切手で綴る世界遺産シリーズ (日本 No.17
宗像大社と沖ノ島
有史以前
2017
創建
世界遺産登録

日本 NIPPON
世界遺産、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

日本 2018/7/11 発行

宗像大社と沖ノ島
  Munakata-Taisya Shrine and Oki Island

 住所:日本国の福岡県の宗像市(及び福津市内)
 世界遺産:ユネスコの文化遺産(2017)
 (UNESCO World Heritage Site, Type:Cultural)
 正式名称:「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
 英:Sacred Island of Okinoshima and Associated Sites in the Munakata Region
 仏:Ile sacree d'Okinoshima et sites associes de la region de Munakata
宗像・沖ノ島と関連遺産群は、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として、2017年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。日本の世界遺産の中では21番目に登録。福岡県の宗像市及び福津市内にある宗像三女神を祀る宗像大社信仰や、大宮司家宗像氏にまつわる史跡・文化財を対象とするものであり、自然崇拝を元とする固有の信仰・祭祀が4世紀以来現代まで継承されている点などが評価されました。世界遺産委員会では、航海と結びつく世界遺産の少なさを補完する物件という観点からも評価されたといわれています。

・(1) (2)右上の2枚連刷:〜遺産群全景

・上段の左より:〜
沖津宮 遥拝所
(3)沖ノ島の宗像大社沖津宮遥拝所
沖ノ島の沖津宮遥拝所は宗像市大島に有。「宗像神社境内」として国の史跡に指定。
沖ノ島は宗像市大島に有って、「宗像神社境内」として国の史跡に指定。

(4) 宗像大社中津宮
宗像大社中津宮(御嶽山祭祀遺跡を含)は、宗像市大島に有。「宗像神社境内」として国の史跡に指定、本殿は福岡県の有形文化財に指定。中津宮背後に聳える御嶽山々頂に鎮座する御嶽神社の裏で確認された御嶽山祭祀遺跡は、沖ノ島と同時期の露天祭祀遺構。

(5) 宗像大社辺津宮
宗像大社辺津宮は、宗像市田島に有。「宗像神社境内」として国の史跡に指定、本殿及び拝殿は国の重要文化財に指定。境内背後にある高宮祭場の地中にある下高宮祭祀遺跡は沖ノ島および御嶽山祭祀遺跡同様の露天祭祀遺構です。
宗像大社 中津宮

(6) 新原奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)
新原・奴山古墳群は、福岡県福津市の対馬見山系にある津屋崎古墳群の一角を成す古墳群で、東西800メートルの丘陵地上に前方後円墳5基、方墳1基、円墳41基が現存し、国の史跡に指定されています(史跡「津屋崎古墳群」に包含)。5世紀後半〜6世紀後半の古墳時代中期後半に造営され、被葬者は宗像氏関係者と推定。古墳群の名称は、福津市勝浦の字「新原」と「奴山」地区に跨ることによっています。2017年(平成29年)、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして、世界遺産に登録されたのが、古墳が世界遺産に登録された国内最初の例です。

・下段の左より:〜宗像大社神宝館蔵、(国宝)
新原奴山古墳群
(07) 金製指輪
(08) 金銅製龍頭
(09) 奈良三彩有蓋小壺
(10) 三角縁神獣鏡
(背景) 宗像大社沖津宮(沖ノ島)。

・沖ノ島
沖ノ島は、福岡県宗像市に属する、九州本土から約60km離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4kuの孤島。宗像大社の神領(御神体島)で、沖津宮が鎮座。2017年(平成29年)、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして、ユネスコにより世界遺産に登録されました。

沖ノ島(宗像大社沖津宮)は「宗像神社境内」として島全体が御神体で国の史跡に指定、「沖ノ島原始林」が国の天然記念物に指定。また、「福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品・伝福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品」として約8万点の出土品が国宝に指定されており、「海の正倉院」とも呼ばれる由縁となっています。正式版の推薦書では、島の手前にある小屋島・御門柱・天狗岩の三つの岩礁が鳥居の役割を果たしているとし、付帯施設として記載されました。

・大島(筑前大島)
大島は、響灘と玄界灘の境界部に面する福岡県宗像市の島(有人島)。筑前大島ともいい、宗像七浦の一つで、世界遺産の宗像大社中津宮、沖津宮遙拝所が有。キャッチフレーズは「神守る島」。

・宗像大社(むなかたたいしゃ)
宗像大社は福岡県宗像市にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社で現在は別表神社。日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社。また、あらゆる道の神としての最高神、貴(むち)の称号を伊勢神宮(おおひるめのむち)、出雲大社(おおなむち)に並び持ち、道主貴(みちぬしのむち)と称します。神宝として古代祭祀の国宝を多数有し、裏伊勢とも称されます。2017年(平成29年)、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして、世界文化遺産に登録されました。
・主祭神:〜総称:宗像三女神(宗像大神)
 ・沖津宮(おきつぐう)〜田心姫神(たきりひめ)
宗像大社 辺津宮
 ・中津宮(なかつぐう)〜湍津姫神(たきつひめ)
 ・辺津宮(へつぐう)〜市杵島姫神(いちきしまひめ)

昭和29年以来十数年に渡り沖ノ島の発掘調査が行われ、4世紀から9世紀までの古代祭祀遺構や装飾品などの大量の祭祀遺物(奉献品)、この他に縄文時代から弥生時代にかけての石器や土器などの遺物が発見されました。このことから、沖ノ島は俗に「海の正倉院」と呼ばれており、有史以前の古代から海人族らの信仰の対象とされていたことが偲ばれます。

・宗像大社の略史:〜
伝承では日本神話に起源を持ち、天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神が素戔嗚の剣を噛み砕き、プッと吹き出した破片から生まれたのが宗像三女神です。彼女たちはアマテラスの神勅を奉じて、皇孫ニニギノミコトを見守り助けるため海北道中、玄界灘に浮かぶ筑紫宗像の島々に降り、この地を治めるようになったのが宗像大社の起源だとされています。

宗像は古事記(712)では胸形という字が当てられ、また胸肩、宗形とも表記されるも、もとは水潟であったとする説も有。古くから当地の民の氏神として信仰を集めてくるも、神功皇后が三韓征伐の際ここ
三角縁神獣鏡
に航海の安全を祈り霊験があったといわれ、事あるごとに宗像に奉幣使を派遣する習いになりました。大和朝廷(古墳時代、3世紀中頃-7世紀頃)から重視され、古来遷都の度に宮中の賢所(かしこどころ)に当社の分霊が奉斎されました。またこの逸話からは航海安全の守護神として崇められるようになった経緯がわかります。

律令制導入(7世紀後期)により国郡制が布かれると宗像一郡が神領として与えられ、当地・筑前の豪族宗形氏(神代-上代-古代-中世-幕末(1868)明治維新)が神主として神社に奉仕し、神郡の行政も司ることになりました。鎌倉時代(1185-1333)以降、宗形氏の後身で大宮司家の地位を世襲した宗像氏が武士化し、有力な国人領主に成長するも、戦国時代(1467-1590)には大内氏・大友氏・少弐氏など近隣の大名同士の戦争に動員され、宗像大社も軍事攻撃の対象となってたびたび放火・破壊を受け、その宗像氏も衰退しました。しかしそのつど朝廷や武家の信奉があり再建を繰り返しました。

こけら葺きの大屋根が美しい現在の辺津宮本殿は、天正6年(1578)に大宮司宗像氏貞(1545-1586)が再建、辺津宮拝殿は筑前領主だった小早川隆景によって天正16年(1590)に再建されました。辺津宮の本殿拝殿ともに国の重要文化財に指定。宗像氏が担ってきた祭祀はその後、草刈氏(草刈重継:1558-1616)に引き継がれました。江戸時代には筑前福岡藩主黒田氏などによる社殿の造営・修理、社領の寄進などが度々伝えられています。その後、幕末から明治の廃仏毀釈により神宮寺だった屏風山鎮国寺は大社から切り離され、太平洋戦争の後、荒廃していた境内は赤間(宗像市赤間地区)出身で、幼い頃より宗像大社を崇敬していた実業家、出光佐三(1885-1981)の寄進で整備されました。

エジプト考古学者の吉村作治氏(1943-)が提唱し、沖ノ島及び宗像地域の祭祀遺跡などを世界遺産にする運動が起こり、2009年に「沖津宮・中津宮・辺津宮」及び「沖津宮遥拝所と沖ノ島全体」を含めて、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として暫定リストに追加掲載、2015年には推薦候補となり、2017年7月、ポーランドクラクフでのユネスコ世界遺産委員会で、正式に世界遺産に登録されました。

参考HP:〜
宗像・沖ノ島と関連遺産群の場所地図 (日本語:世界遺産)
日本の世界遺産分布地図 (日本語)

こちらで世界遺産の
琉球王国 (日本)
白神山地 (日本)
姫路城 (日本)

ヌビア遺跡 (エジプト)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
ピラミッド (エジプト)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     2018/10/23

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