★スウェーデン 東洋貿易船(East Indiaman Ship)
ヨーテボリ号
1745
スウェーデン東インド会社の帆船
大航海物語★
SVERIGE
スウェーデン東インド会社の帆船ヨーテボリ号
フィギャー・ヘッド(船首像)    船体構造           ヨーテボリ号の勇姿
スウェーデン東インド会社のイースト・インディマン東洋貿易船ヨーテボリ号(East Indiaman Gotheborg, 1745)
スウェーデン 2003/10/4 発行

ヨーテボリ号
  Swedish East Indiaman Gotheborg, 1745

  (スウェーデン東インド会社の帆船)
ヨーテボリ号は18世紀のスウェーデン東インド会社(Swedish East India Company, 1731/6/14-1813/12/13, Gothenburg, Sweden )の帆船で、世界的にも最大級の3本マストの木造帆船でした。ヨーテボリ号の進水式は、1738年にスウェーデンの首都ストックホルム(Stockholm)で執り行われました。大北方戦争後に東インド会社の帆船として東洋貿易(中国)に従事しました。

1745/9/12に、中国からの第3回航海の帰途、スウェーデン西岸ヴェストラ・イェータランド県のイェーテボリ港(Gothenburg, Vastra Gotaland County, Sweden)に接近中にイェーテボリ沖で座礁、沈没するも、乗組員は全員が救助されました。

・ヨーテボリ号の最後の航海
1743/3/14に中国の広東(Canton, China)へとスウェーデンを出帆したヨーテボリ号は、シェットランド(Shetland)、スコットランド(Scotland)からスペインのカディス(Cadiz, Spain)に入港して、1ヵ月停泊。スウェーデンの貿易品の鉄鋼(iron)、木材(wood)、タール(tar:石炭乾留液)などを売り払って、食料品などを補給し、中国での支払いに使用するスペイン銀(Spanish silver)を5屯購入しました。カディスを出帆すると、安全上の問題でインドネシアのジャワ(Java)島バタヴィア(Batavia、現ジャカルタ)港へ直行。3ヵ月の航海でバタヴィア港に入港して、船体修理のため停泊しました。台風シーズン(モンスーン:monsoon)の季節前に出帆できませんでしたが、あえて出帆するも、台風(Typhoon)でバタヴィア港に戻りました。1744年の夏に再度の出帆で、嵐を乗り越えて広東に到着。価値あるシルク(silk:絹)の他、主要な積載品は紅茶(tea)で. 366屯も積込みました。当時の農民は銀で年収$17〜$20稼いでいたのに、ヨーテボリ号の水夫は1ヵ月で約$14も稼ぎました。

・広東を出帆
1745/1月にヨーテボリ号は中国の広東で商品 650〜700屯、飲料水 80屯、食料品 110屯を積み込みんで、他社の帆船のライダルハセット号(Riddarhuset)と共に広東を出帆。1745/5/12に両船は喜望峰を回航。この航海でライダルハセット号の乗組員100人中、32人が亡くなりました。1745/9/6に両船はイギリスのケント州ドーヴァー(Dover)に到着。イェーテボリ港への水先案内人(pilot)を雇いました。

積み荷の内訳:〜
・金属亜鉛(Tuttanego)、6,056本(バー:bars)、装飾品材料
・木枠(クレイツ:crates)、木箱289ケース
・小さい樽(kegs)、筒状の木箱12ケグ(筒状の木箱)
・山のような中国磁器(piles of china porcelain)、2,388個
・真珠層(mother of pearl)、3.4トン
・コショウ(pepper)、1.8トン
・スパイスのようなショウガ(Gallingal, ginger)、11.4トン
・お茶(tea)、木箱2,677ケース(クレイツ:crates、木枠)
ヨーテボリ号
・絹(silk)、木箱19クレイツ
合計〜商品 650〜700屯。

・ヨーテボリ号の最後
1745/9/12に両船は順風満帆でイェーテボリ沖に差し掛かりました。ヨーテボリ号は母港のイェーテボリ港から遠くに見える900m沖合、暗礁のある浅海域で、突然、波間に隠れていた暗礁(岩)へ激突。そして徐々に沈んでいきました。1746年に、ヨーテボリ号の積み荷の約 30% が引き上げられましたが、船体は朽ちていき、フナクイムシ(shipworm:Teredo Navalis)被害もあって姿を消しました。1906〜1907年の潜水夫によるサルベージ調査で、中国磁器などが発見されました。

・ヨーテボリ号の装備:〜
  Swedish East Indiaman Gotheborg, 1745

船 型 カラヴェル帆船 カラベル船 ヨーテボリ号
帆 柱 3本マスト
全 長 40.55m
全 幅 10.30m
深 さ ?m
重 量 830屯
乗組員 144人
進 水 1738年、ストックホルム(Stockholm)
最 後 1745/9/12、イェーテボリ沖900mで沈没
武 装 大砲30門


・ヨーテボリ号の生涯
1700年、大北方戦争が勃発、スウェーデンと北方同盟(ロシア帝国連合軍)の戦い
1721年、大北方戦争が集結、スウェーデンの敗北
1731年、スウェーデン東インド会社が創立される
1738年、ヨーテボリ号がスウェーデンの首都ストックホルムで進水
      スウェーデン東インド会社の帆船として東洋(中国)貿易に従事
1743年、3回目の航海
03/14、スウェーデンを出帆、クルーと乗客 141人
     シェットランド諸島沖を航海
     スコットランド沖を航海
     スペインのカディスに入港、1ヵ月停泊
     貿易、補給などを実施
1ヵ月後、カディスを出帆、直行で3ヵ月後
08/28、ジャワ(バタヴィア港)に入港
     船体修理で停泊
     ジャワを出帆するも嵐で出戻り
1744年
     夏、再度の出帆
     広東に到着
1745年
1月、ライダルハセット号と共に中国の広東を出帆
05/12、喜望峰を回航
09/06、ドーヴァー着
09/12、イェーテボリ沖で沈没
1746年、積み荷の約 30% が引き上げられる
1995年、実物大レプリカ船の建造開始
2008年、帆走でバルチック海への処女航海に成功。

1995年から複製帆船ヨーテボリ号の建造が始まり、2003年に進水、2005年に帆走航海に成功。2008年に帆走でのバルチック海への処女航海に成功しました。

こちらで、
カーム博士
リンネ博士
をお楽しみください。

参考地図HP:〜
ヨーテボリの場所地図(スウェーデンの地図)
ヴェストラ・イェータランド県の地図(Gothenburg有)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     2017/1/23
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