★イギリス | 冒険航海(Adventure Voyage)
ジョン・パウェル船長 1625 カリブ海を探検航海 |
大航海物語★ |
1625 バルバドス上陸・居住350年記念 1975 バルバドス 1975 発行 小型シート |
1625/5/14、ジョン・パウェル船長と乗組員がバルバドス島に上陸、イギリス領を宣言。1627/2/17、最初の移住者がバルバドス島に上陸して、バルバドス島最初の居住地を建設しました。 |
ジョン・パウェル船長 (生年没年不詳) (Captain John Powell) (バルバドス島総督:在任1629/2/26-1629/8/29) 1625年にブラジルからイギリスへ向かっていたジョン・パウェル船長のイギリス船が航路を誤って、1625/5/14にバルバドス島に到着して上陸。イングランド国王ジェームス1世(King James 1)の名においてイギリス領を宣言しました。イギリスに戻った船長は雇い主の商人ウィリアム・コーティーン卿(Sir William Courteen, 1572-1636)にそのことを報告しました。コーティーン卿は直ぐに、パウェル船長へバルバドス島に入植して居住地を建設するように命じましたが、パウェル船長の居住地建設がどうなったかは定かではありません。 コーティーン卿は、1627年に再度、移住者をバルバドス島に送り込みました。第2回目の入植船ウィリアム・アンド・ジョン号(William and John)はパウェル船長の弟ヘンリー・パウェル(Henry Powell)が船長を務め、移住者80人を乗せてバルバドス島に到着。1627/2/17に新居住地(English Settlement in Barbados)が現ホールタウン(Holetown)付近に建設されて、ジェームスタウン(Jamestown)と名付けられました。移住者は入植して粗末な家を作り、作物を植えるも、サンゴ礁の土地で水が不足しました。初代バルバドス島総督にはヘンリー・パウェル船長(在任1627/2/17-1628)が任命されました。 イギリスに戻っていたパウェル船長が、1627年にバルバドス島へ再び来島。パウェル船長は水不足で農業が上手くゆかないことを知って、ガイアナを訪れて、オランダ総督(Dutch Governor in Guyana)に熱帯地方での農作物の栽培方法を聞いて、バルバドス島でヤム(yams)、キャッサバ(cassava)、トウモロコシ(Indian corn)、綿花(cotton)、タバコ(tobacco)などを栽培することを指導しました。 パウェル船長は日付は不明なるも、そのご間もなくさらなる90人の移住者と補給物資をバルバドス島へ輸送しました。当時のバルバドス島総督は第2代ウィリアム・ディーン(William Deane, 在任1628-1628/6)でした。コーティーン卿は移住者からしばらくの間、何の見返りも得ませんでした。それどころか移住者の離反を防ぐため、給料を支給。その上、現地人やスペイン人からの攻撃から移住者を守らねばなりませんでしたので、補給物資を送り届けました。
・バルバドス島の場所地図
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2018/12/18 |