(8)コロンブスのインド探検の記(2) ころんぶすのいんどたんけんのき | C・MENU | もどる | すすむ |
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フアナ(キューバ)島→ |
キューバ島からイスパニョーラ島への 航海地図(こうかいちず) ←サン・サルバドル(ワットリング)島 ←ボーイオ(イスパニョーラ)島 モントセラット1992発行・小型組合せシートより |
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イスパニョーラ島は、カリブ海にある大アンティル諸島にぞくする島で、西がわ3分の1がハイチ共和国、東がわ3分の2がドミニカ共和国となっています。島のめんせきは74,700kuで日本の北海道とほぼおなじです。キューバ島の東がわにあります。 ←ドミニカ共和国 1946/8/4 サント・ドミンゴ市建設450年記念発行 |
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コロンブスは1492/12/5(水)にマルティン・ピンソン船長のピンタ号の行方がわからなくなり、さがしながらキューバ島をはなれました。12/6も、ひきつづきピンタ号をさがしましたが、みつかりませんでした。東へと航海して、イスパニョーラ島を発見しました。 ←ガイアナ 1992 発行 |
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コロンブスは12/7(土)に、イスパニョーラ島へボートで上陸しました。 ←アメリカ (USA) 1992 コロンブスの新大陸発見500年記念発行 セントヴィンセント 1992 発行→ |
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イスパニョーラ島へ上陸して、「スペインの領土(りょうど)である」と宣言(せんげん)しました。 ←ブルガリア 1992 コロンブスの新大陸発見500年記念発行・小型シート |
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コロンブスは12/12(水)にも上陸して大きな村(むら)を見つけて、住民と物々交換(ぶつぶつこうかん)をしました。 ←モントセラット 1992/1/16 発行 |
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その村には3,000人の男(おとこ)がいて、 家は1,000軒(けん)もあることがわかりました。 ←ドミニカ 1992 発行 |
コロンブスが、あたらしく見つけた島々(しまじま)には、 平和(へいわ)な人びとのくらしがありました |
←コロンブスはハンモックで寝ている人を見ました。 そこには鉄(てつ)の道具(どうぐ)をつかっている人はいませんでした。 ←グレナディン・セントヴィンセント発行 |
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火をおこす人 | タバコをすう人 | パンをやく人 | ハンモックでねる人 |
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←タバコを吸う人 ジャマイカ 1992 発行 タバコはコロンブスの新大陸発見のときに、はじめてヨーロッパにもたらされ、そのご世界にひろまりました。 通訳(つうやく)としてのりくんでいた ”ルイス・ド・トーレス”→ |
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・左の切手は、Yじかたをした2またのチューブで、タバコをすう人。 ・右の切手は、”タバコの葉のたば”、”インディオ(原住民)とタバコの木とトレス”、”トレスの顔”。 ・どちらの切手も、1992年に「コロンブスの新大陸発見500年記念」として発行されました。 |
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←ピンタ号とコロンブス 12/17(月)、マルティン・ピンソン船長のピンタ号がひょっこりと姿(すがた)をあらわし、もどってきました。 ←ルーマニア 1992 コロンブス新大陸発見500年記念発行 |
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←弓矢(ゆみや)をもっている住民とのであい。 12/21、矢はするどい魚の骨で作られていました。スペインの品とこうかんしました。 ←ドミニカ 1992 発行 |
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12/24、コロンブスは島の人から、”シバオ”というところにたくさんの金があることを聞きました。 ←セントヴィンセント 1992 コロンブスの新大陸発見500年記念発行 |
コロンブスは1492/12/5(水)にマルティン・ピンソン船長のピンタ号の行方がわからなくなり、さがしながらキューバ島をはなれました。1216(木)も夜明けとともに、、ひきつづきピンタ号をさがしましたが、みつかりませんでした。東へと航海して、イスパニョーラ島を発見しましたので、海岸にそって航海しました。12/7には、よくたがやされた畑(はたけ)と村を見つけたので、上陸してちかよっていくと住民はにげさりました。さらに探検航海をつづけていると、12/17にピンタ号がひょっこりもどってきました。ピンソン船長は「金があるという話を聞いたので、その島のほうへ航海してきたが、金はなかった」と話(はな)しました。その後、住民とであうことができて、物々交換(ぶつぶつこうかん)で、金や真珠(しんじゅ)や食べものなどをてにいれました。12/24に村からきた住民に、”シバオ=Civao”に大量(たいりょう)の金があると聞きました。コロンブスは、そここそ”ジパング”だと思いましたので、シバオへと航海しました。 |
コロンブスはサンタ・マリア号、ピンタ号、ニーニャ号の3隻で、イスパニョーラ島のシバオをさがしての航海をつづけました。 ←ニカラガ 1992 発行 |
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1492/12/24(月)夜中(よなか)、サンタマリア号が座礁・沈没(ざしょう・ちんぼつ)。 ←マナティ図案の切手 ←座礁の場所 ←イスパニョーラ島 ←アンギラ 1992 コロンブスの新大陸発見500年記念発行・小型シート 08/4/4追加 |
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12/24の夜(よる)に航海していると、サンタ・マリア号が海水(かいすい)でかくれている岩(いわ)にぶっつかって座礁(ざしょう)してしまい、うごけなくなりました。 ←難破したサンタ・マリア号 セント・ルシア 1992 発行 |
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1492/12/24(月)夜中(よなか)、サンタマリア号が座礁・沈没(ざしょう・ちんぼつ)。 ←グレナダ 1992 コロンブスの新大陸発見500年記念発行・小型シート |
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コロンブスは、残(のこ)った2隻の船に乗切(のりき)れなかったので、残留(ざんりゅう)をもうしでた39人のために”ナビダア”の砦(とりで)をつくりました。 引き潮で、暗礁に乗りあげて座礁・沈没したサンタ・マリア号が姿をあらわすと、船をかいたいして、その木材(もくざい)で、”ナビダア”の砦をつくりました。 ←バハマ 1992 コロンブスの 新大陸発見500年記念発行・小型シート |
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←ナビダア(クリスマスといういみ)の砦(とりで) ”Villa de la Navidad” ←ギニア 1992 コロンブス新大陸発見500年記念発行 |
12/24(月)の復活祭(ふっかつさい、クリスマス)の夜の航海中にコロンブスが仮眠(かみん)をとるために操舵場所(そうだばしょ=ブリッジ)をはなれていると、真夜中(まよなか)12時すぎにサンタ・マリア号が暗礁(あんしょう)にのりあげて座礁(ざしょう)して、うごかなくなりました。 12/25に夜が明けてから、住民のカヌーでサンタ・マリア号の荷物(にもつ)を海岸(かいがん)へはこびました。サンタ・マリア号は沈没してしまいましたので、コロンブスはニーニャ号に乗船しました。残ったニーニャ号とピンタ号との2隻の船では、乗組員(のりくみいん)の全部(ぜんぶ)はのりきれなくなりましたので、コロンブスがその話(はなし)をすると、39人がいのこりをもうしでました。 12/26に村の酋長(しゅうちょう)がニーニャ号にきたので、てつだいのお礼に「赤い外套(あかいがいとう)」とかのスペインの品をやりました。そして、いのこりをもうしでた39人のために、”ナビダア”の砦(とりで)をつくりました。 |
←ニーニャ号、ピンタ号→ コロンブスはニーニャ号に乗船し、1493/1/4にイスパニョーラ島のナビダア砦から2隻の船で出帆しました ←ルーマニア 1992 発行→ |
1493/1/4(金)、日のでとともに微風(びふう)で、ナビダア砦をはなれ、シバオへとすすみました。コロンブスはそここそ黄金(おうごん)の国”ジパング=日本”だとおもいいました。1/7、ニーニャ号の”水もれ”がひどくなり、ポンプでくみだしながら、上陸して、しゅうりの木材(もくざい)をきりだしました。その後は、上陸できそうな海岸(かいがん)や川があると、上陸しては金をさがしながらの航海をつづけました。 |
1492/10/12 サン・サルバドル島→ (ワットリング島) 10/26、フアナ島→ (キューバ島) 12/15、イスパニョーラ島→ (ハイチ・ドミニカ) |
←サン・サルバドル島から、キューバ島、イスパニョーラ島への航海地図 ←サンタ・マリア号 ←12/24 サンタ・マリア号が座礁。 船の木材で砦を建設 ←1/4ナビダア砦を出帆 ←1/14イスパニョーラ島を出帆 |
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イスパニョーラ島のめんせきは北海道(83,453.57ku)より、すこし小さい島です。 |
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1493/1/14(月)に、コロンブスはイスパニョーラ島から、”ピンタ号”と”ニーニャ号”の2隻の船で、スペインへ向かっての帰路(きろ)に出帆しました。 ←アメリカ (USA) 1992 コロンブスの新大陸発見500年記念発行 |
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コロンブスは2隻で1493/1/14、イスパニョーラ島を出帆し、スペインのパロス港へと、帰国(きこく)の途(と)につきました。 ←ガーンジイ 1992 コロンブスの 新大陸発見500年記念発行・小型シートより |
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1493/1/14(月)4人のインディオをつれてかえるために乗船させました。酋長には”赤い服”(あかいふく)をきせ、ほかの3人にもふくをきせ、ハチミツとビスケットをやりました。北北東(ほくほくとう)の風(かぜ)にのり、2隻でイスパニョーラ島を出帆して、スペインへの帰国(きこく)の途(と)につきました。 |
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