Colombia 国連 1983 発行 |
切手で綴る 絶海の孤島(Lonly Island) No.34 サン・アンドレス諸島 San Andres Islands |
大航海物語 地図編★ |
サン・アンドレス・イ・プロビデンシア諸島 (アンチール諸島の珊瑚礁島々の配置地図) |
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セラニャ礁→ キトスエニョ礁→ プロビデンシア島→ サンアンドレス島→ |
←セラーナ礁 ←ロンカドール礁 |
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Archipelago de San Andres y Providencia コロンビア 1956 発行 (200%) |
フロリダ→ キューバ島→ ジャマイカ島→ メキシコ→ グアテマラ→ エルサルバドル→ ホンチュラス→ ニカラグア→ コスタ・リカ→ パナマ→ ダリエン湾→ |
Jamaica カリブ海沿岸(スパニッシュ・メイン)の地図 サン・アンドレス諸島の場所地図 赤い矢印の所がサン・アンドレアス諸島 |
←イスパニョーラ島 ←プエルトリコ島 ←トリニダード ←カルタヘナ(赤丸) ←ギヤナ ←南米大陸 |
パナマ↑ ダリエン湾↑ ↑コロンビア ジャマイカ 1992 発行 |
・サン・アンドレス・イ・プロビデンシア諸島 Archipielago de San Andres, Providencia y Santa Catalina 別名:サン・アンドレス諸島(San Andres Islands) サンアンドレス諸島はカリブ海にあるコロンビア領の諸島で、コロンビア本土から北西の方に有って、サン・アンドレス島とその北にあるプロビデンシア島、その他の珊瑚礁(reefs)などと共にコロンビアのサン・アンドレス・イ・サンタ・カタリーナ諸島県を構成していますが、アメリカやジャマイカ、ニカラグア、ホンジュラスも領有権を主張している地域があります。 コロンビアが領有を主張するサンアンドレス諸島を構成する島々:〜 ・サン・アンドレス島 ・プロビデンシア島 ・サンタ・カタリーナ島が付属 ・アルバカーキ諸島 ・クルタウン諸島 ・その他:〜 珊瑚礁(Reefs:リーフ)、環礁(Atolls:アトール)、礁島(Cays(Keys:キー):ケイ)、 岩礁浅瀬(Sand Banks:バンク)、砂洲:浅瀬(Shoals:ショール)など ・アリス・ショール ・バハ・ヌエヴォ・バンク ・セラニャ・バンク ・キトスエニョ・バンク ・セラーナ・バンク ・ロンカドール・バンク サン・アンドレス諸島は小さな山地があるも、ほぼサンゴ礁の平地で、最高地点:約360m、面積:約57ku、人口:約60,000人(2005)、島民は黒人が多く、英語とスペイン語を話し、観光が主な産業で、2000年にユネスコ生物保護圏(UNESCO Biosphere Reserve)の海洋生物保護圏(Seaflower Biosphere Reserve)に指定されました。1629年イギリスの清教徒がサン・アンドレス島などに入植しました。17世紀後半にスペインにより占領され、その後の200年間の間にイギリス、フランス、オランダ、スペインによる島の領有権を巡って争いが続きました。その頃にイギリスの海賊ヘンリー・モーガンが諸島を隠れ基地として住んでいました。後に、イギリスの支配下になり、1793年にスペインとの条約で終了するも、イギリスとの貿易は継続されました。1806年には黒人の奴隷が諸島に送られ、現在の住民はその奴隷の子孫です。ニカラグアがサン・アンドレス島とプロビデンシア島などに統治権を主張するも、1991年にコロンビアの統治権を認めました。国際司法裁判所 (ICJ) は2012/11/19にサン・アンドレス島を含む7つの島がコロンビア領であることを確認した上で、周辺海域の管轄についてはニカラグアの主張を認める判決を出しました。コロンビアのサントス大統領はこの判決を不服として、ICJの管轄権受け入れを義務付けたボゴタ条約(Charter of the Organization of American States,1951:米州機構:Organization of American States)から脱退する意向を示しました(2012/12/1付の日本経済新聞)。 参考:〜 ・サン・アンドレス島 Isla de San Andres 長さ(南北):約12.5km、幅(東西):約3km、県内で最大の島 面積:約26ku、人口:約56,000人(2005)、最高地点:約55m(La Loma)、飛行場が有 県都:サン・アンドレス (City, San Andres)、人口:55,426人(2005)有 小村:ラ・ロマ(Village, La Loma)〜バプティスト教会有 島内の沼湖:ビッグ・ポンド沼(Big Pond)、サラ・ポンド沼(Sara Pond) サン・アンドレス島はニカラグア東約230Km、プロビデンシア島南約80km、コロンビア北西約750km、ニカラグアのコーン諸島(Corn Islands, 面積:12.9 ku)の近くに浮かんでいます。島民は黒人が多く、英語とスペイン語、クレオール語(Creole language)を話し、観光が盛んです。 ・サン・アンドレス島に付属する小さい島々:〜北から ・ジョニー・ケイ(Johnny Cay)〜1.5km北、ココヤシ茂る白砂海岸有 ・コットン・ケイ(Cotton Cay)〜別名:カヨ・サンタンデール(Cayo Santander) ・エル・アクアリョ・ケイ(El Acuario (Aquarium) Cay)〜東の沖に有、ダイビング好適地 ・ヘイネス・ケイ(Haynes Cay)〜クルーズ船のドック有 ・ロッキー・ケイ(Rocky Cay)〜別名:カヨ・ロコッソ(Cayo Rocoso) ・なお、西方海上約80kmにプロビデンシア島に付属する小島クラブ島(Cayo Cangrejo)が有 1504、コロンブスが第4回航海時に望見 1527、スペインの地図に初めて登場 1629、イギリスの清教徒が入植 1631、オランダがイギリスの入植者をプロビデンシア島へ追い出す 1633、西アフリカの黒人奴隷がイギリス商人船でジャマイカ島から送られてくる 現在島の住民はその奴隷の子孫 1635、スペイン艦隊が攻撃、占領 1792、スペイン領グアテマラ総督(1609-1821)の管轄下となる 1802、ヌエバ・グラナダ副王領(1717-1819)ニカラグアのモスキート海岸総督の管轄下となる 1810、ヌエバ・グラナダがスペインから独立 1818、独立の英雄シモン・ボリバル(Simon Bolivar 1783-1830)の軍隊が占領 1821、コロンビア生れの子供に自由が与えられると宣言される(奴隷制廃止) 1822/6/23、グラン・コロンビア(Gran Colombia 1819-1831)の一部となる 1900、フランスが諸島のコロンビア領を承認宣言 1902、米大統領(Theodore Roosevelt 1858-1919)が来島、パナマ領帰属を要求 1912、アメリカがグアノ島法を利用し占領 1920、コロンビアとパナマ間の国境条約がコロンビアの首都ボゴダで調印される 1928-33、米国陸軍が占領(US army occupation) 1928、コロンビアとニカラグア間で国境条約(Esguerra-Barcenas Treaty 1928)が調印されて サン・アンドレス諸島県がコロンビア領と確定される 1943、11月コロンビアが第2次世界大戦に参戦。ドイツ潜水艦Uボートがサン・アンドレス島 で座礁沈没し、その生存者を引取りに行くイギリス軍を輸送する作戦を実施 1953、第19代グスタボ・ピニージャ 大統領(Gustavo Rojas Pinilla 在任1953-1957)が サン・アンドレス港を自由港と宣言 1991、コロンビアでサン・アンドレス・プロビデンシア・イ・サンタ・カタリーナ諸島県が誕生 ニカラグアがそれを承認 2000、ユネスコが海洋生物保護圏に指定 2012、国際司法裁判所が判決を発表
ロッキー・ケイ沖の右前に有 ・プロビデンシア島 Isla de Providencia 長さ(南北):約6.5x4kmのほぼ丸い島、県内で2番目に大きい、飛行場が有 面積:約?ku、人口:約5,011人(2007)、最高地点:約360m 中心地:プロビデンシア(Town Providencia) 付属するサンタ・カタリーナ島(Isla Santa Catalina, 1.5x1.25km)有(100mの歩道橋で連結) プロビデンシア島は直ぐ北に隣接するサンタ・カタリーナ島とは100mの歩道橋で連結されており、火山性の山がちな島でニカラグア東約240Kmで、サン・アンドレス島の北(約80km)にある島です。 ・プロビデンシア島に付属する小さい島々:〜北から ・カヨ・バサルト(Cayo Basalto) ・カヨ・カングレホ(Cayo Cangrejo, 0,02ku) 別名:クラブ島(Crab Cay) ・カヨ・ロス・オレス・エルマニョス(Cayo los Tres Hermanos) 別名:スリーブラザース島(Three Brothers Cay) 1629、イギリスの清教徒がサン・アンドレス島と共に発見 1631、イギリスの540人余りの清教徒が入植 1633、アフリカの黒人奴隷がジャマイカ島から送られてくる 現在島の住民はその奴隷の子孫 1641、スペイン艦隊が占領 1666/01、オランダ海賊(私掠船)エドワード・マンスヴェルト(privateer Edward Mansvelt 1659- 1666)とヘンリー・モーガン船隊がオールト・プロビデンシア(Old Providence)を襲撃 1670/12、海賊モーガンが、守備兵190人のオールト・プロビデンシア(Old Providence)をバッカ ニーア海賊(buccaneers)1000人で襲撃、占領して石造のサンタ・テレサ城塞(Santa Teresa)と他に2ヵ所の砦を建設 1670-71、海賊モーガンが其処をパナマ襲撃基地として使用 それで島の何処かに財宝を隠しているとの噂が伝えられている 1792、スペイン領グアテマラ総督の管轄下となる 1810、ヌエバ・グラナダがスペインから独立 1818、独立の英雄シモン・ボリバル(Simon Bolivar 1783-1830)の軍隊が占領 1991、ニカラグアがサン・アンドレス島と共に島の統治権を放棄、 コロンビアの統治権を認める ココナッツやオレンジなどの柑橘類、漁業などが島の産業で、美しいビーチがあって観光産業も繁盛しています。イギリス領時代の名残りで、イギリス風の建造物が残っており、島民は奴隷の子孫の黒人系が多く英語を幅広く話しています。なお、コロンビアの三つの自然保護区の一つとして面積9.95kuもの広大なオールドプロビデンス・マックビーン・珊瑚礁ラグーンが国立公園(Old Providence McBean Lagoon National Natural Park)に指定(1995)されています。そのラグーン内に有るカヨ・カングレホ島はダイビングなどの観光メッカになっています。 ・アルバカーキ諸島 Cayos de Albuquerque(Cayos de S.W., Southwest Cays) アルバカーキ諸島はサン・アンドレス島の南西に有って、コロンビア最西端の島です。珊瑚礁湖は7kmで南部に ・カヨ・デル・ノルテ(Cayo del Norte)〜1980年迄コロンビア海軍の灯台有 ・カヨ・デル・スール(Cayo del Sur) いずれも高さ:2m程度で、パームヤシ(palm trees)と藪(bushes)、マングローブ(mangroves)が生茂っています。 ・クルタウン諸島 Courtown Cays (Cayos del Este Sudeste:, Cayos de E.S.E.) クルタウン諸島はサン・アンドレス島の東南東22km、アルバカーキ諸島の北東35kmに有って、長さ:14km、幅:4kmの細長い環礁島です。北東には幾つかの砂浜の有る珊瑚礁島(sand cays)が有り、大きい珊瑚礁島は ・カヨ・デル・エステ(Cayo del Este) ・カヨ・ボリヴァール(Cayo Bolivar)〜コロンビア海軍の灯台有 ・ウェスト・ケイ(West Cay) ・カヨ・アレナ(Cayo Arena) いずれも高さ:2m程度で、パームヤシ(palm trees)と藪(bushes)、マングローブ(mangroves)が生茂って、コロンビアとサン・アンドレス島から釣り客が来島しています。ボリヴァール岩礁島にはコンクリートのビル2っが有り、その他には木製小屋(wooden huts)が有ります。 その他の岩礁浅瀬や砂洲浅瀬(Banks & Shoals) ・アリス・ショール Alice Shoal(砂洲浅瀬) アリス・ショールは完全に水没する珊瑚礁で、ジャマイカ島の南西約260km、コロンビアの北西約740km、セラニャ・バンクのイースト・ケイ北東約31km、バハ・ヌエヴォ・バンク西約48kmに有って、直径:約16km、水深:約11mの珊瑚礁湖で、海上に浮き出る島や岩礁は無し。 ・バハ・ヌエヴォ・バンク Bajo Nuevo Bank(岩礁浅瀬)〜1634年オランダの地図に初見有 別名:ペトロール諸島(Petrel Islands) ・ロー・ケイ(Low Cay) ロー礁は長さ:300m、幅:40mの礁湖、高さ2m以下で、珊瑚礁上に21mの灯台が有(1982) ・その他の2つに分かれている。 バハ・ヌエボ礁は西カリブ海にある無人礁群のうちの一っで、一部アメリカ合衆国との領有問題が有。バハ・ヌエボ礁は長さ約26km、幅約9kmで、衛星写真では二つの環礁が最も狭い所で幅1.4kmの深い水路を隔てて並んでいるのが確認され、大きい方は南西のロー・ケイ(Low Cay)と言う小礁で1980年に建てられた21m高の灯台が有。 1634、オランダの地図に初めて登場 1654、現在の名前で登場 1660、イギリスの海賊ジョン・グラバー(John Glover)が礁を再発見。 現在はロブスター漁の漁師が頻繁に来島 1856/8/18、アメリカがペトロール諸島の名で、グアノ島法を利用し領有権を主張 1981、アメリカがサン・アンドレス島とプロビデンシア島周辺の島で、グアノ法で領有したほと んどの島嶼をコロンビアに返還するも、バハ・ヌエボ礁がこれらに含まれるか否かは 不明確で、アメリカ合衆国はアメリカ領であり未編入領域と主張。コロンビアは自国 のサン・アンドレス・イ・プロビデンシア県に所属するとして領有権を主張 またジャマイカ、ニカラグア、ホンジュラスも領有権を主張。 ・セラニャ・バンク Serranilla Bank(岩礁浅瀬)〜1510年スペインの地図に初見有 セラニャ・バンクはニカラグアから北東のカリブ海に浮かび、西110kmにバハ・ヌエヴォ礁島、南西350kmにニカラガのプンタ・ゴルダ(Punta Gorda, Nicaragua)、北東約280kmにジャマイカ島(Jamaica)が有って、小さな岩礁と ・ウェスト・ブレーカー(West Breaker) ・ミドル・ケイ(Middle Cay) ・ビーコン・ケイ(Beacon Cay)〜最大の礁 ・イースト・ケイ(East Cay) ・ノースイースト・ブレーカー(Northeast Breaker)の島が有 1510、スペインの地図上で最初に記される 1879〜1880年、アメリカ合衆国はグアノ島法(Guano Islands Act)を利用して礁を領有 1962、キューバ危機の時に、アメリカは海兵隊の軍事基地と灯台を建設して使用 1982、幾つかの礁がコロンビアに返還されるも、アメリカ合衆国はセラニャ礁がそれらには含 まれていないとし、合衆国未編入地域かつ領有小離島として実効支配。特にウェス ト・ブレーカー、ミドル・ケイ、ビーコン・ケイ、イースト・ケイの領有権を主張 現在コロンビアは自国のサンアンドレス・プロビデンシア県に所属するとし領有権を主張。ロブスター漁師が礁に来島するも、上陸には特別な許可が必要。ホンジュラス(Honduras)とニカラガも領有を主張。 ・キトスエニョ・バンク Quitasueno Bank(岩礁浅瀬) 岩礁(バンク)の長さ:約40km、直径:最高約10km〜礁上に灯台が有 南110 kmにプロビデンシア島が有 キトスエニョ・バンクはカリブ海にあるコロンビアのプロビデンシア島の北にある非常に浅い礁とバンク(岩礁湖)からなる環礁で、 1856、グアノ島法によってアメリカが領有権を獲得する 1982、アメリカがコロンビアに返還。 ・セラーナ・バンク Serrana Bank(岩礁浅瀬) セラーナ・バンクはニカラグアの東360Kmに有って、岩礁と小さな島からなるコロンビア領の環礁。サウス・ウェスト・ケイが最も大きく、南に突出していて、かつてキューバと対立していた間、アメリカ海兵隊が使っていた軍事基地が有。現在は部分的に破壊済。 セラーナ・バンクの岩礁島:〜 ・サウスウェスト・ケイ(Southwest Cay、500x200m)〜コロンビアの灯台が有 ・サウス・ケイ(South Cay, 150x25m) ・リトル・ケイ(Little Cay, 直径100m以下) ・イースト・ケイ(East Cay, 80x40m) ・ナロー・ケイ(Narrow Cay) ・ノース・ケイ(North Cay) ・ノースウェスト・ロック(Norhtwest Rocks) 1526、セラナ・バンクは船の墓場で、スペイン船がこの礁で難破し船が沈没。生存者の乗組 員のペドロ・セラノ船長(Pedro Serrano)ら3人の内1人は死亡。生き残ったセラノ船長 ら2人はボートでこの環礁から脱出をしようとするも失敗 1534、8年間漂流生活後にセラノ船長が救出される 1545、オランダの地図に初見有。オランダがセラノ船長に因んで命名 1660、イギリスの海賊ジョン・グラバーが大部分の岩礁を作図 1972、アメリカとコロンビアとの間で幾つかの礁の主権を認める条約に調印 1981、その条約の条件が有効となる 1982、アメリカはコロンビアに環礁を返還 2007/9/3、カテゴリー5(Category 5)のハリケーン・フェリックス(Hurricane Felix)が上陸・通過 現在セラーナ・バンクにはロブスターの漁師が来島する他、亀の漁師がナロウ・ケイに住んでおり、木の小屋が岩礁上に有。セラナ・バンクへの上陸は特別な許可が必要。 ・ロンカドール・バンク Roncador Bank(岩礁浅瀬) ロンカドル・バンク (ロンカドル礁) は砂の岩礁と浅い環礁で、礁で最も遠い北端がロンカドル・ケイ (Roncador Cay、15x6km)。現在は部分的に破壊されているアメリカの軍事基地が有。 1856、グアノ島法によってアメリカが占領 1894、米海軍ケアサージ号(USS Kearsarge, sloop-of-war, 1,570t)が難破、沈没 1982、コロンビアに返還される 1977、灯台が礁上に建設される。 ・サン・アンドレス・イ・サンタ・カタリーナ諸島県:〜 Archipelago of San Andres, Providencia and Santa Catalina, Department of Colombia 正式名称:サン・アンドレス・プロビデンシア・イ・サンタ・カタリーナ諸島県 (Archipelago de San Andres, Providencia y Santa Catalina) サン・アンドレス・イ・サンタ・カタリーナ諸島県はコロンビアのカリブ海地方の列島にある県で、 ・サン・アンドレス島(Isla de San Andres) ・プロビデンシア島(Isla de Providencia) プロビデンシア島に隣接するサンタ・カタリーナ島(Isla de Santa Catalina) ・その他の珊瑚礁(reefs)など で構成されています。 県都はサン・アンドレス島のサン・アンドレス市 (San Andres、capital city of Department of San Andres, Providencia and Santa Catalina, Colombia)です。 ・プロビデンス島会社 (Providence Island Company) イギリスの勅許会社(Chartered company)プロビデンス島会社はイギリスの清教徒(ピューリタン:Puritans)がサン・アンドレス島とプロビデンシア島を1629年に発見して設立しました。そしてウォーリック伯爵ロバート・リッチ提督(Robert Rich, 2nd Earl of Warwick, 1587-1658)に率いられたイギリスの清教徒の一行が、1631年に現ニカラガ(Nicaragua)に有ったスペイン領モスキート海岸(Spanish Mosquito Coast)東約230Kmのプロビデンス島(Providence Island)に上陸して居住地ニューウェストミンスター(New Westminster)を建設。当初タバコ栽培で入植するも失敗して、砂糖に切り替えました。1641年にプロビデンス島などは、フランシスコ・ピミエンタ提督(Francisco Diaz Pimienta 1594-1652)に率いられたスペイン艦隊(Spanish fleet)がコロンビアのカルタヘナから来島して占拠され、入植地は消滅しました。なお、プロビデンス島会社は、1631〜1635年の間、現ハイチのトルトーガ島(Tortuga、当時イギリス領)にも入植しました。 1629、 イギリスの清教徒がサン・アンドレス島とプロビデンシア島を発見 1631、12/24に最初のイギリス人20人がプロビデンシア島に上陸 その後、540人余りの清教徒が入植 1641/ 05/19、スペイン船隊の大型船7隻とピンネス船4隻が来島 海兵400人と陸兵1,400人がプロビデンシア島東海岸に上陸 05/24、ニューウェストミンスターとその港(Harbor)を攻撃、占領 05/25、スペインは降伏した捕虜350人を捕えるも、 他はニカラグアのモスキート海岸(Mosquito coast)へ逃亡 捕虜はカルタヘナに送還し、奴隷381人と財宝の計500,000ドカート(ducats)分を分捕る。 参考HP:〜 ・サン・アンドレアス諸島の地図(サン・アンドレス・イ・プロビデンシア県) ・サン・アンドレアス諸島の場所地図 ・コロンビアが領有を主張する島々の地図 ・アリス・ショールの場所地図 ・クルタウン諸島の場所地図 (サンアンドレス島、クルタウン諸島(ボリヴァール)、アルバカーキ諸島の場所地図有) ・クルタウン諸島(珊瑚礁)の地図 (ボリヴァール珊瑚礁島、アレナ珊瑚礁島、エステ珊瑚礁島) ・サン・アンドレアス島の地図 ・セラニャ・バンクの航空写真 ・セラーナ・バンクの地図 (サウスウェスト・ケイ、ノースウェスト・ロック、ノス・ケイ有) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 平成 H24:2012/4/15、令和 R3:2021/9/29 |