フラム号(3) ★ノールウェイ |
スヴェルドルップ船長
|
大航海物語★ |
|
Australian Antarctic Territory | CANADA | ||
フラム号 S.S.Fram オーストラリア南極地方 1974-81 発行 |
|
ノールウェイのスヴェルドルップ船長はナンセン北極探検のフラム号船長として活躍し、エルスミーア島探検航海でスヴェルドルップ諸島を発見し、北極海で4回の大航海をして、その後の北極海の安全航海に貢献しました。 |
オットー・ニューマン・スヴェルドルップ (1854〜1930) Otto Neumann Sverdrup スヴェルドルップはスウェーデン治世下(1818ー1905)ノルウェイ自治州のコルヴェレイ(Kolvereid)自治市ブオイ村(Buoy)で生まれました。1872年17才で叔父の船に乗船して船乗りとなり、しばらくして外国航路に乗り出しました。1875年には航海士試験に合格し、数年後には船主(shipmaster)試験に合格。1877年には蒸気船”TRIO号”の船長となりました。その頃、弁護士だったアレキサンダー・ナンセンの紹介で、その弟フリチョフ・ナンセン(Fridtjof Wedel-Jarlsberg Nansen, 1861ー1930、ノルウェーの科学者で北極探検家で国際的な政治家)に出会いました。 スヴェルドルップはナンセンが1882年にグリーンランド水域への最初の航海を行なった時の船長を務めました。1888年のナンセンの北極探検ではナンセン探検隊とグリーンランドに渡り、1888年から翌年にかけてグリーンランド氷原のスキーによる横断に成功しました。 スヴェルドルップ船長の大航海: 第1回〜1893−98年:ナンセン探検隊のフラム号船長、 第2回〜1899−02年:エルスミーア島調査探検航海、スヴェルドルップ諸島発見、 第3回〜1914−15年:カラ海探検のエクリプス号船長、 第4回〜1921年:北極海ルート探検航海、カラ海航路の安全性を実証。 スヴェルドルップは1893年に、「喫水線下が半円形に整形された」特別設計の北極探検船”フラム号”(Fram)の船長に任命され、ナンセンの北極点遠征に参加しました。ナンセンの計画は、流氷に密閉されたフラム号で漂流しながら極点に達するというもので、船に8年分の燃料と6年分の食糧を積み、12人の乗組員とともに1893/6/24にクリスチャニア港(現オスロ)を出港しました。フラム号は9月に予定通り流氷群につかまり、北極のチェスリュスキン岬の北東・北緯77度43分の海上で氷原に閉じ込められ漂流を始めましたが、ナンセンの考えたほど北極点に近づきませんでした。フラム号がこのまま北極点に到達しないことは明白なので、1895/3/13に北緯84° 4´ の地点でナンセンは士官のハイアラム・ヨハンセン(Hjalmar Johansen 1867-1913)を伴いスキーで極点を目指すことにして、船をはなれて出発しました。 スヴェルドルップ船長はナンセンが北極点を目指している間に、フラム号でパフィン湾(Baffin Bay)からグリーンランド一周を目指しましたが、ナレス海峡(Nares Strait)のケーン水路が凍結していて通過できませんでした。ナレス海峡西岸のエルスミーア島(Ellesmere Island)で越冬し、ノールウェイ人がカナディアン北極と呼んでいた地域で、多くのフィヨルドや半島を調査探検し、1896/8/12にグリーンランド海にてダイナマイトで氷を破り脱出して帰国しました。 一方のナンセンの旅は難航し、4/8に北緯86度14分の地点に到達した所で、残りの食糧が僅かとなり、極点到達を断念しました。彼らはゼムリャフランツァヨシファで越冬することになり、セイウチやホッキョクグマの肉を食べながら1896年の夏までその場に滞在し、雪解けとともにスピッツベルゲン(Spitsbergen)を目指して南下を開始して、運良くイギリスの探検隊(Frederick George Jackson、1860-1938)に救助されました。 スヴェルドルップは1899から1902年の間にエルスミーア島で3回以上も越冬して、調査探検を続けながら地図を作成し、エルスメア島の西で、”アクセル・ハイバーグ島”(Axel Heiberg,)、”アマウンド・リングネス”(Amund Ringnes)、”エルフ・リングネース”(Ellef Ringnes)と名付けた3島(合計26万平方キロ)を発見し、イヌイット族の方法で地図に書き込みました。帰国後、彼は一躍ノールウェイのヒーローとなりました。彼が発見した3島は1931年にカナダに$67000で売却されました。 スヴェルドルップは1914年から1915年にかけて、エクリプス号(Eklips)でカラ海(Kara Sea)の探索・救難航海に従事しました。それはカラ海のセント・アンナ(St. Anna)で消息を絶ったブルシロヴ船長(Brusilov)と、ジェルクレス(Gerkules)で消息を絶ったラスノヴ船長(Vladimir Rusanov)の捜索活動でした。 スヴェルドルップの第4回の航海は1921年の北極シヴェリア水域の探検航海でした。彼は5隻の護送船団をレーニン・アイスブレーカー(Icebreaker Lenin)より出発して、ソ連(1922-1991)氷原(bridge of the Soviet)を抜けて、カラ海からイェニセイ(Ob and Yenisei)へと船団護送の指揮をすることで、彼は無事に任務を果たして安全に帰港しました。この航海は北極海ルートでのカラ海航路を開拓した重要な航海となり、後世の安全航海に大いに貢献しました。 アクセルハイバーグ島(Axel Heiberg)はカナダのクイーンエリザベス諸島にある島。エルズミーア島の西に位置し、ヌナブト準州に属し、面積は43,178ku。島の中央部には始新世の化石化した森がありますが、この島にはもともとイヌイットの人々が住んでいましたが、スヴェルドルップがヨーロッパ人として初めて探検しました。1900年頃には無人島で、彼はノルウェーのオスロにあるリングネス醸造所の経営者でスポンサーのアクセル・ハイバーグにちなんで命名しました(1930年までノルウェーが領有権を主張)。 エルフリングネース島(Ellef Ringnes)はクイーンエリザベス諸島を構成する島の一つ。間だのヌナブト準州に属し、西にボーデン島、東にアマンドリングネス島があります。島の南にアイゼクセンという町がありましたが、現在は無人の気象観測所になっています。島の西端にはアイゼクセン岬があり、面積11,295ku。島の最高地点の標高は260m。 島の名前はスヴェルドルップが、ノルウェーのオスロにあるリングネス醸造所の経営者で、スポンサーのエルフ・リングネースにちなんで命名(この島は1902年から1930年の間、ノルウェーが領有権を主張)。1994年に、北上を続ける北磁極がエルフリングネス島の西部を通過しました。 なお、フラム号は後に、ロアルド・アムンセンの南極探検に使用されました。 ・参考HP:〜フラム号とナンセン&スヴェルドラップの北極探検地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2008/01/01 |