★イギリス |
チャールス・ブリスベーン艦長 1808 セントヴィンセント島総督 |
大航海物語★ |
ブリスベーン艦長 | アレサス号 | ブレーク号 |
提督サー・チャールス・ブリスベーン艦長 (1769〜1829) Admiral Sir Charles Brisbane RN KCB ブリスベーンはイギリスで生まれ、1779年に10才で大英帝国海軍(RN:Royal Navy)に入隊して海に出ました。そして地中海派遣艦隊に乗組み、フランス海軍艦隊と闘いました。 1796年にロドニー提督の副司令官でセインツの海戦(1782)で名を上げたフッド提督(Samuel Hood, 1st Viscount Hood、1724-1816)艦隊で、ケープタウン(Cape Town)の60海里(111.2km)北西のサルダンハ湾(Saldanha Bay)の港を攻撃して、3隻のオランダ東インド船団を捕獲しました。 1807年にイギリス海軍アレサス号(HMS Arethus)艦長でキュラソー島の港を攻撃し、オランダ・キュラソー島総督の降伏後、短期間、臨時キュラソー島総督の任務を遂行しました。1808年の秋までアレサス号で指揮を執り、1808/8/23にロンドン(Deptford Dockyard,London)で就航したばかりの新造戦列艦ブレーク号(HMS Blake、1822t 74gs third-rate ship of the line)の艦長に指名されました。 1808年にセントヴィンセント島の総督(governor of St. Vincent、1808-1829)になり、1815/1月にナイト・コマンダー・バス勲章(略称KCB:Knight Commander of the Order of the Bath)を受勲しました。1819/8月には海軍少将(Rea-Admiral)になりました。1829年に61才で故国イギリスに帰ることなくセントヴィンセント島で亡くなりました。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 08/11/18 |