Russia 国連 2013 発行 |
切手で綴る ロシア
シベリア鉄道 Trans-Siberian Railway |
大航海物語 参考資料 地図編★ |
シベリア鉄道 モスクワ(Moscow)〜ウラジオストク(Vladivostok) 建設期間:1891〜1902、全長:9,297km |
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モスクワ→ |
←ウラジオストク |
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モスクワのヤロスラブリ駅(Yaroslavl Station, Moscow)開業:1902年 1902 シベリア横断鉄道開業100周年記念 2002 ロシア 2002 発行 |
・シベリア鉄道 (Trans-Siberian Railway) シベリア鉄道は、ロシア連邦国内南東部の極東シベリアとヨーロッパロシアを東西に横断する鉄道です。全長は9,297kmで、世界一長い鉄道です。これとは別に、第二シベリア鉄道(バイカル・アムール鉄道(Baikal-Amur Mainline, イルクーツク州タイシェト(Tayshet, Irkutsk Oblast)〜日本海沿岸のソビエツカヤ・ガバニ(Sovetskaya Gavan), 約4,324km)、略称:バム(BAM)鉄道)も有。ロシア帝国(Russian Empire, 1721-1917)時代に建設され、2019年時点では会社形態のロシア鉄道(Russian Railways, 2003)が運営しています。ロシア号(The Russia)はモスクワのヤロスラフスキー駅を出発し、ウラジオストク駅まで約7日間をかけて走破。航空機が登場するまでは、日本とヨーロッパを結ぶ欧亜連絡運輸で最速の交通路でした。 <建設> 19世紀末、ロシアが帝国主義列強に対抗して東アジアに進出するために、シベリアの原野を横断する鉄道の建設を計画。まだ資本、技術に不十分なものがあったため、フランス資本の導入に依存することにより、1891年から工事が開始され、1902年に完成。これで極東のウラジオストクまで鉄道でつながれ、帝政ロシアのアジア進出が可能になりました。なお建設の発端は、ウラル地方の飢饉(1864年ヴャトカ飢饉)や極東シベリアの飢饉の救済説など諸説有。 <シベリア鉄道建設の影響> シベリア鉄道完成後には、シベリアからロシア西部やヨーロッパ諸国へ農産物を輸送できるようになり、シベリアの農業は一大発展の機会となり、その効果は鉄道沿線のみならず、河川舟運を通じて鉄道につながる地域にも及び、アルタイ地方はオビ川の舟運とシベリア鉄道を経由して小麦を輸出できるようになりました。1906年から1914年の間に4百万人の農民がシベリアに移住して、未開の原野が農地になりました。シベリアの農家が安い穀物をヨーロッパに輸出するようになった頃、ロシア西部の農業は、アレクサンドル2世による1861年の農奴解放令後の経済的な圧力でいまだに混乱していました。このため、ロシア西部を守り社会的な不安定が起こるのを防ぐため、1896年に政府はチェリャビンスクを通過する穀物に関税障壁をつくるためのチェリャビンスク関税区間を設置し、同様の障壁を満州側にも設置。この措置はシベリアの輸出産品を大きく変え、アルタイ地方、ノヴォシビルスク、トムスクには穀物を加工する製粉所が多く設立され、農場はバター生産に路線を変更。1896年から1913年まで、シベリアは毎年平均で501,932トンの小麦粉などを輸出しました。 <皇太子ニコライ事件> 1891年のシベリア鉄道起工式はウラジヴォストークで挙行され、その式典に参加する途中、日本に立ち寄った皇太子ニコライ(Nikolai Aleksandrovich Romanov、1868-在位1894-1917、後のニコライ2世:Nicholas II, Russia)は、大津事件(1891/5/11明治24年)で日本人巡査に斬りつけられました。事件は突発的なもので、背景には日本国内のロシア脅威論が悪感情にまで沸騰していたことがあって、明治政府はロシアを刺激することを恐れ、裁判に圧力をかけ犯人の巡査を死刑にしようとし、それに対して大審院判事(現在の最高裁判所裁判官)児島惟謙(1837-1908)が、司法権の独立を守り、刑法通り殺人未遂罪を適用して無期懲役の判決を出しました。それが司法権の独立という近代法治国家の原則が守られたとして評価されました。なおニコライはこのとき頭に受けた傷がもとで、生涯頭痛に悩まされました。 <東清鉄道と日露戦争> シベリア鉄道の建設を進める一方、ロシアはウラジオストクへの近道である満州横断をねらい、1896年に清国に迫ってシベリア鉄道のチタから中国領内を通り、ウラジオストクを結ぶ東清鉄道の敷設権を認めさせました。シベリア鉄道・東清鉄道の建設は日本及びアメリカを刺激することとなり、特に日本はロシアの勢力が朝鮮半島に及ぶことを恐れ、シベリア鉄道による兵員輸送が可能になる以前にロシアのアジア進出を阻止する目的で日露戦争に突入しました。 <シベリア鉄道路線>〜主な駅 (Trans-Siberian line Route)
ロシアでは、モスクワ - ウラジオストクを結ぶ本線(広義のシベリア鉄道)を ・シベリア鉄道(Trans-Siberian Railway) と呼ぶほか、 モンゴル国のウランバートル経由で中華人民共和国の北京まで結ぶ路線を ・モンゴル縦貫鉄道 (Trans-Mongolian Railway, Ulan Ude-Ulaanbaatar-Erenhot, 2,215km) ウラン・ウデ駅〜ウランバートル駅〜エレンホト駅 (モンゴル国ウランバートル:Ulaanbaatar, Mongolia) (中国内モンゴル自治区エレンホト:Erenhot, Inner Mongolia, China) (ロシア連邦ブリヤート共和国ウラン・ウデ:Ulan Ude, Buryatia, Russia) 中国東北部経由で北京まで結ぶ路線を ・東清鉄道 (Chinese Eastern Railway, Chita-Beijing, 2,795km、ロシア帝国建設) ・本線:満洲里〜ハルビン〜綏芬河、1891-1901、1510km ・支線:ハルビン〜南下〜大連〜旅順、1898-1903、772km と呼ぶのが通例で、 以上3つが更に広義のシベリア鉄道です。 後に、第二シベリア鉄道と呼ばれるバイカル・アムール鉄道(バム鉄道)が建設され、バム鉄道の西の始点はシベリア鉄道との分岐点イルクーツク州タイシェトで、東は日本海に面したワニノを通りソヴィエツカヤ・ガヴァニの港へ至ります。シベリア鉄道はバイカル湖の南を通り、バム鉄道は北を通過。中国と北朝鮮、モンゴルとの直通運転もあります。 参考HP:〜 ・シベリア鉄道の地図(全域の詳細地図) ・シベリア鉄道の地図(全域) 広義のシベリア鉄道の路線(赤)と バイカル・アムール鉄道(バム鉄道、緑) ・シベリア鉄道の地図(南シベリア、オムスク〜イルクーツク) 南シベリアの都市とシベリア鉄道本線 こちらで ・シャナの海戦 ・コーヒー 世界遺産の ・クレムリン (ロシア) ・バイカル湖 (ロシア) ・カムチャツカの火山群 (ロシア) ・アルタイの黄金山地 (ロシア) ・ヌビア遺跡 (エジプト) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・法隆寺 (日本) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 令和 R.2/9/10 (2020) |
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