大航海物語
ゴールド・ラッシュ (T)
1848〜カリフォルニア
1897〜アラスカ

参考資料
USA
米国カルフォルニアのゴールドラッシュ、1840
カルフォルニアの砂金探し、1849

ゴールドラッシュ 150 年 記念
USA 1999/6/18 発行
カルフォルニアの砂金と移民

カルフォルニア州昇格 100年 記念
USA 1950/9/9 発行

米国アラスカ・クロンダイクのゴールドラッシュ、1898
クロンダイクへの峠を越える、1898

ゴールドラッシュ 100年 記念
USA 1998/8/21 発行
アラスカの地図

アラスカ州昇格 100年 記念
USA 1959/1/3 発行

アメリカのゴールド・ラッシュ(1848〜)
 Gold Rush in Calfornia & Alaska

  その背景とオーストラリア(世界経済)への影響
そもそもゴールド・ラッシュは、1848年に新大陸アメリカ西部、米国カリフォルニア州のサクラメントで始まったのが最初だといわれています。1848/1/24に川で開拓民が豆粒半の大きさの「金」を発見したのが最初で、当初この事実は秘密にされていましたが、翌年にはニュースが世界中に広がり、一攫千金を夢見る人々が、当時は無政府状態同然だったカリフォルニアに押し寄せました。サクラメントのゴールドラッシュで最悪だったのは、アメリカ全土から集まった人々が、半ば烏合の衆と化し、その発展が望まれる静かで平和な地域のありとあらゆるものを盗み取り、ゴールドラッシュの起きた他の地域のように、物騒で混沌とした地域に変貌してしまいました。元々その地域に住んでいて、後に巻き添えを食った可哀想な地元住民として有名になる「ヨハン・サッターの物語」という話もあります。

昔々大航海の最盛期の話ですが、欧州と新大陸の米大陸とは頻繁な大航海で結ばれていました。1845年のこと、この年は多雨でイギリス本土の小麦の収穫量が激減し、アイルランドジャガイモも胴枯病の発生で壊滅状態となりました。大量の餓死者とアメリカへの移民によってアイルランドの400万の人口は半減してしまったといわれています。この非常事態を受けてイギリス政府は、1846年に食糧自給を旨とする穀物法を廃止して大陸から穀物を輸入しようとしましたが、同年にヨーロッパ最大の農業国であるフランスも凶作となり、小麦の価格が高騰しました 米国カルフォルニアの
ゴールドラッシュ、1840

これに対応してイギリスでは、1847年に「小麦」と「小麦を運ぶ鉄道」への投機が過熱しました。この小麦バブルは、イギリスでは翌年の1847/10月に崩壊し、ヨーロッパ大陸でも、1848年の3月までに崩壊しました。これでヨーロッパは恐慌となってしまいました。恐慌の波は、ヨーロッパの貿易相手国である新大陸アメリカにも押し寄せました。しかも、職を求める飢えた移民が大量にアメリカに流入してきていました。

恐慌から脱却するためには、現在では中央銀行が金融緩和により、マネーサプライを増やして、貨幣価値を下げようとするでしょうが、当時は今のような管理通貨制度が確立されていなかったので、ベースマネーを増やそうとすれば、金や銀の物理的な量を増やさなければなりませんでした。カリフォルニアで「金」(Gold)が発見されたとのニュースは、まさにこのような失業者の増加と「金」価値の高騰という恐慌状況のもとで伝わったのでした。多くの人が「金」を求めて殺到したのも無理はなかったのでした。1851年には、オーストラリアでもゴールドラッシュが起きました。一連の「金」生産量の増大により、世界経済は恐慌から脱却することに成功したのでした。ゴールドラッシュの周期性は、一般にグズネッツ(Simon Smith Kuznets 1901-1985)の「グズネッツの波(Kuznets swing)の谷」とコンドラチェフ(Nikolai Dmitriyevich Kondratiev、1892-1938)の「コンドラチェフの波(Kondratiev wave)の谷」が重なる時期は恐慌になるといわれています。1840年代の飢餓恐慌はそのような時期だったのですが、1870-80年代の世界大不況や、1930年代の世界大恐慌といった資本主義の歴史に残る大恐慌もそうだったのでした。1873年から始まった長期の不況は、1886年の南アフリカでのゴールドラッシュによって克服され、オーストラリアでもその前後にゴールドラッシュが再発生していました。しかし1930年代の世界大恐慌の時は、もはやゴールドラッシュは起きませんでした。先進各国は金本位制を放棄し、兌換制のない紙幣と国債を大量発行して、不況から脱却したともいわれています。この時期に世界大戦が勃発しましたが、それを大規模な公共事業だという説もあります。

右の切手の図案はアラスカ・クロンダイク(Klondike)に最も近いアラスカ湾のスカグウェイ(Skagway)の港からチルクック(Chilcook)峠を越える人々の行列です。国境となる峠の頂きで待ち構えるカナダ側の山岳警察は入国する人々に「ベーコン100kg」と「乾燥ジャガイモ」、「豆」、「果物」、「砂糖」など合計50kg、小麦粉250kg、その他の食料250kg、その上にテント、寝具、衣服、採掘用のハンマー、シャベル、ロープ、調理用具、鉄砲など々の最低必要限の荷物の携帯を義務付けました。 港から金鉱床までは800kmありました。十分な食料も装備も持たずに出発させ アラスカ・クロンダイクの
ゴールドラッシュ、1898

てドーソン(Dawson)に着いたなら、これら半ば食い詰め者たちが強盗殺人に走るのは火を見るより明らかなことだからでした。これらの装備を抱えて道なき山や峠を越えて、遥か彼方の金鉱に向かったのです。カリフォルニアのゴールド・ラッシュの約半世紀(50年)後のことでした。当時の様子を描いたジャック・ロンドンの小説「白い牙」を映画化したなかに、切手図案とよく似た場面があります。クロンダイク(ユーコン河上流カナダ地区)のゴールドラッシュは、1986/8/16にスコックム(Skookum party)の一行がユーコン河とクロンダイク川、インディアン川に挟まれたボナンザ・クリーク(Bonanza Creek)で豊かな砂金(Placer mining)を掘り当てたことが知れ渡り、さらに翌年(1897/7)にはアメリカに伝わって大ラッシュが起り、ドーソンの人口は4万人(1898)にも激増しましたが、ラッシュが終わると5千人(1902)に激減し、現在は約900人(1960)になりました。

なお、アメリカのゴールドラッシュでは全米各地から一攫千金をねらった食い詰め者がカリフォルニアを目指しました。それは、フォーティーナインナー(49年組、1849)と呼ばれて、あの西部劇の名曲「いとしのクレメンタイン」にも歌われている”フォーティーナインナー”であり、フォスターの名曲にも歌われている”おお、スザンナ”が幌馬車に乗ってカリフォルニアを目指しました。着くと、不要になった幌馬車に使った幌布でジーンズ(ズボン)を作ると、ジーンズは丈夫で金鉱掘りに向いていたので、ジーンズがどんどん売れて大儲けをしました。そして、ジーンズ産業がアメリカを支える巨大産業になりました。ジーパンの世界的メーカー、リーバイズもこの時に創業しました。なお、ジーンズ・パンツはリーバイズが発明したという説もあります。

参考HP:〜
 ・いとしのクレメンタイン(Oh My Darling Clementine!、”フォーティーナインナー”と歌う)
   米映画:「荒野の決闘」ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演
   (My Darling Clementine、1946)の主題歌
 ・おお!スザンナ(Oh! Susanna、フォスターの名曲)
 ・1853年創業リーバイズ社公式HP(英文、See, HERITAGE TIMELINE !)

参考地図HP:〜
 ・カリフォルニアのゴールドラッシュの地図
 ・カリフォルニアの地図
 ・カリフォルニアの地図(日本語)
 ・クロンダイクの地図
 ・クロンダイクへのルート地図(富者の道、貧者の道)

「いとしのクレメンタイン」の歌詞(三宅忠明:訳)
  Oh My Darling Clementine
(アメリカ民謡、日本では「雪山讃歌」の曲)
In a cavern, in a canyon, Excavating for a mine,
Dwelt a miner,
forty-niner, And his daughter Clementine.
 Oh, my darling, oh, my darling, Oh, my darling Clementine,
 You' re lost and gone forever, Dreadful sorry Clementine.
Light she was and like a fairy, And her shoes were number nine.
Herring boxes without topses, Sandals were for Clementine.
 Oh, my darling, oh, my darling, Oh, my darling Clementine,
 You' re lost and gone forever, Dreadful sorry Clementine.
Drove she ducklings to the water, Every morning just at nine,
Stabbed her toe upon a splinter, (and) Fell into the foaming brine.
 Oh, my darling, oh, my darling, Oh, my darling Clementine,
 You' re lost and gone forever, Dreadful sorry Clementine.
Ruby lips above the water, Blowing bubbles soft and fine,
But, alas, I was no swimmer, So I lost my Clementine.
 Oh, my darling, oh, my darling, Oh, my darling Clementine,
 You' re lost and gone forever, Dreadful sorry Clementine.
There's a church yard on a hill side Where flowers grow and twine,
There grow roses 'mongst possies, Fertilized by Clementine.
 Oh, my darling, oh, my darling, Oh, my darling Clementine,
 You' re lost and gone forever, Dreadful sorry Clementine.
How I missed her, how I missed her, How I missed my Clementine,
But I kissed her little sister And forgot my Clementine.
 Oh, my darling, oh, my darling, Oh, my darling Clementine,
 You' re lost and gone forever, Dreadful sorry Clementine.

渓谷の洞窟に、鉱脈を掘りながら
49才の鉱夫とその娘クレメンタインが住んでいた。・・・・・49才では無く、
49年組の誤り
 ぼくのいとしい、いとしいクレメンタイン、
 お前は、永遠に逝ってしまったんだね!
妖精のように身軽なのに、靴は特大、ナンバーナイン、
ふたのないニシンの箱が、サンダル代わり。
 ぼくのいとしい、いとしいクレメンタイン、
 お前は、永遠に逝ってしまったんだね!
毎朝9時にアヒルを連れて、水を飲ませに近くの川に、
木の切り株に、つま先引っ掛けて、渦巻く淵に真っ逆さま。
 ぼくのいとしい、いとしいクレメンタイン、
 お前は、永遠に逝ってしまったんだね!
赤い唇が水面に浮かび、細かい泡を吹き上げるのを見ても、
ぼくは泳げないから、クレメンタインを見殺した。
 ぼくのいとしい、いとしいクレメンタイン、
 お前は、永遠に逝ってしまったんだね!
丘の中腹にある教会墓地に花が咲き
ケシに混じるバラの肥料になったクレメンタイン!
 ぼくのいとしい、いとしいクレメンタイン、
 お前は、永遠に逝ってしまったんだね!
悲しいよ、悲しいよ、ぼくのクレメンタイン、
でもその妹にキスして、クレメンタインを忘れたよ!
 ぼくのいとしい、いとしいクレメンタイン、
 お前は、永遠に逝ってしまったんだね!

 ・この訳詩者は、”
ゴールド・ラッシュ”を知らなかったようだ!
参考HP:〜雪山讃歌(いとしのクレメンタイン)・・・・・このHPでは49年組となっている!


こちらで、
カナダのゴールドラッシュ
トウガラシ

カンタブリア州(スペイン)
ラスコー洞窟の岩絵 (フランス世界遺産)
クレムリン(モスクワ世界遺産)
ペトラ遺跡 (ヨルダン世界遺産)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
法隆寺 (日本世界遺産)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     10/4/25

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