★ロシア |
ウラジーミル・コルニロフ提督 1854 クリミア戦争の”セヴァストポールの戦い” |
大航海物語★ |
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ロシア帝国の 軍 艦 旗→ 白地に青色線 大 砲→ イカリ→ |
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ST.Helena 19世紀ロシア帝国ブリッグ型戦艦 Rassian Brig ”Rurik” 1815 セントヘレナ 1998/8/25 発行 |
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古代の戦艦アルゴノート号 | クリミヤ半島 (セバストポール) |
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イ オ ニ ア 海 |
黒 海 ←シノープ |
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ギリシャ エーゲ海 トルコ(小アジア半島) | |||
(Jason & Argonaut) ジョージア 1998/6/23 発行 小型シートより |
コルニロフ提督はクリミヤ戦争中にセヴァストポール要塞司令官となり、港の入口にロシアの艦艇を自沈させて塞ぎ、艦載砲を外して陸に揚げて砲台となし、攻撃してくる敵連合軍に砲弾を浴びせてセヴァストポールを防衛しましたが、敵弾で重傷を負い、48才で亡くなりました。 |
提督ヴラジーミル・アレクサンドロヴィッチ・コルニロフ海軍中将 (1806〜1854) Vice Admiral Vladimir Alexeevich Kornilov ウラジーミル・コルニロフはロシア帝国海軍中将で、クリミヤ戦争(1853-1856)中の最初のセヴァストポール(Sevastopol)要塞防衛戦で、1854/10/17にセヴァストポールのマラコフ丘(Malakhov Hill)で重傷を負い亡くなり、英雄(Hero of Crimea)になりました。 1835年、ロシア帝国バルチック艦隊戦列艦セミストクレス号(Brig Themistocles)に艦長で乗艦。 その後、黒海艦隊へ移動。 1849年、黒海艦隊参謀長(chief of staff)に就任。 1851年、黒海艦隊司令官(chief commander)に就任。 1852年、海軍中将(vice-admiral)に昇進して、事実上の黒海艦隊司令長官。 1853/10、クリミア戦争が勃発。 1853/11/5、コルニロフ提督が旗艦ウラジミール号に乗艦航海中にペンデラクリ(Penderakli)で、 トルコ蒸気式戦艦ペルファズ・バハリ号(19-gun steamship Pervaz-Bakhri)に遭遇、 3時間におよぶ砲撃戦の末にブタコフ艦長のウラジミール号が勝利。 1853/11/30、黒海でシノープの海戦が勃発、勝利。 1854年、セヴァストポールの防衛戦でセヴァストポール要塞司令官となり、港口に自国艦艇を 自沈させて閉塞し、艦載砲を揚陸して連合軍に対抗して、セヴァストポールを防衛しました。 1854年、要塞防衛を指揮中、重傷を負い亡くなり、セヴァストポールの聖ウラジミール大聖堂(St Vladimir Cathedral in Sevastopol)に葬られました。 なお、 1855/7/11にはパーヴェル・ナヒモフ提督がセヴァストポールの聖ウラジミール大聖堂に ミハイル・ラザレフ提督、コルニロフ提督、ウラジミール・イストミン提督とならんで葬られました。 1855/9/7の”マラコフ丘の戦い”(Battle of Malakoff)でのフランス軍との闘いではロシア軍が敗戦。 1855/9/11の総攻撃でセバストポールは陥落しました。 参考HP:〜 ・セヴァストポールの場所地図 上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 09/3/25 |