切手で綴る日本の城郭シリーズ (続:日本100名城の番外篇)
尼 崎 城 1618:築城 1873:廃城、2019:再建 |
日本 NIPPON 尼崎城 |
(82円切手) |
尼崎城のご当地オリジナルフレーム切手 |
尼崎城の築城400年と新城 開宴 記念フレーム切手 ご当地オリジナルフレーム切手小型シート@1,300円 日本 平成31年 2019/3/22 発行 ご当地切手 (日本郵便近畿支社)のフレーム小型シート |
・尼崎城、(あまがさきじょう) Amagasaki-jo castle、別名:琴浦城、琴城、尼丘城 住所:日本国兵庫県尼崎市北城内27番地 城郭構造:平城 天守構造:複合式層塔型4重4階(1618築・非現存) 築城主:戸田氏鉄(1576-1655) 築城年:江戸時代初期、元和年3(1617着工) 廃城年:明治6年(1873)取壊し 遺構:地上面に遺構なし 指定文化財:なし 再建造物:模擬天守(鉄筋コンクリート造:層塔型4層5階)、2019/3/29一般公開 主な改修者:青山氏でほぼ完成 主な城主:戸田氏鉄、青山氏、松平忠喬 再建造物:平成31(2019)年、天守・石垣・土塀を復元した城址公園が完成。 尼崎城は江戸時代初期、尼崎へ入封した戸田氏鉄が元和3年(1617)に築城開始、翌年に完成。本丸(現:尼崎市南城内の尼崎市立明城小学校)は、中世の絵図で本興寺(尼崎市開明町3丁目)の故地(築城で移転)に有って、その「近世尼崎城」は、現在の尼崎市北城内・南城内に有。かつて、大物城を取り壊しその上に規模を拡大して近世尼崎城を築城としているも、尼崎市立地域研究史料館が編集している地域史研究に掲載されている小野寺逸也の論文「江戸時代前期の尼崎城下絵図について(2)」で、戦国期大物城はむしろ近世尼崎城の北東、大物の西側付近にあったものとの考えが示されました。「尼崎城下絵図」によると、池のような場所の南に「古城」という場所が記載されており、これが大物城のことではないかと推察されています。現在の阪神電車車庫東端からその東側辺りで、近世尼崎城でいうと城下町です。これらよりただちに「同一の城ではなかった」とは言えなくも、現在では「別の城であった」という説が有力です。 ・尼崎城の略史:〜
尼崎城は、大物川(だいもつがわ)と庄下川(しょうげがわ、淀川水系5.954km)が大阪湾に注ぐ尼崎デルタ地帯に築かれた城で、尼崎城に直接船が横付けできたことから、海に浮かんだような琴浦城と呼ばれました。水堀は2重、3重に巡らされ、縄張りはほぼ正方形で4重の天守、3棟の三重櫓、城門、本丸御殿のある本丸を中心に、西部と北部を囲むように二之丸、東に松之丸、二の丸・松の丸を囲むように西部に西三之丸、東部に東三之丸、さらに南に南浜を配置。隅櫓は天守以下の4隅に建てられ、いずれも3重で2重目屋根に唐破風、切妻破風、千鳥破風を付けていました。 ・再建の模擬天守 2016年に、旧ミドリ電化の創業者の安保詮氏が「創業の地に恩返ししたい」と約10億円の私財で、天守を再建して尼崎市に寄贈するため市有地の利用などについて市と協定を結びました。大きさや外観は当時の建物を再現するも、再建場所は本来の場所ではなく、北西約300mの公園内に鉄筋コンクリート造、地上5階、床面積は1,409u。尼崎市は、「一口城主」や記名される「一枚瓦」による寄付とサポーターの募集、イベントなど行いました。
・大物城 安土桃山時代の天正6年(1578)に荒木村重(1535-1586)が織田信長に反旗を翻した際、兵庫県伊丹市にある有岡城から逃げ込んだ先である大物城は、尼崎城(尼崎古城)とも呼ばれ、現在の尼崎城趾の近隣にあった城。なお、大物主神社(尼崎市大物町2丁目7-6)が、その城址とする説有。 参考:〜 ・兵庫県の城
参考HP:〜 ・尼崎城の配置図 (尼信博物館の復元図) ・尼崎城址公園の地図 こちらで ・日本100名城 ・続:日本100名城 ・洲本城 ・姫路城 (世界遺産) ・サンマリノ (サンマリノ共和国世界遺産) ・エル・エスコリアル宮殿 (スペイン世界遺産) ・ナン・マトール遺跡 (ポンペイ島世界遺産) ・平成の尼崎城 (写真集) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2019/4/10 |