大航海物語 |
レディー・ペンリン号の大航海 1788、ペンリン環礁島を命名 ウィリアム・セヴァー船長 |
参考資料 |
・レディー・ペンリン号の大航海 Lady Penrhyn 帆船:3本マスト 重量:338屯 乗組:252人 船長:ウィリアム・クロプトン・セヴァー(master William Cropton Sever)、共同船主 船医:アーサー・ボウェス・スミス(Arthur Bowes Smyth、surgeon) 医師:ジョン・ターンペニー・アルトリー(John Turnpenny Altree、surgeon)対囚人 レディー・ペンリン号の大航海:〜 1786、テームス河造船所で進水 1787/05/13、イギリス最初の流刑植民地への囚人護送船団(First Fleet transport ship)11隻 女囚(female convicts)101人がレディー・ペンリン号に乗船してポーツマスを出帆 1788/01/26、シドニー・コーヴのポート・ジャックソン(Port Jackson, Sydney, Australia)到着 1788/03/25、ケープ・タウンから食料を輸送して到着、オーストラリアへ種馬1頭(stallion)、コ ルト種小馬1頭(colt)、雄馬3頭(mares)、雌馬2頭(fillies)を運んだ最初の船 1788/05/05、イギリス東印度会社(British East India Company)が傭船してイギリス南海会社 (South Sea Company、1711-1838)許可証を積んで北へとポートジャックソンを 紅茶を求めて中国へと出帆 1788/05/31、ニュージランドとトンガ間にあるケルマディック諸島(Kermadec Islands) を望見、マッコーレイ(McCaulay)に因んでマコーレイ島(Macauley Island) と命名、カーティス島(Curtis Island, New Zealand)を船の共同船主(part-owner) のロンドン市長ウィリアム・カーティス(Sir William Curtis 1752-1829)に因ん で命名、タヒチ到着後、船体の修理と乗組員の治療後に出帆 1788/08/08、ペンリン環礁島に寄航・上陸・命名 1788/10/09、マカオ到着、広東(Canton 現:広州市 Guangzhou)へ北上、 到着後、紅茶を積んで出帆 1789/08、イギリスに到着・帰国 参考HP:〜 ・ペンリン環礁島の地図 ・ペンリン環礁島の場所地図(日本語) ・ブラックバーディング(blackbirding)の拡大地図 ・ケルマディック諸島の地図 ・カーティス島の写真 ・クック諸島の場所地図(広域地図) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 12/6/6 |