切手で綴る世界遺産(ロシア)
バイカル湖
Lake Baikal
1996 世界遺産登録


Russia
バイカル湖とバイカルアザラシなど

ロシア 2001 発行
バイカル湖
CCCP CCCP
バイカル湖の地図と漁船

ソ連 1966/6/25 発行
    バイカル湖の地図          ヒグマ(Brown bear)
クロテン(Sable)   バイカル湖の地図と動物分布図

クロテンの保護・繁殖を目的で設立
1916 バルグジン自然保護区50周年記念 1966

ソ連 1966/6/25 発行

バイカル湖
  Lake Baikal

  所在地:@ABに挟まれた三日月型の湖
    @ロシアのシベリア連邦管区ブリヤート共和国
      (Republic of Buryatia, Siberian Federal District, Russia)
    Aシベリア連邦管区イルクーツク州
      (Irkutsk Oblast, Siberian Federal District, Russia)
    Bザバイカリエ地方(2008年にチタ州とアガ・ブリヤート自治管区)が合併
      (Chita Oblast + Agin-Buryat Autonomous Okrug)
      (Zabaykalsky Krai, Federal subjects of Russia)
  世界遺産:ユネスコの自然遺産(1996)
   (UNESCO World Heritage Site, Type:Natural)
  正式名称:日:バイカル湖
       英:Lake Baikal
       仏:Lac Baikal
  最大水深 1,642m
バイカル湖は、ロシア南東部のシベリア連邦管区のブリヤート共和国(Buryatia)とイルクーツク州(Irkutsk)・ザバイカリエ地方(旧チタ州:Chita)に挟まれた三日月型の湖。「シベリアの真珠」とも、ガラパゴス諸島と並ぶ「生物進化の博物館」ともいわれています。
南北680km×東西幅約40〜50km(最大幅80km)に及ぶ湖水面の面積は31,494ku(琵琶湖の約46倍)。カスピ海(塩湖)や20世紀後半から急速に面積を縮小しているアラル海を除くとアジア最大。淡水湖で比較した場合、面積は世界最大の米国スペリオル湖には及ばないものの、最大水深が1,634〜1,741mと世界で最も深く、湖面は標高456mに有。なお、1956年初頭にアンガラ川に建設されたイルクーツク・ダムの影響で水位は1.4m上昇しました。

湖は北西にバイカル山脈、北東にバルグジン山脈、その
カスピ海アザラシ

ロシア 2003 発行
他の山々に囲まれて、湖底にはオロホン島から続くアカデミシャンリッジ(湖嶺)と湖上に顔を出すウシュカニ諸島が有。これとセレンガ川(Selenga River、992km)デルタで大きく3つの地質構造に区分されます。それぞれ「北湖盆」、「中央湖盆」、「南湖盆」で、このうち中央湖盆が最も深く、北・南湖盆も1km前後の水深が有。バイカル湖および周辺の自然保護のためには、湖の西側に沿バイカル国立公園(Pribaikalsky National Park)、バイカロ・レンスキー自然保護区(Baikal-Lena Nature Reserve、レナ川源流)、湖の東側にザバイカリスキー国立公園(Zabaykalsky National Park)、バルグジン自然保護区(Barguzin Nature Reserve)、湖の南側にバイカル自然保護区(Baikal Nature Reserve)が設けられています。

中央シベリアの南西部に満々と水をたたえるバイカル湖は、琵琶湖の約46倍にもおよぶ三日月型の湖で、40mに達する透明度、水深、貯水量ともに世界一。最高気温が20℃前後まで上がる夏、原始林に囲まれた湖面は青く透き通り、最低気温が−20℃前後まで下がる冬の5ヵ月間は凍結し、特に3月には表面を覆う氷がひび割れて生まれたクラックが空に向かって立ち上がり、凍結した湖面を歩いて渡ることができ、見渡すかぎりエメラルドのような氷の世界が広がります。タタール語で「豊かな湖」を意味するバイカル湖は、約3,000万年前に海溝が孤立し形成された世界最古の湖です。その際、海から取り残され淡水化に適応していった多種多様な水生生物を育み、約1,500種のうち3分の2が固有種とされ、「ロシアのガラパゴス」とも呼ばれています。

・豊富な固有種
固有種の宝庫といわれ透明度世界一のバイカル湖は、寒冷で栄養素に乏しいにもかかわらず、世界屈指の生物多様性を持つ湖です。オームリ(Omul、バイカル・オームリ)やチョウザメ(Sturgeon)、サケ科などの魚類、バイカルアザラシなど、約355属1334種が生息。うち1017種は固有種であり、全体の70%、生物量では80-90%が相当。鳥類も、2種の固有種が存在する。本格的な調査は1980年代後期に始まったばかりであり、未確認の固有種も少なくないと予想されます。

・生息する種〜約355属1334種、1017種は固有種(鳥類以外)
チョウザメ

ソ連 1959 発行
・淡水ヨコエビ類〜259種、98%が固有種
・カジカなど〜29種、27種が固有種
・鳥類、2種が固有種

バイカルアザラシ(Baikal seal、淡水のみに生息する種としてはアザラシ科では唯一。サイマー湖、ラドガ湖のワモンアザラシは海水と淡水の両方に生息)は豊かな生物相の頂点に君臨し、生息数7〜9万頭と推定され、濃い灰褐色をした体長100cmほどの小型のアザラシで、バイカル湖の深い水中で獲物を見つけるための大きな目と優れた潜水能力を持ち、連続数十分も潜れるといわれています。この種も海生から淡水に順応したもので、その起源には2つの説が有。一つは1000〜1200万年前に南西ヨーロッパから続くパラテチス海盆を辿って棲み付いたものがその後に陸 アザラシ(クラカケ

ソ連 1971 発行
封されて適応したとする設。もう一つは250〜300万年前に地球が温暖化した影響から北極海が北緯61度程度まで海進したと考えられ、その時にアザラシの亜種が分布したという説です。微生物(原生生物)中にも固有種がおり、ペリディウム、ギムノディニウム、アステリオネラ、タベラリアなどは水質を浄化させます。バクテリア・プランクトンはバイカル湖の透明性に寄与している可能性が指摘されるも、そのメカニズム解明はできていません。

・水質汚染
「シベリアの真珠」と称えられるバイカル湖ですが、近年は周辺のパルプ工場から流れ込む汚染水などで水質が悪化。腫瘍を煩うバイカルアザラシが見つかるなど、絶滅の危機に瀕している固有種もあり、美しい湖と豊かな生命が後世にまで残ることを願ってロシア政府は水質改善や環境保全に取り組み始めています。

バイカル湖には流出河川がアンガラ河(Angara River、1,779km)しか無く、その排水量は湖水の0.26%に過ぎません。そのため水の交換率が低い上に、近隣諸国から流入する336本の川の汚染や低緯度地域から流れ込む大気がもたらす物質なども汚染の原因に挙げられ、一度水質が低下すると回復が難しいのです。近年では周辺にある製紙工場からの工業排水流入や、森林への殺虫剤散布の影響による水質汚染が顕著化しており、特に有機系塩素殺虫剤であるPCBやDDTなどを処分する時、バイカル湖に大量投棄されました。1987年から翌年にかけ、バイカルアザラシの大量死が発生。これは水質低下による免疫力低下を起こしているところに犬由来のジステンパーに近い病気に感染し引き起こされたものと推察されました。

・ロシア反革命軍一行の悲劇
第一次世界大戦(1914/7/28-1918/11/11)中の1917年2月に帝政ロシアで革命(2月革命)が起きて、ロマノフ王朝(House of Romanov、1613-1917)が崩壊しました。新政権を握ったソビエト政府(ロシア臨時政府:1917/3/16-11/8、Soviet Union、1922-1991)の革命軍(赤軍)と、ロシア国内で帝政ロシアの復活を目指す白軍との激しい戦いが始まりました(ロシア内戦、1917-1922)。ドイツをも味方(ブレスト=リトフスク条、Treaty of Brest-Litovsk, 1918/3/3)につけた赤軍が有利となり、1919年11月に白軍の拠点、東ウラルのオムスク(Omsk, Omsk Oblast, Siberian Federal District)が陥落。再起をはかるために、白軍は赤軍の追手のかからぬシベリアの奥地へと移動して行きました(大シベリア冬季行軍:Great Siberian Ice March、1919/11/13-?)。

白軍50万人と、帝政時代の貴族、僧侶などの女性や子どもを含む亡命者75万人が加わり、軍民合わせて総勢125万人
バイカル湖
が、東へ東へと大移動。8,000キロもある広大なシベリア横断が始まりました。季節は冬。気温は毎日氷点下20度を下回り、激しい吹雪などで凍死者が続出。20万の人間が一晩で凍死した日もありました。それでも、「死の行進」は休むことなく続けられ、3ヵ月後には125万人がたった25万人となってしまいました。燃料、食料も底をつき、運搬用の馬も次々と倒れました。

残った25万の人々は、それでもなんとか2,000キロ離れたイルクーツク(Irkutsk)までたどり着きました。しかし、人々の前には凍った巨大なバイカル湖がたちふさがっていました。湖の向こう側にいけば、赤軍の手から完全に逃れられると、最後の力を振り絞って人々は厚い氷に覆われた、巨大なバイカル湖を横断しはじめました。ところが当時は稀に見る激しい寒波が彼らを襲いました。猛吹雪で気温は氷点下70度まで下がり、一瞬にして意識を失うほどの強烈な寒さで、人々は歩きながら次々と凍っていき、そして亡くなっていきました。もはや湖面上に生きている人は無くなり、バイカル湖の湖面で白軍一行は全滅しました。春が来て雪解けの季節となり、バイカル湖の湖面の氷が溶け出し、25万人の凍死者の亡き骸は、バイカル湖の水底に沈みました。南無〜う!

参考HP:〜
バイカル湖の場所地図(世界遺産)

こちらで世界遺産の
レナ川の柱群 (ロシア)
クレムリン (ロシア)
聖ワシリイ大聖堂 (ロシア)
ヌビア遺跡 (エジプト)
ペトラ遺跡 (ヨルダン)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
法隆寺 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       2018/11/18

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