★インカ
インカ帝国皇帝
ワスカル
1527
クスコで皇帝に即位


大航海物語★
Peru
皇帝ワスカル

TOPACUSI HUASCAR INCAXIII
金の杖”タパク・ヤウリ”を持つ
ペルー 2004/6/30 発行

皇帝ワスカル (1503〜1532)
  Huascar
、在位:1527〜1532
   英:Huascar、ケチュア語:Waskhar=喜びの太陽
   インカ帝国の第12代サパ・インカ(Sapa Inca:皇帝)
   誕生の地:クスコ(Cusco、Peru)
   終焉の地:クスコ
ワスカルは、父11代インカ皇帝ワイナ・カパックが母の出身地であるキトー(Quito)を愛して帝国第2の首都としたため、晩年にはインカ貴族が首都クスコ派とキトー派に分かれ対立していたところに、父皇帝と兄で皇太子のニナン・クヨチが共に伝染病の天然痘マラリア説有)にて、後継者を指名しないままキトーで相次いで亡くなったためクスコで即位し、インカ帝国(南部)の皇帝12代サパ・インカ:在位1527-1532)になりました。弟のアタワルパはキトーを分割統治しました。それは、9代皇帝パチャクテクがチムー王国の方式を取り入れ分割相続システムを設けたことを踏襲したもので、どんな強力な統治者の遺産も遺児と配偶者とに分割されるも称号は1人の後継者が得たとされ、この方式により クスコの地図とインカ土器
通常は内戦は回避されました。ところが、通常は最有力の皇子が単純に継承する例はあったものの、明確な継承順位が定まっていなかったため、ワスカルとアタワルパの間でインカ内戦の継承戦争(1529-1532)が勃発しました。

ワスカルはワイナ・カパックが亡くなった時にクスコにいたため、アタワルパが遠隔の地、現エクアドルのキトーにいた間に首都で軍隊を組織化することができ、内戦当初は優勢でした。帝国の大半を押さえたワスカルは10万人の大軍と共に北に侵攻し、間もなく最初の戦いチロパンパの戦いでアタワルパを捕らえたため、多くの血を流すことなしに戦争は終結するかに見えました.。

しかし、アタワルパが少女の助けで幽閉状態から脱走して軍隊を組織し、3年間に渡って弟と戦い、最後のキパイパンの戦い(1532)に勝利し、ワスカル軍は崩壊して、ワスカルは捕虜になり、武装解除されてハウハ(Jauja, Peru)に捕らえられました。間もなくワスカルは彼自身の従者によってクスコで暗殺されました。こうして、ついに継承戦争に勝利したアタワルパは皇位請求のためインカ帝国北部からクスコへの進軍の途中、カハマルカの温泉での露営時にスペイン人コンキスタドール(征服者)のフランシスコ・ピサロと出会い捕らえられ、アタワルパの身代金支払いの助命嘆願にもかかわらず、兄の殺害を命令したとして、スペイン人に処刑されました。でも、ワスカルの死についてアタワルパが関与した証拠はないといわれています。

こちらで、
・インカ帝国の始祖マンコ・カパック(マンコ1世)
・インカ最初の皇帝パチャクテク
・インカ10代の皇帝トゥパック・ユパンキ(太平洋探検)
・インカ最後の皇帝アタワルパ
・インカの名目皇帝マンコ2世
を、お楽しみください。

参考HP:〜
インカ帝国の場所地図(インカ道路網)
ペルーの詳細地図(Quito、Tumbes、Cajamarca、Lima、Cuzco有)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     13/3/8
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