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★フランス | シャルコット 1908 ラウベッドランド発見 |
大航海物語★ |
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BRITISH ANTARCTIC TERRITORY |
TERRES AUSTRALES ET ANTARCTIQUES FRANCAISES |
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シャルコット と ポーラー・パス号 イギリス南極地方 1975-80 発行 |
南極の地図 南極条約 20年 記念 フランス南極地方 1981 発行 |
シャルコット フランス南極地方 1961 発行 |
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シャルコット と ポーラー・パス号 |
1867 シャルコット生誕140年記念 2007 フランス 2007 発行 |
シャルコットはフランス南極探検隊を率いて、1904−07年と、1908−10年に南極海へ探検調査に行き、1908年に南緯 69°45′の地点に到達し、ラウベッドランド他を発見しました。その後、北極海方面の探検に行き、アイスランドで亡くなりました。 |
ジャン・バプチスト・シャルコット Jean-Baptiste Charcot (1867/7/15〜1936/9/16) シャルコットはフランスのパリ(Neuilly-sur-Seine)で、医者の家庭(父が神経科医師)に生れ医者になり、極地科学者になり、フランスの科学者として名声を博しました。 1904年にフランスの南極探検隊の指揮官に任命され、フランシス号(Francais)で南極のグラハムランド(Graham Land)へ出帆し、 1905年にジョン・ビスコウ船長が発見した南極半島西岸のアデレード島(Adelaide Island)に到着しました。1898年に発見されていたパーマーアー・キペラゴ氷棚(Palmer Archipelago)と南極半島の西のラウベット海岸(Loubet Coast)の写真を撮り、1907年に帰港しました。 1908年から1910年にかけて、再び南極探検にポーラー・パス号(Pourquoi-Pas)で出帆し、ベリングスハウゼン海の探検調査をしました。1908年に「ラウベット・ランド」を発見し、時のフランス大統領ラウベット(Emile Loubet)に因んで名づけ、マーゲンライト湾(Marguerite Bay)、シャルコット島(Charcot Island)を発見しました。 1925年から1938年までは東グリーンランド(Greenland)と、北極海のスバルバード島(Svalbard)を探検調査しました。そしてアイスランド(Iceland)で、海難事故により69才で亡くなりました。 ・ポーラー・パス号の装備:〜 Pourquoi-Pas、1908
参考HP:〜 ・南極周辺の島の一覧の地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2006/11/5、2010/6/10追記 |