シリア・アラブ共和国
Syrian Arab Republic
面積:185,180km2(日本の北海道(83,456.25km2)の2倍強で、日本の約半分
人口:18,016,874人(2004)、(北海道は 5,602,437人、2007)、2,240万人(2012)
首都:ダマスカス、通貨:シリヤ・ポンド(Syrian pound:SYP)、言語:公用語 アラビア語
民族:アラブ人(90.3%)、その他クルド人、アルメニア人など(9.7%)(2009)
宗教:イスラム教 90%(スンニ派 74%、アラウィ派、ドルーズ派など 16%)キリスト教 10%
国連:1945/10/24加入、1番切手:1900年仏切手”T.E.O.”&”O.M.F. Syrie”加刷発行
GDP:$50.82億ドル(2015)PPP:購買力平価説、(国際比較(?位)はこちらを参照)。
シリアは15世紀ごろ、オスマン帝国の支配下となり、1918年にオスマン帝国より独立するも、第1次世界大戦(1914〜1918)後の1920年「セーヴル条約」でフランスの委任統治領となり、1946年にフランスより独立。国名は古代のアッシリアに由来。※2011年から内戦中〜。
・シリアの首都特別区と13県:〜
No |
県名 (Governorate) |
面積(ku) |
郡 |
人(2018) |
県都 |
|
01 |
ダマスカス (Damascus) |
1,599 |
- |
2,211,042 |
首都特別区 |
|
02 |
リーフ・ディマシュク (Rif Dimashq) |
18,032 |
9 |
2,831,738 |
ダマスカス |
郊外県 |
03 |
クネイトゥラ (Quneitra) |
1,861 |
2 |
87,000 |
クネイトゥラ |
|
04 |
ダルアー (Daraa) |
3,730 |
3 |
998,000 |
ダルアー |
|
05 |
スワイダー (As-Suwayda) |
5,550 |
3 |
364,000 |
スワイダー |
|
06 |
ホムス (Homs) |
42,223 |
6 |
1,762,500 |
ホムス |
|
07 |
タルトゥース (Tartus) |
1,892 |
5 |
785,000 |
タルトゥース |
|
08 |
ラタキア (Latakia) |
2,297 |
4 |
1,278,486 |
ラタキア |
|
09 |
ハマー (Hama) |
8,883 |
5 |
1,593,000 |
ハマー |
|
10 |
イドリブ (Idlib) |
6,097 |
5 |
1,464,000 |
イドリブ |
|
11 |
アレッポ (Aleppo) |
18,500 |
8 |
4,600,166 |
アレッポ |
|
12 |
ラッカ (Raqqa) |
19,616 |
3 |
919,000 |
ラッカ |
|
13 |
デリゾール (Deir ez-Zor) |
33,060 |
3 |
1,200,50 |
デリゾール |
|
14 |
ハサカ (Hasaka) |
23,334 |
4 |
1,272,702 |
ハサカ |
|
参考〜
・デイル・ヤシーンの大虐殺事件
Deir Yassin massacre
デイル・ヤシーン事件は、第一次中東戦争直前の1948年4月9日、当時イギリスの委任統治領であったパレスチナのエルサレム近郊のデイル・ヤシーン村(ダイル・ヤーシーンとも)で起こった住民の虐殺事件。この事件の当時、イギリス委任統治領であったパレスチナでは、イスラエル独立前から、ユダヤ人とアラブ人の間の武装勢力によるテロが激化し、実質上の戦争状態に入っていた。1948年4月、エルサレムのユダヤ人は、アブドゥル・カーデル率いる義勇兵部隊「アラブ救世軍」に包囲されていた。そのため、ユダヤ人の武装勢力側はテルアビブからエルサレムへ補給物資を運ぶ作戦を行っていた。その際、エルサレム西部のデイル・ヤシーン村を、ユダヤ人テロ組織イルグン、レヒをベースとする部隊が、ユダヤ人の主力組 |
パレスチナの地図
|
織であるハガナーの了承の下に攻撃。戦闘に勝利したユダヤ人テロ組織は老人、女性、子供も含む村民たちを虐殺した。犠牲となった住民の総数は、事件後の初期に出された推定では254人とされ、それが広く流布されていたが、最近の研究では107人から120人の間であると推定されている。ユダヤ側は直ちに謝罪声明を出し、ベングリオンはトランスヨルダンのアブドゥッラー1世国王に謝罪の書簡を送る結果となる。また、ユダヤ機関とハガナーは「非常に不愉快な事件」として非難した。しかし、その後、ハガナーもアラブ人虐殺に加わり、少なくとも数百、おそらくは二、三千人のアラブ人虐殺を含む直接的な攻撃、実力、言論による圧迫が行われた結果、生命の危機を感じた数十万人とも言われるアラブ人が現在のイスラエル領を脱出し、難民となった。イスラエル政府はその帰還を認めていない。デイル・ヤシーン村は現在イスラエル領になり、虐殺された犠牲者の土地や財産は、ユダヤ人のものとなっている。デイル・ヤシーン事件はそれだけでも忌まわしい事件の陰に実は隠された目的があったとされ、それは、ダレット計画(Plan
Dalet)と呼ばれ、英国委任統治領パレスチナのアラブ系住民の大量追放計画の実行であったとされて、デイル・ヤシーン事件は、その一環として起こされたもので、恐怖をあおり短時間の間に百万人を超える難民が国境を越えたとされている。
・邦人(日本)拉致事件
安田 純平(1974/3/16-)氏(フリージャーナリスト)
シリアのイドリブ県で拘束されていた安田さんが40ヵ月ぶりに解放されて、
2018/10/25(木)成田空港に帰ってきました。
2015年 |
<安田さんのシリアでの拘束> |
6月 |
シリア北部で行方不明となる |
6/21 |
シリア人ブローカーと共にトルコ南部からシリア北西部のイドリブ県に密入国後、
21日のツイートを最後に行方不明となる(アル=ヌスラ戦線が拘束か?) |
7月 |
安田さんと見られる動画と画像が出てくる |
7/10 |
外相会見でシリア拘束の疑い事案としてフジテレビ、テレビ東京の記者が質問して、岸田外相は「少なくとも今現在邦人が拘束されたという情報には接してはおりません」と回答 |
7/31 |
銃を突き付けられてオレンジ色の囚人服を着せられた姿の動画が、シリア反体制組織で過激派組織アルカイダ系の「シリア解放機構(元ヌスラ戦線)が放映。15年6月にシリア解放機構が、トルコ南部から国境を越えてシリアの反体制支配地域イドリブ県に入った後、地元の武装組織に拘束され、その後、イドリブ県の最強組織だったヌスラ戦線が拘束と放映 |
2016 |
|
3/16 |
拘束されているようにも見える安田と見られる男性の映像が発見される
拘束していると主張している団体はISILと対立している武装勢力と見られている |
5/29 |
「助けてください これが最後のチャンスです 安田純平」と書かれた紙を持った
安田と見られる新たな画像が公開される |
2017 |
|
1/27 |
発売の婦人公論にて、妻である歌手の深結(みゆう)の独占インタビュー、
「夫・安田純平が無事、帰国するまで絶対に涙は流しません」が掲載される |
5月 |
危険地報道を考えるジャーナリストの会が政府に対し、救出に尽力するように訴える |
7/6 |
「2017年の10月17日だ」と安田本人によって語られている
日本ニュースネットワークが独自に入手した映像が放映される |
2018 |
|
7月中旬 |
約20秒の映像がインターネット上で公開される
安田本人と見られる男性は「私の名前はウマルです。韓国人です」と述べた上で
「とてもひどい環境にいます。今すぐ助けてください」と訴える |
7月下旬 |
銃を突き付けられた安田と思われる人物の映像が公開される |
10/23 |
菅官房長官が緊急の記者会見で、安田らしき人物の身柄が解放され、
トルコ政府に保護されたという情報がカタール政府から入ったことを発表 |
10/24 |
河野外務大臣が日本大使館の職員が解放された人物と面会し、本人確認と発表 |
10/25朝 |
保護先のトルコのイスタンブール空港を出発、帰国の途につく |
10/25夜 |
成田空港に到着。 |
(ISIL:Islamic State in Iraq and the Levant〈イラク・レバントのイスラム国):アイシル)。
・タージ・アルディン・アルハサニ大統領
(Taj al-Din al-Hasani、 1885-1943)
アルハサニはフランスが任命したシリアの大統領(在任1928-1931)。
参考HP:〜
・世界遺産の
・古代都市ダマスカス
・パルミラ遺跡
・古代都市ボスラ
・古代都市アレッポ
の場所地図
・写真HP パルミラ遺跡
・シリアの場所地図
・シリアの国土地図
こちらで世界遺産の
・パルミラ遺跡 (シリア)
・ヌビア遺跡保存 (エジプト)
・ペトラ遺跡 (ヨルダン)
・パルテノン神殿 (ギリシャ)
・奈良の法隆寺 (日本) をお楽しみください。
上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 07/11/01、10/7/23, 18/10/26、令和 R.2/1/11 (2020)
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