Spain

国連 1988 発行
切手で綴る スペインの大航海 (Adventure Voyage)西回りインド大航海(1-3
ヴィセンテ・ピンソン
1492
ニーニャ号の船長


大航海物語
  スペイン編

ESPANA
ニーニャ号の船長 ヴィセンテ・ピンゾン

スペイン 昭和5年 1930/9/29発行
ピンゾン兄弟

スペイン 1987/10/30 発行

CUBA
ニーニャ号

キューバ 1982/10/12 発行
GURNSEY
コロンブスの第1回航海地図

コロンブスの新大陸発見500年記念
ガーンジイ 1992 発行
ESPANA
オリノコ川の古地図

スペイン 1968/10/12 発行


キューバ島

ジャマイカ島→






コスタ・リカ

カリブ海沿岸の地図

ジャマイカ 1992 発行
←イスパニョーラ島
プエルトリコ島





←ギヤナ
←南米大陸



ヴィセンテ・ピンソンはコロンブスのインドへの航海の準備に協力し自らも参加して、1492年ニーニャ号の船長として出帆し、翌年スペインへ帰港しました。その後も大西洋を横断して航海し、南米東端「サン・ロケ岬」から南米沿岸を探検航海しました。

ヴィセンテ・ヤネズ・ピンソン
 Vicente Yanez Pinzon (1450頃〜1514頃)
ヴィセンテ・ヤネズ・ピンソンはスペインのアンダルシア地方の港町バロスで手広く海運業を営む「ピンソン三兄弟」の末弟でした。

ヴィセンテ・ピンソンはコロンブスの第1回航に際してニーニャ号に船長として乗組んで、1492/8/3に旗艦サンタ・マリア号そしてピンタ号と共に3隻の船隊を組んで、スペイン・バロス港から西へ大西洋を横断してインドへの航海に出帆しました。1492/10/12バハマ諸島中のグアナハニ島(現在のワットリング島)に到達して、コロンブスがサンサルバドル島と命名し、コロンブスと共に多くの島々を発見しましたが、イスパニョ−ラ島で旗艦のサンタ・マリア号が座礁したので、ピンタ号、ニーニャ号の2隻と共に1493/3/15スペインのパロス港に帰港しました。

ヴィセンテ・ピンソンは、1499年から1500年にかけてのアロンソ・ド・オヘーダの遠征航海隊に参加して、インディアス(西インド)へ向け出帆しました。この時ヴィセンテ・ピンソンは南アメリカ大陸の東に突き出しているブラジルリオグランデ・ド・ノルテ州(19)”サン・ロケ岬”に向いました。そこで海岸に沿って北西に転舵、アマゾン河の河口から、さらに”南米ギアナ”から”ベネズエラ”へと探検航海し、オリノコ川河口を探査しました。そしてさらに中央アメリカの”コスタ・リカ”にまで達しました。

ヴィセンテ・ピンソンは1508年にはインディアスへの南西の航路を求めて、カリブ海の西の南米東海岸から中米メキシコのユカタン半島までの沿岸を探検航海しました。
その後の記録は無く、1514年頃に亡くなったとされています。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2010/1/23追記、令和6年 2024/10/20
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