★インカ
クスコ(インカ)国王
シンチ・ロカ
1230頃
クスコで国王に即位


大航海物語★
Peru
国王シンチ・ロカ

金の杖”タパク・ヤウリ”を持つ
ペルー 1998/7/17 発行

国王シンチ・ロカ (生年没年不詳〜1260頃)
  Sinchi Roca
、在位:1230頃〜1260頃
   英:Sinchi Roca、ケチュア語:Waskhar=勇敢で寛大
   第2代クスコ王国々王(サパ・インカ:Sapa Inca)
   誕生の地:クスコ(Cusco、Peru)説有
   終焉の地:クスコ説有
シンチ・ロカは、インカ神話によるとクスコ王国の初期王朝(別名:下王朝)第2代国王で、父は初代サパ・インカ(国王)であるマンコ・カパック(マンコ1世)、そして母はママ・オクリョ(Mama Ocllo)。王妃は姉妹であるママ・コラ王女(Mama Cura.)で、子供に第3代国王リョケ・ユパンキがいました。

クスコ王国は、後にパチャクテク帝の治下でインカ帝国(正式名:タワンティンスウユ)になりましたが、インカ建国神話の1つでは、シンチ・ロカが先導してクスコの谷(valley of Cuzco)に彼の家族と定着したと伝えています。ペドロ・シエサ・デ・レオン(Pedro Cieza de Leon, 1518-1554)の「ペルー年代記(Cronica del Peru, 1553)」は、シンチ・ロカは市街地を建設し、谷に段々畑(terraces)を造り、その土壌を改良するために多量の客土を運び入れて土地を肥沃にしたと書いています。

シンチ・ロカの逸話で「テウオティヒの話(story of Teuotihi)」が伝わっています。テウオティヒは伝言をもたらすために隣国に送られた外交
クスコの段々畑

ペルー 1952-53 発行
官でしたが、到着すると即座に殺され、頭部を欠いた姿でシンチ・ロカの元に送り返されてきました。伝説では、この事件をきっかけとした戦争マウエディピの戦い(Battle of Mauedipi)で、クスコ王国は決定的な勝利を収め、周囲の谷への支配を開始したとされているも、考古学的資料や他の分野における研究成果では彼の統治に関して否定的となっています。

なお、父マンコ・カパックの名の一部である「カパック(Capac)」は将軍という称号になりましたが、「シンチ(Sinchi)」は後に市長又は地域的な統治者の称号として使用されました。

こちらで、
・インカ帝国の始祖マンコ・カパック(マンコ1世)
・インカ最初の皇帝パチャクテク
・インカ10代の皇帝トゥパック・ユパンキ(太平洋探検)
・インカ最後の皇帝アタワルパ
・インカの名目皇帝マンコ2世
を、お楽しみください。

参考HP:〜
インカ帝国の場所地図(インカ道路網)
ペルーの詳細地図(Quito、Tumbes、Cajamarca、Lima、Cuzco有)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     13/3/3
スタンプ・メイツ
Copyright(C):Kosyo
無断転載禁止