大航海物語 切手で綴る世界遺産シリーズ (日本 No.8
日光東照宮
1617(元和3)創建


参考資料
日本 Nippon
世界遺産、東照宮・二荒山神社・輪王寺
徳川家康公は没後に東照宮で神君となる

日本 2001/2/23  発行

・日光東照宮
  Niko-Tosyogu
  (住所:栃木県日光市山内2301)
   世界遺産:ユネスコの文化遺産(1999, Cultural Heritage Site)
   正式名称:日光の社寺
   (Shrines and Temples of Nikko)
日光東照宮は日本の関東地方北部の栃木県日光市にある神社で、江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀っていて、日本全国の東照宮の総本社的存在です。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」ですが、他の東照宮と区別するため、「日光東照宮」と呼ばれています。

東国の精神的中心としての歴史は徳川氏の東照宮よりも遥かに早く、遅くとも源義朝(1123-1160)による日光山造営までさかのぼれ、さらに源頼朝(1147-
徳川家康公

レソト 2001 発行
1199)がその母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心でした。徳川氏の東照宮造営はこの歴史を巧みに利用したものと考えられています。

元和2年4月17日(1616/6/1)、徳川家康は駿府(現:静岡)で75才の生涯を閉じて亡くなり、遺言で家康公が目指した「八州の鎮守」となるため、遺骸は駿河国の久能山に葬られ、同年中に久能山東照宮の完成を見るも、翌・元和3(1617)年、下野国日光に改葬されました。同年4月に社殿が完成し(作事奉行は藤堂高虎:1556-1630)、朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受け、4月8日(5/12)に奥院廟塔に改葬され、4月17日(5/21)に遷座祭が行われました。なお、改葬の際、吉田神道と山王神道のどちらで祀るかで論争となるも、天海僧正(1536-1643)が主張した山王一実神道が採用され、薬師如来を本地仏とする神仏習合で祀られました。

寛永11年(1634)には、9月か10月に3代将軍・徳川家光が日光社参し、今日見られる荘厳な社殿への大規模改築(寛永の大造替)が、寛永13(1636)年の21年神忌に向けて着手されました。総奉行(日光造営奉行)は秋元泰朝、作事奉行は藤堂高虎。普請は江戸はもとより京・大阪からも集められた宮大工達が、作事方大棟梁・甲良宗広一門の差配の下で務めました。この年は江戸に来訪
した朝鮮通信使が対馬藩主・宗氏の要請で日光参詣を行って、将軍家の政治的威光にも利用されました。正保2(1645)年に朝廷から宮号が授与されて東照社から東照宮に改称しました。国家守護の「日本之神」として、翌年の例祭からは朝廷からの奉幣が恒例となり、奉幣使(日光例幣使)が派遣されました。

明治元(1869)年の神仏分離により、日光は神社の「東照宮」、「二荒山神社」、寺院の「輪王寺」の二社一寺の形式に分立。現在でも、一部の施設について東照宮と輪王寺の間で、帰属について係争中です。1873(明治6)年に東照宮は別格官幣社に列せられ、第2次世界大戦(1941-1945)後は神社本庁の別表神社となるも、1985(昭和60)年に神社本庁を離れて単立神社となりました。
陽明門

日本 1952 発行

・社殿にある動物:〜
 ・三猿(見ざる 言わざる 聞かざる)
 ・眠り猫
 ・眠り猫の裏面にいる雀たち
日光東照宮を訪ねると様々な建物に多様な動物の木彫像を見れます。これらの動物のほとんどは平和を象徴していて、眠り猫は踏ん張っていることから、実は「家康を護るために寝ている」と見せかけ、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれていますが、もう一つの教えは、裏でが舞っていても「猫も寝るほどの平和」を表しているといわれています。神厩舎には猿の彫刻を施した8枚の浮彫図があり、猿が馬を守護する動物であるという伝承から用いられています。この8枚で猿の一生が描かれており、ひいては人間の平和な一生の過ごし方を説いたものといわれています。日光の木彫像の中で「眠り猫」
東照宮・眠り猫

日本 2001  発行
に続いてよく知られている「見ざる、言わざる、聞かざる」で 有名な三猿は、この神厩舎に造られたものの1枚です。なお、「見ざる、言わざる、聞かざる」は「幼少期には悪事を見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えです。これらの彫刻は江戸時代初期に活躍したと伝えられている左甚五郎(生年没年不詳)の作品といわれています。

・日光東照宮と陰陽道:〜
家康公が不動の北極星から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとして、日光東照宮は陰陽道の強い影響を受けています。本殿前に設けられた陽明門とその前の鳥居を中心に結んだ上空に北辰(北極星)が来るように造られているといわれています。また、その線を真南に行けば江戸に着くとされ、さらに、主要な建物を線で結ぶと北斗(北斗七星)の配置と寸分違わぬよう設計されているといわれ、そのため、陽明門前の写真店屋のある辺りが気学における四神相応(しじんそうおう)の土地相とされています。ただし、実際は江戸城本丸から日光東照宮本殿への方位角は、およそ南北の位置関係にあると言える程度となっています。
北斗七星

日本 1952 発行

・文化財:〜
東照宮〜建造物
・国宝(8棟)
 ・本殿、石の間及び拝殿 合1棟
 ・正面及び背面唐門 2棟
 ・東西透塀 2棟
 ・陽明門 逆柱(さかばしら)が有
 ・東西回廊 2棟(附 潜門)
・重要文化財(34棟)
 ・上社務所
 ・神楽殿
 ・神輿舎
東照宮・唐門
 ・鐘楼
 ・鼓楼
 ・本地堂
 ・経蔵
 ・五重塔など
その他、美術工芸品など。
東照宮・陽明門

国連世界遺産シリーズ
国連NY 2001/8/1 発行
二荒山神社
・重要文化財
 ・本殿
 ・唐門
 ・掖門及び透塀」2棟
 ・拝殿
 ・鳥居
 ・神輿舎
 ・大国殿
 ・末社朋友神社本殿
 ・末社日枝神社本殿
 ・神橋、など。
二荒山神社・本殿

輪王寺〜建造物
・重要文化財(16棟)
 ・本堂(三仏堂) (附 銅燈籠2基)
 ・護法天堂
 ・本坊表門
 ・開山堂、など
・国宝
 ・大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿(合1棟)(附厨子1基)
・重要文化財(21棟)
 ・唐門
 ・瑞垣 掖門
 ・御供所
 ・御供所渡廊
 ・夜叉門(附 左右袖塀)
 ・夜叉門左右回廊 2棟(附 潜門)
 ・鐘楼
 ・鼓楼
 ・二天門(附 左右袖塀)
 ・西浄
 ・水屋
 ・宝庫
輪王寺大猷院霊廟・拝殿、本殿
輪王寺大猷院・二天門・風神、雷神
 ・仁王門(附 左右袖塀)
 ・皇嘉門(附 左右袖塀)
 ・銅包宝蔵、など。

参考HP:〜
日光東照宮の公式HP
日光東照宮の三猿の木彫像

こちらで
 ・江戸城
世界遺産の
 ・石見銀山 (日本)
 ・アンコール・ワット (カンボジア)
 ・ワット・プー (ラオス)
 ・ピラミッド (エジプト)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。      09/6/19
スタンプ・メイツ
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