Velez de la Gomera)とペニョン・デ・アルホセイマ(Penon de Alhucaimas)、そしてチャファリナス諸島だ。いずれも一般人が住める場所ではなく、スペインの軍隊だけが駐屯している。ペニョン・デ・ヴェレス・デ・ラ・ゴメラはセウタの南東117kmの地点にある島というより岩礁で、面積4ヘクタール。60人の守備兵が駐屯し、モロッコ本土とは80mの砂洲で繋がっている。 ・ペニョン・デ・アルホセイマ Penon de Alhucaimas ペニョン・デ・アルホセイマはセウタの南東155km、メリリャからは西へ約100kmの地点にあり、モロッコのサンジュリオ(Sanjurjo)村の沖合300mに浮かぶ3つの岩礁で、面積は合わせてたったの1ヘクタール。60人のスペイン兵が駐屯している岩礁は海面から高さ27mの絶壁がそそり立ち、70m×50mほどの広さの場所に兵舎や監視塔として使われている時計台、そして16世紀に建てられた教会がびっしり並ぶ、文字通り「海に浮かぶ要塞」というか軍艦島。 ・チャファリナス諸島 Islas Chafarinas チャファリナス諸島はメリリャの東48kmにあり、ラスールマ(Ra'sul-Ma')港の沖合3.5 kmにある3つの島で、面積は0・61ku。1859年のアフリカ戦争後の1860年にテトゥアンで締結されたワド・ラス条約でスペイン領となりました。かつては修道士が住んだり、政治犯の流刑地に使われたりしましたが、現在では30人のスペイン兵が駐屯しているだけの、殆ど無人島で、地中海モンクアザラシ(20世紀に絶滅)が棲息していた自然保護区になっています。アフリカ・モロッコ沿岸(アグア岬の北)から水深10-15mの浅い海で約4km離れており、 ・コングレソ島(Isla del Congreso 25.6ha)、最高地点137m ・イサベル2世島(Isla Isabel II 15.3ha)、標高35m ・レイ島(Isla del Rey 11.6ha)、標高31m の3島で構成されています。石油が出るわけでもないし、こんな小さな岩礁を占領し続けて駐軍費用がかかるだけ損だと思いますが、どれか1つでもモロッコへ返還に応じれば、セウタとメリリャも返還せざるを得なくなりかねないわけで、スペインにとっては価値がどれだけあろうとなかろうと、放棄するわけにはいかないという状態。 1912年にスペインとフランスがモロッコを分割して植民地にした際、カリームに率いられたベルベル人が反乱を起こし、「リフ部族連合共和国」の建国を宣言しながら14年にもわたって戦い続けた(リフ戦争(Rif War)1893-1925の間3回有)。1921年にはスペイン軍が大敗し、一時はメリリャの放棄寸前にまで追い込まれましたが、1925年にフランスとスペイン連合軍が上陸して一気に形勢を逆転させた場所がペニョン・デ・アルホセイマ。
テトゥアンはユダヤ人の大きなコミュニティがあった町でもあり、彼らの多くはイベリア半島のレコンキスタやスペイン異端審問(Spanish Inquisition)から逃れてきたユダヤ人(セファルディム:Sephardim)で、ハキティアと呼ばれ、彼らの一部は後にアルジェリアのオランや南アメリカに移住し、20世紀後半にはイスラエルやフランスやカナダへも移民しました。現在もテトゥアンに残るユダヤ人はごくわずかで、メラー(mellah)と呼ばれるユダヤ人地区が残っています。 スペイン領モロッコは ・イェバラ地区(Yebala territory)〜テトゥアン(Tetuan) ・ローカス地区(Locus territory)〜 アシラー(Asilah)、タンジール南50kmに有る港町 ララーシュ(Larache、アライシュ:Araish)、タンジール南86kmに有る港町 ・ザウエン地区(Xauen territory)〜 プエルト・カパズ(Puerto Capaz) バブ・タザ(Bab Taza) ・リーフ地区(Rif territory)〜 トレス・デ・アルカラ(Torres de Alcala) アルホセイマのアルセマス村(Villa Alhucemas, Al Hoceima) ケタマ(Ketama)、アクスディール(Axdir) ・カート地区(Kert territory)〜 ナドール(Nador)、メリリャから南13kmに有る港町で、 バール・ーアムジャン・ラグンーン(Bhar Amzzyan lagoon)に面している ゼルアン(Zeluan) の5つに分けられていました。 参考HP:〜 ・セウタ・メリリャの場所地図(セウタ、ゴメラ、アル・ホセイマ、メリリャ、チャフリナス諸島等有) ・セウタ・メリリャの場所地図(モロッコ、西サハラの場所地図) ・メリリャの地図 ・スペイン領モロッコの地図(北部保護領(リーフ地域) 1913-1956、セウタ・メリリャ有) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 10/7/21、令和 R.2/11/15(2020) |