★フランス |
ルイ・デュペリー船長 1822〜1825 コッキル号船長で世界一周航海 |
大航海物語★ |
St Helena デュペリー船長 セントヘレナ 1986/9/22 発行 |
コッキル号 | FIJI コッキル号で世界一周航海 太平洋と世界地図 フィジー 1977/4/12 発行 |
15才でフランス海軍に入隊したデュペリー船長はフレイシェン船長のウラニエ号に乗船して世界一周航海をなし、デュルヴィル提督の第3回航海にコッキル号の船長で同行し、ギルバート諸島の地図を作製しました。 |
ルイ・イシドール・デュペリィー (1786〜1865) Louis Isidore Duperrey デュペリーは1800年に15才でフランス海軍に入隊しました。 デュペリー船長の大航海。 ・ウラニエ号航海(1817-1803) ・コッキル号の世界1周航海(1822-25) ・ウラニエ号航海(1817-1803) 1817年にデュペリーはルイ・デュ・フレイシェン提督(Louis Claude de Saulces de Freycinet 1779-1842)の指揮するフランス海軍コルヴェット艦ウラニエ号(corvettes Uranie)に、フランスの作家で探検家の「世界周航」(Voyage Round the World、1817)を書いたヴィクトル・アラゴ(Jacques Etienne Victor Arago 1790-1855)、フランスの素描画家エイドリアン・タウニー(Adrien Taunay the Younger 1803-1828)などと共に乗艦して探検航海に出帆しました。ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ(Rio de Janeiro)に着くと、自然史上観察(観測)、地理学、および民族学でだけでなく、天文学、地磁気、および気象学で、を得るための、および見本のコレクションのためのより大きい計画と同様に、連続した振り子測定を実施しました。 その後の3年間の航海は、オーストラリア(Australia)、マリアナ諸島(Mariana Islands)、サンドウィッチ諸島(Sandwich、ハワイ)、その他の太平洋の島々、南米、その他、そしてフォークランド(Falkland Islands)でウラニエ号が難破して沈没しましたが、あらゆる自然科学の標本をパリに持ち帰り、フレイシェン船長の総監督の下で「ウラニエ号航海記」として出版され、大好評を博しました。 ・コッキル号の世界1周航海(1822-25) デュモン・デュルヴィル提督の世界1周第3回航海にコッキル号の船長で、太平洋の探検調査(1822-25)に同行して、1822年にフランスを出帆しました。1823年にトゥアモツ諸島(Tuamotu Archipelago)北部地域(north-eastern area)の、レアオ環礁(Reao)に到達、デュペリー船長がクレアモント・トンニエール島"Clermont Tonnerre"と呼びました。その後、クル−ゼンシュテルン提督(Admiral Krusenstern)が探検して名付けたギルバート群島(Gilbert Islands)の完全な海図を作成しました。 ・コッキル号の装備:〜 Coquille、1795
参考HP:〜 ギルバート諸島の地図 マリアナ諸島の地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 09/8/28 |