年 |
メ モ |
1372 |
中山王察度(ちゅうざんおうさっと)、初めて明に使者を送る
尚巴志王が誕生 |
1393 |
尚巴志王が伊覇城の伊覇按司の推挙で父の後を継ぎ南山の佐敷按司となる |
1406 |
尚思紹(尚巴志の父)が中山王(ちゅうざんおう)になる
中山王の武寧を攻撃して察度王統を滅亡させ
首都を浦添から首里(現:那覇市)に遷し
父・尚思紹を中山王に即位させる |
1416 |
北山国を討伐し、次男尚忠を北山監守として北部の抑えとする |
1421 |
尚思紹王が薨去し、翌年に中山王に即位 |
1427 |
龍潭(りゅうたん)を掘り、庭園を整備した |
1429 |
尚巴志が南山王(他魯毎)を滅ぼして三山を統一し
第一尚氏王統による琉球王国最初の統一王朝が成立(琉球王国の創建) |
1453 |
「志魯(しろ)・布里(ふり)の乱」が起こり首里城全焼 |
1458 |
万国津梁(ばんこくしんりょう)の鐘を正殿に掛ける |
1469 |
伊是名島の農夫の金丸(かなまる)がクーデターで新王朝を開く(第二尚氏王統) |
1470 |
尚円(しょうえん)王位につく。瑞泉門を創建 |
1477 |
〜1526、歓会門(かんかいもん)、久慶門(きゅうけいもん)を創建 |
1494 |
円覚寺(えんかくじ)を創建 |
1501 |
玉陵(たまうどぅん)築造 |
1502 |
円鑑池(えんかんち)、弁財天堂(べざいてんどう)創建 |
1508 |
正殿に青石の石「高欄(こうらん)、大龍柱(だいりゅうちゅう)」を設置
この頃北殿(ほくでん)創建 |
1519 |
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)を創建 |
1527 |
〜1555、この頃龍樋(りゅうひ)、首里門(しゅりもん)(守礼門)を創建 |
1546 |
首里城東南の城壁を二重にし、継世門(けいせいもん)を築く |
1609 |
薩摩藩が3,000人の軍勢で琉球に侵攻して首里城を占拠(島津の琉球侵入) |
1621 |
〜1627、南殿(なんでん)創建 |
1660 |
首里城焼失 |
1672 |
首里城再建 |
1682 |
龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)を焼き正殿、屋根に置く |
1709 |
首里城焼失 |
1712 |
首里城再建、1715年に完了 |
1729 |
正殿の玉座を中央に移し、唐玻豊(からはふ)と改名 |
1753 |
寝廟殿(しんびょうでん)、世添御殿(よそえうどぅん)を創建 |
1768 |
正殿の大修理 |
1799 |
識名園(しきなえん)が造営 |
1853 |
ペリー提督来琉、首里城訪問 |
1872 |
琉球藩設置 |
1879 |
首里城の明け渡し、琉球王国が崩壊、沖縄県誕生 |
1925 |
首里城正殿、国宝に指定 |
1928 |
国宝に指定された首里城正殿の昭和の大改修始まる |
1933 |
歓会門(かんかいもん)、瑞泉門(ずいせんもん)、白銀門(はくぎんもん)
守礼門(しゅれいもん)、国宝に指定 |
1945 |
4/1、米軍が沖縄本島に上陸した日に琉球列島米国軍政府が設立される |
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沖縄戦で首里城が焼失 |
1957 |
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)を復元 |
1958 |
守礼門、復元 |
1968 |
円覚寺総門、弁財天堂(べんざいてんどう)復元 |
1972 |
沖縄県の日本々土復帰 |
1974 |
歓会門、復元竣工 |
1977 |
玉陵(たまうどぅん)、復元竣工 |
1984 |
久慶門(きゅうけいもん)、復元竣工 |
1989 |
首里城正殿、復元工事に着手
南殿・番所(ばんどころ)、北殿、奉神門(ほうしんもん)等の復元工事も着手 |
1992 |
首里城公園の一部が開園 |
2000 |
北殿にて「九州・沖縄サミット」社交夕食会開催
首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵が世界遺産へ登録 |
2003 |
京の内 一般公開 |
2007 |
書院・鎖之間(さすのま)、一般公開 |
2008 |
書院・鎖之間庭園、一般公開 |
2009 |
書院・鎖之間庭園、国の名勝に指定 |
2010 |
淑順門(しゅくじゅんもん) 一般公開 |
2014 |
黄金御殿(くがにうどぅん)・寄満(ゆいんち)・近習詰所、奥書院、一般公開。 |