★イギリス |
ウィリアム・グラス 1817 トリスタン・ダ・クーニャ島総督 |
大航海物語★ |
ゾウアザラシ |
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南大西洋のトリスタン・ダ・クーニャ島 トリスタンダクーニャ 1980/12/15 発行 |
トリスタン・ダ・クーニャ島 トリスタンダクーニャ 1996/10/1 発行 |
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スコットランド生まれのウィリアム・グラスは、ナポレオンがワーテルローの戦いに敗れ、1615年セントヘレナ島に島流しになったのを見張るため、南大西洋の絶海の孤島トリスタン・ダ・クーニャ島へ、1816年にイギリスが軍隊を送り込んだときに派遣された部隊とともに同島に渡りました。その後、部隊が撤退するときに、残留を申し出て許され、同島で37年間居住して亡くなりました。 |
ウィリアム・グラス総督 (1787/5/11〜1853/11/24) Wiliam Glass Governer Tristan da Cunha (在任:1817〜1853) 島に到着時の階級は伍長(Corporal Willam Glass) ウィリアム・グラスはイギリスのスコットランド・ケルソ(Kelso、Scotland)で生まれました。 1804/3/28、16才、ケルソ近郷のツィード(Bercic-upon-tweed)のイギリス陸軍に入隊。 1806年、北ドイツへイギリス陸軍の騎馬隊員として駐屯。 同年ケープタウンが英領となる。 1814/7、27才、ケープタウン生まれのマリア・マグダレーナ・レーンダーズ (Maria Magdalena Leenders、12才!)と結婚、翌年に長男誕生。 1816/11/28、29才、英国軍艦フラマス号でトリスタン・ダ・クーニャ島に到着。 1817/11/18、30才、英軍撤退後、トリスタン・ダ・クーニャに残留を希望し認められ退役。 総督となり、37年間暮らし、同島で14人の子宝を得ました。 1853/11/24、66才、ガン(口唇)で亡くなったと伝えられています。 切手の解説:〜 ・1816年ウィリアム・グラス伍長は英国軍艦フラマス号に乗船しトリスタン・ダ・クーニャに到着した。 ・ウィリアム・グラス伍長はトリスタン・ダ・クーニャに駐留する王立砲兵連隊の一員であった。 ・1817年ウィリアム・グラスは彼の家族と2人の男たちとともにトリスタンに残るのを許された。 ・マリア・グラスは男女それぞれ8人,計16人の子供を生む。 2人の息子と4人の娘はトリスタンにそのまま居住した。 ・1833年,ウィリアム・グラス総督は長女のメアリの結婚式を行なった。 ・ウィリアム・グラス総督はトリスタンで37年暮らし,1853年癌で亡くなった。 参考HP:〜 ・ケルソの場所地図 ・スコットランドの場所地図 ・ツィードの場所地図 ・トリスタンダクーニャの大西洋上の場所 ・この人物の詳しい研究はこちらのHPに有。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 09/2/17、12/1/28 |