大航海物語 |
サプライ号の大航海 1788/1、シドニーコーヴ到着 アーサー・フィリップ司令官 |
参考資料 |
NORFOK ISLAND サプライ号 ノーフォーク 1987-88 発行 |
英国旗掲揚式 | サプライ号 |
・サプライ号 HMS Supply、1759、 型式:ブリッグ帆船(brig)、小型3ポンド砲8門(8 small 3-pounder-gun)装備 帆船:2本マスト 重量:170屯 乗組:250人乗組み 艦長:ヘンリー・ボール大尉(Lieutenant Henry Lidgbird Ball 1756-1818) 船医:アーサー・ボウェス・スミス(James Callam、surgeon) 司令官:アーサー・フィリップ提督がケ−プ・タウンから乗船 1759年、英ロンドンのテームス河造船所で海軍の武装貿易船(armed trader)として進水 海軍の補給船としてテームス港とチャネル諸島間を27年間就役 1787/05/13、イギリス最初の流刑植民地の囚人護送船団(First Fleet transport ship)11隻、 ポーツマスを出帆 1787/10月、アーサー・フィリップ司令官がサプライ号に乗船して、ケ−プ・タウンを出帆 1788/01/18、オーストラリア東岸のボタニー湾(Botany Bay)に到着 1788/01/26、ボタニー湾シドニー・コーヴ(Sydney Cove)のポート・ジャックソン(Port Jackson) に最も小さく、最も古い武装貿易船として最初に到着、その後、1790迄ポートジャ ックン付近の探検調査や居住地建設で重要な役割に従事 1788/12/31、アボリジニのアラバノー(Arabanoo)を捕える、 ノーフォーク島とロード・ハウ島(Lord Howe's Island)に再寄航 1790/03/19、シリウス号がノーフォーク島の珊瑚礁で座礁・沈没、シリウス号が遭難すると サプライ号が唯一の輸送船となり、ポートジャックン港とノーフォーク島間の 輸送任務に10航海も従事 1790/04/17、補給物資を求めてインドネシアのバタビア(Batavia)へ航海 1790/09/19、オランダのチャーター便船ウィークサムヘイド号(Waaksamheid)となる 1791/11/26、サプライ号が帰国のためポート・ジャックソンを出帆 1792/04/21、ホーン岬(Cape Horn)経由で、イギリスのプリマス(Plymouth)に到着・帰国 1792/07月、競売で売られ、トーマス・ナンシー号(Thomas and Nancy)として、27年間も テームス河(Thames)とチャネル諸島(Channel ports)間で海軍の石炭を輸送 1819年、廃船処分 参考HP:〜 ・ノーフォーク島の場所地図 ・ポートジャックンの地図(シドニー市街地有) ・オーストラリアの州別地図(日本語) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2012/7/25 |