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★イギリス | サー・ジョージ・カートレット 1664 ニュージャージー命名 |
大航海物語★ |
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NEWFOUNDLAND タラ(鱈) 英領ニューファウンドランド 明治20年 1887 発行 |
JERSEY ENGRISH CHANNEL ISLANDS 英仏海峡内のチャネル諸島の位置 ジャージーはガーンジーの下の赤色 |
カートレットは1664年にチャールズ2世の弟ヨーク公爵から新大陸アメリカで領地を拝領し、そこをニュー・ジャージーと命名しました。 |
サー・ジョージ・カートレット Sir George Carteret, 1st Baronet (1610〜ジャージー島総督在位1643-1651〜1680/1/14) カートレット卿は英仏海峡に有るイギリス領チャネル諸島のジャージー島出身で、アメリカ合衆国の”ニュージャージー州”の名付け親となりました。ニュージャージー州はアメリカで三番目に州となったアメリカ独立13州の一つです。北アメリカ東部へのヨーロッパ人の進出はカナダのニューファウンドランド沖合いの漁業から始まり、やがて大陸が探検されて入植されるようになりました。ニュージャージーはオランダからの移住者によってニューヨークなどと共にニューアムステルダムとして植民され、やがてイギリス人が進出、征服しました。
ニューヨークの新しい支配者ヨーク公は、自分が貰った広大な領地のかなりの部分を友人のジョージ・カートレット卿とジョン・バークリー卿に与えることにしました(2人の領主による共同統治)。これが「ニュージャージー植民地」の始まりとなりました。”ニュージャージー”とはカートレット卿が本国のジャージー島の出身であったことにちなんで名づけられました。ただし、植民地分割の決定が現地に伝わるより早く、ニューヨーク政庁がニューイングランドのピューリタンに対してニュージャージー地域に移住することを許可しており、喜んで移ってきた彼等数百名は、その後現地に領主代理としてやってきたフィリップ・カートレットによる事後承諾を受ける運びとなった。この地域には早くからオランダ人の入植も進んでおり、1668年には議会も開設されたのであった。総督カートレットの故郷イギリス領ジャージー島を記念して命名後、東西ジャージーに分かれていましたが、1702年統合されイギリスの直轄植民地となりました。その後の発展で、ニューイングランド、ニューヨークに次いでニュージャージーは第3番目のイギリス植民地洲となりました。 だが、イギリス人がニューイングランドに建設した最も古い植民地はマサチューセッツではなく、1620年に誕生したピルグリム・ファーザーズの「プリマス植民地」です。今現在の”ニューイングランド”地方には、マサチューセッツ、ロードアイランド、ニューハンプシャー、コネティカット、メイン、ヴァーモントの6つの州があります。このうちメインとヴァーモントの州昇格は合衆国独立後のことであり、残り4州のうち最も古い歴史を持つのがマサチューセッツです。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 |