大航海物語 オーストラリアの探検
シリウス号の遭難
1790
ノーフォーク島珊瑚礁で座礁

参考資料
シリウス号

ノーフォーク島 1967-68 発行

珊瑚礁で座礁
シリウス号

ノーフォーク島 1982 発行
シリウス号

ノーフォーク島 1987-88 発行

NORFOLK ISLAND
ノーフォーク島に停泊するシリウス号と船隊

1790 ノーフォーク島で難破したシリウス号200年記念 1990
ノーフォーク島 1990 発行 (200%)



・シリウス号の遭難 (1790/3/19)
  HMS Sirius、520tons

戦艦シリウス号は、初代のシリウス号が戦争で炎上喪失したので、イギリス海軍が1786年に建造した戦艦に”シリウス号”と命名した軍艦です。520トンの戦艦で同年10月にフィリップス提督が艦長に任命されました。フィリップス提督オーストラリアのニューサウスウェールズ(New South Wales)初代総督に任命されると、シリウス号は新任のフィリップス総督が総司令官として指揮をとる11隻からなるイギリスのオーストラリア流刑植民地への第1回囚人護送移民船団の旗艦となりました。その時のシリウス号の艦長はジョン・ハンター艦長(John Hunter 1737-1821)で、 第2代NSW総督(在任:1795-1800)を勤めた人物です。

1787/5/13に旗艦シリウス号と10隻の囚人移民船団はオーストラリアへの最初の移住者を乗せ、イギリス・ポーツマス港を出帆、同年6月カナリア諸島のテネリフ島で補給、さらに同年10月に喜望峰ケープタウンに寄航・補給、1788/1/18に先頭の船がオーストラリア東岸のボタニー湾(現シドニー市)に到着、1788/1/26にはポート・ジャックソンに到着しました。同年10/2まで植民地に留まり、その後にシドニーを出帆し食料やその他の必需品をケープタウンから約7ヵ月かけて、飢えているNSW植民地へと輸送しました。

そういう中でフィリップス総督はシドニーの人口の密集を解消するため、後に激しい虐待の地として悪名高くなったノーフォーク島に衛星入植地を建設するべく、1788/3/6にフィリップ・キング(Lieutenant Philip Gidley King RN 1758-1808)を副総督に指名して、囚人15人と監視人8人を付けてノーフォーク島へ上陸させ、探検調査をして受け入れ準備をさせました。その後、移民者をシドニーからノーフォーク島へ移住させました。

1790/3/19にシリウス号はノーフォーク島で積荷を揚陸中に珊瑚礁に座礁してしまいました。乗組員は1791/2/21まで同島に留まり、その後全員救助されイギリスへ帰りましたが、必要な物資は全て失われてしまいました。

その後、シリウス号の碇と残骸が引き上げられて、シドニーのマックワイアー(Macquarie Place)に展示保存されています。

シリウス号の装備:〜:
 HMS Sirius
、1786
シリウス号

ノーフォーク島 1982 発行
・船 型 :輸送艦(store ship)
・帆 柱 :3本マスト
・重 量 :520屯
・乗組員 :160人、自由移民92人、他に囚人を輸送
・武 装 :カロネード砲16門、6ポンド砲14門、
 他にshort cannons数門
・進 水 :1780年、ロンドン(Rotherhithe London)、商船バーウィック号(Berwick)として
・最 後 :1790/3/19、ノーフォーク島の珊瑚礁で座礁・沈没

第1船団の構成:〜シリウス号と10隻の囚人輸送船名
(1)シリウス号
   (HMS Sirius、store ship 520t)、252人乗組み
  イギリスのオーストラリア流刑植民地への第1回囚人護送移民船団の旗艦
  武装:カロネード砲6門、6ポンド砲14門、他にshort cannons数門
  乗組員160人、自由移民92人輸送。
  シドニー到着後、大砲8門をデイウェス・ポイント砦(fort at Dawes Point)に移動。
  1787/5/13 Portsmouth 出帆、Santa Cruz、Rio de Janeiro、Cape Town、に寄港
  1788/1/20 Botany Bay、1/26 Port Jackson。
  1790/3/19にシリウス号はノーフォーク島で座礁・沈没。
 乗船者:〜
  ・司令官アーサー・フィリップス総督
  ・艦長ジョン・ハンター大尉(Lieutenant John Hunter)、
  ・フィリップ・ギドリー・キング少尉(Third Lieutenant)
  ・ジョン・ショートランド航海士(master's mate)
  ・デイヴィット・コリンズ海兵大佐(副判事:deputy judge)
  ・ジョージ・ジョンストン海兵少佐(marine)

(2)サプライ号
  (HMS Supply、brig 170t、8 small 3-pounder-gun)
  艦長ヘンリー・ボール大尉
  (Lieutenant Henry Lidgbird Ball)、
  250人乗組み
(3)フレンドシップ号(Friendship、274t)、
  252人乗組み、
  男囚76人、女囚21人輸送
  ワルトン船長(Master Francis Walton)、
  1788/10/28、帰路にボルネオ島沖で沈没
サプライ号
(4)アレクサンダー号(Alexander、452t)、251人乗組み
  シンクレア船長(Duncan Sinclair)、
  出帆前に囚人11人死亡、男囚195人輸送
(5)シャーロッテ号(Charlotte、335t)、252人乗組み
  ギルバート船長(Thomas Gilbert)、
  囚人108人(内20人女)輸送
(6)レディー・ペンリン号(Lady Penrhyn 338t)252人乗組

ョ|トランド航海士
アレクサンダ|号
  ウィリアム・サーヴァー船長(William Cropton Server)、女囚101人輸送
(7)プリンス・オブ・ウェールズ号(Prince of Wales 350t)
  ジョン・メーソン船長(John Mason)、252人乗組み、男囚1人、女囚49女囚輸送
(8)スカーボロー号(Scarborough 430t)、
  ジョン・マーシャル船長(John Marshall)、251人乗組み
  1787/5/13ポーツマスを囚人208人で出帆、1788/1/28ポート・ジャックソン着
(9)ゴールデン・グローヴ号(Golden Grove 375t)
  シャープ船長(Master Sharp)、252人乗組み
  1788/10月に囚人32人をシドニーからノーフォークへ輸送
(10)フィシュバーン号(Fishburn、store ship 378t)
  ロバート・ブラウン船長(Master Robert Brown)、252人乗組み
(11)バローデール号(Borrowdale、storeship 275t)
  ホブソン船長(Master R. Hobson)、252人乗組み。(囚人合計:778人で出帆)

第2船団6隻の構成船名:〜
   1790/1/19出帆、160日後シドニー着
   1790/4/13喜望峰着、16日後出帆、1790/6/28ポート・ジャックソン着
(1)スカーボロー号(Scarborough、430t)、160人乗組み、
   ジョン・マーシャル船長、船医ヤコブ・ベイヤー(Augustus Jacob Beyer)
   1790/4/13喜望峰着、8人乗船、16日後出帆、
   1790/6/28ポート・ジャックソン、、囚人男253人(内73人死亡28%、96人病37%)
(2)サプライズ号(Surprize、400t)、158人乗組み、嵐で両船とはぐれる
   ニコラス・アンスチス船長(master Nicholas Anstis、レディー・ペンリン号の先任候補生)
   船医ウィリアム・ウェイター(surgeon William Waters)
   1790/1/19出帆、男囚254人(内36人死亡14%、121人病48%)
   1790/4/13喜望峰着、8人乗船、16日後出帆、
   1790/6/23ポート・ジャックソンを望見するも逆風で、160日後に到着できず
(3)ネプチューン号(Neptune、809t)、160人乗組み、
   ドナルド・トレイル船長(master Donald Traill)船医ウィリアム・グレイ(William Gray)
   1790/1/19出帆、男囚421人・女囚78人(内158人死亡31%、269人病53%)
   1790/4/13喜望峰着、12人乗船、16日後出帆、
   1790/6/28ポート・ジャックソン、160日後着
   ・ジョン・マッカーサー中尉が乗船、後にスカーボロー号に乗換え
(4)ガーディアン号(HMS Guardian、44-gun Roebuckclass fifth-rate two-decker)
   エドワード・リオゥ艦長(Lieutenant Edward Riou 1762-1801)、
   1789/9/8スピットヘッドを300人以上乗船して出帆
   1789/11/24喜望峰着、
   1789/12/中旬に出帆、
   1789/12/25ガーディアン号(frigate HMS Guardian、896t)が氷山に衝突沈没、
   259人が5隻のボートで脱出、400海里を9週航海後1790/2/21に喜望峰を望見、救助
   救助の男囚12人をネプチューン号へ、女囚8人をスカーボロー号へ乗船させる
(5)メリー・アン号(Mary Ann、298t)マーク・マンロー船長(Mark Munroe)、143人乗組み
   1791/7/9ポート・ジャックソン着、女囚150人(内9人死亡)
(6)ゴーゴン号(Gorgon)、190人乗組み、
   1791/9/21ポート・ジャックソン着、男囚31人(内1人死亡)。
(T)計:男囚971人(内268人死亡)、女囚236人、合計:1207人(内277人死亡:到着930人)

第3船団9隻の構成船名:〜
  1791/3/27ポーツマス(Portsmouth)出帆
(1)マチルダ号(Matilda、460t)、
   ウェザーヘッド船長(Matthew Weatherhead)、127人乗組み
   1791/8/1ポート・ジャックソン着、男囚230人(内25人死亡)
(2)アトランチック号(Atlantic、422t)、
   アームストロング船長(Archibald Armstrong)、146人乗組み
   1791/3/27プリマス(Plymouth)出帆
   1791/8/20ポート・ジャックソン着、男囚220人(内18人死亡)
(3)サラマンダー号(Salamander、 320t)
   ニコルソン船長(J Nichol)、147人乗組み、
   1791/8/21ポート・ジャックソン着、男囚160人(内5人死亡)
(4)ウィリアム&アン号(William and Ann)
   バンカー船長(E Bunker)、154人乗組み、
   1791/8/28ポート・ジャックソン着、男囚188人(内7人死亡)
(5)アクティヴ号(Active、350t)
   ジョン・ミッティンソン船長(John Mitchinson)、183人乗組み
   1791/8/26ポート・ジャックソン着、男囚175人(内21人死亡)
(6)クィーン号(Queen、400t)
   リチャード・オーウェン船長(Richard Owen)
   1791/4コーク(Cork)出帆
   1791/9/26ポート・ジャックソン着、男囚133人(内7人死亡)、女囚22人
(7)アルバーマール号(Albermarle、530t)
   ジョージ・ボウェン船長(George Bowen)、200人乗組み
   1791/10/13ポート・ジャックソン着、男囚282人(内32人死亡)
(8)ブリタニア号(Britannia、520t)
   トーマス・メルヴィル船長(Thomas Melville)201人乗組み
   1791/10/14ポート・ジャックソン着、男囚150人(内 21人死亡)
(9)アドミラル・バリントン号(Admiral Barrington、527t)
   ロバート・マーシュ船長(Robert Abbon Marsh)、203人乗組み
   1791/10/16ポート・ジャックソン着、男囚300人(内36人死亡)
(T)計:男囚1838人(内172人死亡)女囚22人、合計1860人(内172人死亡9.2%:到着1688人)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   10/4/30追記
スタンプ・メイツ
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