★ロシア
ミハイル・ラザレフ提督
1820、南極探検、南緯69度に到達
1827、ナヴァリノの海戦、ギリシャ独立戦争

大航海物語★
CCCP
ラザレフ提督

1827 ナヴァリノの海戦160年記念 1987
ソ連 1987/12/22 発行

CCCP
ベリングスハウゼン南極探検隊の航海地図 1820
 ヴォスト|ク号
    ミールヌイ号
南極大陸
ベリングスハウゼン・ラザレフ南極探検150年記念
ソ連 1970/1/27 発行
南極の地図

南極条約 10周年 記念
ソ連 1971 発行

ロシア帝国の
軍 艦 旗→
白地に青色線



大 砲→
イカリ→

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UKRAINA
19世紀ロシア帝国の戦列艦

ウクライナ 2001/4/20 発行

ラザレフ提督はベリングスハウゼンの1820年南極探検の遠征航海中に僚船として随伴して、南緯69°21′28″の地点に到達しました。
提督ミハイル・ペトロヴィッチ・ラザレフ海軍大将 (1788/11/3〜1851/4/11)
 Admiral Mikhail Petrovich Lazarev

ラザレフ提督はロシア帝国のウラジーミル県(Vladimir)でロシア貴族の家庭で育ちました。1800年にロシア帝国海軍学校に12才で入学を許され、3年後にイギリスの艦隊へ少尉候補生で派遣され、連続5年間の航海に従事して17才で帰国しました。

1808年に少尉に任官してバルチック艦隊勤務となって1812年迄、数々の海戦を闘いました。すなわち、第二次ロシア・スウェーデン戦争(Russo-Swedish War 1808-1809)ではスウェーデン艦隊と闘い、ナポレオン戦争(ロシアでは祖国戦争、1812年ロシア戦役、Patriotic War of 1812)ではフランス艦隊と闘いました。

ラザレフ船長の大航海:〜:
・1813〜1816年、ラザレフ最初の世界一周探検航海、スヴォロフ号
・1819〜1821年、第2回航海、ミールヌイ号、ベリングスハウゼン船長に随伴
・1822〜1825年、第3回世界一周探検航海、クレーイセル号

ラザレフ船長の最初の世界一周探検航海は、1813年にスヴォロフ号(Suvorov;)に乗船して、クロンシュタット港(Kronstadt、ロシア連邦レニングラード州の都市、サンクトペテルブルクから西に約32km、フィンランド湾に浮かぶコトリン島に有)を出帆。1814年に太平洋でクック諸島中のスヴォロフ環礁(Suvorov Atoll.、スワロー環礁、Suwarrow)を発見し、アリューシャン列島ウニマク島(Unimak)をへて、アラスカ(Alaska)に到達し、アムール河(Amur)まで探検航海しました。

1819年にはミールヌイ号(Mirny、530t)に乗船して、コルべット艦ボストーク号(600t)のベリングスハウゼン船長と共に探検航海をなし、南極大陸に接近しました。1820/1/20に南極圏(Antarctic Circle:南緯66度33分以南)の南緯 69°21′28″西経 2°14′50″の地点に到達しました。

1822年にはフリゲート艦クレーイセル号(frigate Kreyser)で第3回世界一周探検航海に出帆して、気象学(meteorology)、民俗学(Ethnography)などの広範囲な科学的調査の探検航海をなし、1825年に帰港しました。この時のラザレフ船長の乗艦クレーイセル号にはナヒモフ少尉候補生が乗組んでいました。

1826年には戦列艦アゾフ号(Azov)に艦長として乗艦し地中海に派遣され、ゲイデン提督(Login Petrovich Geiden)艦隊で英仏露連合艦隊の一員として、1827年のナヴァリノの海戦をオスマントルコ艦隊と闘い勝利し、海軍少将(Rear admiral)に昇進しました。この乗艦にナヒモフ大尉が乗組んでいました。1828〜1829年には黒海(Black Sea)とマルマラ海(Marmara Sea)を結ぶダーダネルス海峡(Dardanelles)封鎖作戦に従事しました。

1830年にクロンシュタット港に戻り、バルチック連合艦隊のラザレフ艦隊司令官となりました。2年後には黒海派遣艦隊の幕僚長に昇進しました。1833年の2月から6月にはロシア帝国艦隊をボスポラス海峡(Bosporus)へ派遣して、露土戦争後のロシア・トルコ紛争の終結のために、1833/7/8にハンカー・イスケルシ条約(Treaty of Hunkar-Iskelesi)をオスマン・トルコとの間で締結しました。1833年にラザレフ提督は黒海艦隊の総司令官に任命され、黒海の軍港とセバストポリ市(Sevastopol)とムィコラーイウ市(Nikolayev)の陸軍総司令官にも就任しました。

1833年にラザレフ提督はバルチック艦隊司令長官(Commander-in-Chief of Baltic Fleet and Black Sea Ports 1833-1850)となり、1837年に旗艦シリストリア号(Silistria)に座乗しましたが、その旗艦には17才で海軍兵学校を卒業したばかりのグレゴリー・ブタコフ少尉候補生が旗艦士官で乗り組んでいました。

なお、太平洋のクック諸島中の環礁(Suvorov atoll)や、アムール(Amur)河口の三角江(Estuary)や岬や、アリューシャン列島で最大の島のウニマク島(Unimak)や、アラル海の島、ソチ(Sochi、黒海に面するロシア随一の保養地)の村落、日本海の港や湾などにラザレフ提督ゆかりの名前がつけられています。ラザレフ提督は1843年には海軍大将(Admiral)に推挙されて名実共に海軍提督になり、73才で亡くなりました。

第2回航海の乗組員リスト:〜南極探検航海(1819)
ボストーク号 階級(Rank) ミールヌイ号
士官
(7)
司令官(艦長) (Commander、Captain) 士官
(7)
海軍少佐 (Lieutenant Commander) -
海軍大尉 (Lieutenant)
航海長 (Navigating officer)
海軍中尉 (Sub-lieutenant)
士官待遇
(5)
少尉候補生 (Midshipman) - 士官待遇
(0)
船医(外科医) (surgeon) -
給与長 (paymaster) -
天文学者 (Astronomer) -
画家 (Artist) -
下士官
(9)
甲板長 (Boatswain) 下士官
(6)
砲術兵曹長 (Gunnery petty officer)
航海兵軍曹 (Second mates)
航海兵曹 (Assistant Mate)
操舵兵曹長 (Quartermaster)
下士官待遇
14
1等砲手 11 (Gunner) 下士官待遇
(7)
爆弾手 (Bombardier) -
ラッパ手 (Bugler) -
ドラム手 (Drummer)
下士官待遇専門職
(9)
スチュワード (Steward) 下士官待遇専門職
(8)
船医助手 (Assistant surgeon)
2等船大工 (Carpenter)
大工弟子 (apprentice ) -
錠前屋 (Locksmith)
水漏防止屋 (Caulker)
帆布屋 (Sailmaker)
桶屋 (Cooper)
水夫 71 (Seamen) 44 -
115 ------------ 72 -

参考HP:〜
南極圏の場所地図(S 66° 33′ 44″=66.5622°)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        08/3/15、11/5/30
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