切手で綴る世界遺産(ロシア)
モスクワの聖ワシリー大聖堂
1555
1990
創建
世界遺産登録


Liberia
モスクワの聖ワシリイ大聖堂

2000年紀のミレニアム切手
リベリア 1999/12/31 発行

Russia
聖ワシリイ大聖堂

ロシア 1970/11/29 発行

ロシア 1994/3/24 発行

モスクワの聖ワシリー大聖堂
  Moscow Saint Basil's Cathedral, 1555

  (ポクロフスキー大聖堂:Pokrovsky Cathedral、生神女庇護大聖堂
所在地:ロシア連邦モスクワ州モスクワ連邦市クレムリン前の「赤の広場」に有
     (Red Square, Federal cities of Moscow, Moscow Oblast, Russia)
世界遺産:ユネスコの文化遺産(1990)
 (UNESCO World Heritage Site, Type:Cultural)
正式名称:日:モスクワのクレムリンと赤の広場
       英:Kremlin and Red Square, Moscow
       仏:Le Kremlin et la place Rouge, Moscou
聖ワシリイ大聖堂がある赤の広場クレムリンの城壁の外側で、レーニン廟もあって、その向かいには国営百貨店グム、右手には玉ねぎ形の屋根を戴く、此の
聖ワシリー大聖堂が聳えています。

聖ワシリイ大聖堂は、1551年から1560年にかけて、イワン4世(Ivan IV of Russia、雷帝:Ivan the Terrible, 1530-在位1547-1584)によって建設されました。1552年にカザン・ハーン(カザンのヤデガー・モクハマド、Yadegar Mokhammad of Kazan、在位1552-捕虜-1553洗礼-1565モスクワ没)を捕虜とし、戦いに勝利した記念で建てられました。カザン・ハン国(Khanate of Kazan、1438-1552)は、15〜16世紀にヴォルガ河(Volga River 3,690km)中流域に一大勢力を誇ったイスラム王朝でした。

当初、聖堂は生神女庇護大聖堂(ポクロフスキー大聖堂、生神女庇護)として、ツァーリ・イワン4世(雷帝)がカザン征服戦(Kazan campaign, 1552)から帰還した年に木造で建てられ、2年後に石造での改築が始まり、5年後の1559年に完成。建築にはイワン・バルマ(Ivan Barma)とも呼ばれるポスニク・ヤーコブレフ(Postnik Yakovlev)が当りました。

俗説では、ワシリー大聖堂は、7つの塔を持ち、その全てが異なるデザインなので、一見統制が取れていないように思われるも、世界でも有数の美しい建造物として有名になりました。その余りの美しさ故に完成後、イワン雷帝がこれより美しい建造物が建てられることを恐れ、ロシア・プスコフ州生まれの設計者ポスニク・ヤーコブレフ(Postnik Yakovlev, Pskov Oblast)の目を潰して失明させたと言われています。聖ワシリイはロシア正教会では佯狂者(ようきょうしゃ)ワシリイとも呼ばれます。佯狂者とは、昼は市井でボロをまとい徘徊し、飢えに苦しむ生活をし、夜は聖堂の軒下で祈る生活をする人のことで、佯狂とは「狂っている」ことを「佯う(よそおう)」ということです。

1588年にフョードル2世(Fyodor II of Russia、1589-1605)が、大聖堂東側にあった佯狂者ワシリイ(Basil Fool for Christ 1460s-1552)の墓の上に聖堂を建設して以後、ワシリー大聖堂の名で呼ばれるようになりました。なお、完成時点では現在のような彩色はされておらず、現在の彩色は17〜19世紀にかけて施されました。

大聖堂は中央の主聖堂を、それぞれがドームを戴く8つの小聖堂が取り囲んでいて、主聖堂・8つの小聖堂のそれぞれに至聖所が有、
合計9つの聖堂が集まって1つの大聖堂を形成しています。

参考HP:〜
クレムリンの全景(宮殿など配置図)
クレムリンの場所地図(モスクワの地図)
クレムリンの場所地図(世界遺産)

こちらで世界遺産の
バイカル湖(ロシア)
クレムリン(モスクワ)
アウシュヴィッツ収容所 (ユダヤ人絶滅収容所、ポーランド)
マルタ騎士団 (イタリア)
アトス山 (ギリシャ)
ヌビア遺跡 (エジプト)
ペトラ遺跡 (ヨルダン)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
法隆寺 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       
2017/12/12

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