★インカ
インカ帝国皇帝
トゥパック・インカ・ユパンキ
1480年頃、Pacific Expedition
太平洋遠征探検航海

大航海物語★
Peru
インカ皇帝トゥパック・インカ・ユパンキ

金の杖”タパク・ヤウリ”を持つ
ペルー 1998/7/17 発行

トゥパック・インカ・ユパンキ (生年不詳〜1493)
  Tupaq Inka Yupanki
、在位:1471〜1493
   英:Tupac Inca Yupanqui、ケチュア語:高貴な計理士の王
   インカ帝国の第10代サパ・インカ(Sapa Inca:皇帝)
トゥパック・インカ・ユパンキはインカ帝国の10代サパ・インカ(皇帝)で、トパ・インカともいい、父は9代インカ皇帝パチャクテク。王妃はママ・オクリョ(Mama Ocllo:肥沃なる母)、子供には11代ワイ
ナ・カパックがいます。トゥパック・インカは父帝により1463年インカ軍隊の最高司令官に任命され、アンデス山脈に沿って北方へ帝国領土を拡張し、現エクアドルにまで達し、クスコの建築技師により再建されたキトーの町に対し特別な愛着を持つようになりました。

その頃、父帝パチャクテクは、これまでのクスコ王国を「四つの邦(スウユ)」(タワンティンスウユ、インカ帝国の正式名称)に再編して、インカ帝国が成立しました。

1471年に父帝が亡くなると皇帝に即位し、1493年に亡くなるまで統治。トゥパック・インカは、帝国にとって残っていた最大の敵であり、現ペルー北部海岸地方を占拠していたプレ・インカ期(Pre Inca)のチムー王国(Kingdom of Chimor 900-1470、首都:チャン・チャン(Chan Chan)を征服しました。
チャンチャン出土品

ペルー  発行

インカの伝説では、トゥパック・インカは太平洋遠征(Pacific Expedition)を直接指揮したと伝えていますが、多くの研究者が事実ではないとしています。1480年頃にトゥパック・インカは太平洋への約10ヵ月間の探検航海を指揮したとも伝えています。ガンボア船長のインカ史(1572)でも言及されていますが、それではトゥンペスから西へと出帆したことになっています。

・太平洋遠征探検航海(Pacific Expedition)
 ・ガラパゴス諸島への探検航海説
 ・西ポリネシア諸島への探検航海説
 ・イースター島の発見と探検航海説

トゥパック・インカは、ガラパゴス諸島ではないかとも言われている「ニナ・チュンピ(Ninachumbi:炎の島)」、「ハフア・チュンピ(Avachumbi:離島)」と呼んだ島を訪れました。チュンピとは「帯」を意味するので、「取り巻く陸」の比喩であるとするとサンゴ礁の存在を示すように思われることから、トゥアモツ諸島マルケサス諸島と同程度に遠い西ポリネシアの島に関連するのではないかとも言われています。なお、学会の主流ではないものの、この時の航海でイースター島も発見されたとし、イースター島の巨石文明(Hanau epe)はインカから伝わったとする説も存在しています。インカ伝承はさらに、黒人(black people)、黄金(gold)、金ピカの椅子(chair of brass)、馬の皮と顎の骨(skin and jaw bone of a horse)を持ち帰り、それらはクスコに保存されていたのを、スペイン人に破壊されたとも伝えています。

こちらで、
・インカ帝国の始祖マンコ・カパック(マンコ1世)
・インカ最初の皇帝パチャクテク
・インカ最後の皇帝アタワルパ
・インカの名目皇帝マンコ2世
を、お楽しみください。

▼参考HP:〜
インカ帝国の版図地図(1463-1532)
インカ帝国の版図地図(詳細地図)
インカ帝国の場所地図(インカ道路網)
チムー王国の場所地図
イースター島の地図(巨石モアイの設置場所有)
ペルーの詳細地図(Quito、Tumbes、Cajamarca、Lima、Cuzco有)
エクアドルの地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     13/3/6

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