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★イギリス | マシュウ・フリンダース船長 1802 オーストラリア周航 |
大航海物語★ |
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インベスティゲーター号とフリンダース船長 オーストラリア 1999/3/19 発行 |
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オーストラリアの地図 オーストラリア 1981/8/4 発行 |
オーストラリア地図と国旗 オーストラリア 1981/8/4 発行 |
フリンダース山脈 オーストラリア 2000/6/20 発行 |
船乗りフリンダースは、インベスティゲーター号に乗船して、1802年オーストラリア沿岸調査後、海図を作成しました。 |
マシュウ・フリンダース Mathew Flinders (1774〜1814) イギリスで生まれ独学で航海術を学んだ探検・航海者。1787年に13才で海軍に入隊。1791年に17才で「バウンティ号の反乱」で有名なブライ船長の第2回タヒチ遠征に参加し、カリブ海へ「パンの木の苗木」を輸送しました。1795年21才でオーストラリアのポート・ジャックソン(シドニィ)へ航海しました。1798〜1799年には船医ジョージ・バスと共にタスマニアを周航して、タスマニアが大陸と繋がらないことを確認しました。イギリスに帰国後、オーストラリア大陸沿岸全域の海図を完成するという大望を抱き成功しました。 インベスティゲーター号の艦長で大佐(27才)として1801年12月オーストラリア南西端に至り、時計と逆回りに沿岸を調査しました。特に南岸の海図は今日でも基礎資料として使われるほど精密です。大陸周航後、1803年6月シドニーに帰着しました。別の舟で北回りに帰国の途中2度水漏れに遭遇し2度目は、当時イギリスと交戦中であったフランスが領有するモーリシャス島に避難して7年近くも抑留されました。この間に舟の鉄材による羅針盤の誤差修正法を発見しました。帰国後に彼が書いた「テラ・アウストラリス」は死の前日に刊行されました。彼が「オーストラリア」という名称を用いた最初の人物といわれています。40才で亡くなりました。 ★フリンダース島:〜 オーストラリア大陸南東部でタスマニア州に有。1773年にフルノー艦長が来航。1798年にフリンダースが調査。 ★右の2枚の切手は帆船の船尾に掲揚してある国籍表示の旗を見るため1.5倍に拡大しています。上のはフリンダースの乗船のインベステイベータ−号で、英国海軍の旗印しが掲げてあります。中のは明らかにフランス国旗の「青・白・赤」の三色旗です。これらの切手を、わざわざ,、フランスの「花の都」パリから買って来てくれた(02/9/4)、レディーの話によりますと高額切手の方にフランス人が描かれているのがフランスらしい「お国がら」の表れだそうです。 |
フリンダースとバウダンの出会い として、フランスより発行 艦長フリンダース大佐の乗船 インベスティゲーター号と オーストラリアの地図と 航海の航路図 バウダンとフリンダースの出会い として,、フランスより発行 バウダンとその乗船 オーストラリアの地図と 航海の航路図 フランス 発行 フランス国旗 トリコロール |
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・インベスティゲーター号の装備:〜 HMS Investigator、1798
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参考HP:〜 ・フリンダースの航海地図 ・エンカウンター湾の地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 09/10/10追記、10/7/1、12/8/19 |