大航海物語
レディー・ペンリン号の大航海
1788
、ペンリン環礁島を命名
ウィリアム・セヴァー船長

参考資料
PENRHYN
18-19世紀のイギリス商船

画像はバルカサ号(BULCUTHA 1886)
ペンリン 1981 発行

ペンリン環礁

ペンリン 1974−75 発行

レディー・ペンリン号の大航海
  Lady Penrhyn

   帆船:3本マスト
   重量:338屯
   乗組:252人
   船長:ウィリアム・クロプトン・セヴァー(master William Cropton Sever)、共同船主
   船医:アーサー・ボウェス・スミス(Arthur Bowes Smyth、surgeon)
   医師:ジョン・ターンペニー・アルトリー(John Turnpenny Altree、surgeon)対囚人

レディー・ペンリン号の大航海:〜
1786、テームス河造船所で進水
1787/05/13、イギリス最初の流刑植民地への囚人護送船団(First Fleet transport ship)11隻
        女囚(female convicts)101人がレディー・ペンリン号に乗船してポーツマスを出帆
1788/01/26、シドニー・コーヴのポート・ジャックソン(Port Jackson, Sydney, Australia)到着
1788/03/25、ケープ・タウンから食料を輸送して到着、オーストラリアへ種馬1頭(stallion)、コ
        ルト種小馬1頭(colt)、雄馬3頭(mares)、雌馬2頭(fillies)を運んだ最初の船
1788/05/05、イギリス東印度会社(British East India Company)が傭船してイギリス南海会社
        (South Sea Company、1711-1838)許可証を積んで北へとポートジャックソンを
        紅茶を求めて中国へと出帆
1788/05/31、ニュージランドとトンガ間にあるケルマディック諸島(Kermadec Islands)
        を望見、マッコーレイ(McCaulay)に因んでマコーレイ島(Macauley Island)
        と命名、カーティス島(Curtis Island, New Zealand)を船の共同船主(part-owner)
        のロンドン市長ウィリアム・カーティス(Sir William Curtis 1752-1829)に因ん
        で命名、タヒチ到着後、船体の修理と乗組員の治療後に出帆
1788/08/08、ペンリン環礁島に寄航・上陸・命名
1788/10/09、マカオ到着、広東(Canton 現:広州市 Guangzhou)へ北上、
        到着後、紅茶を積んで出帆
1789/08、イギリスに到着・帰国

参考HP:〜
ペンリン環礁島の地図
ペンリン環礁島の場所地図(日本語)
ブラックバーディング(blackbirding)の拡大地図
ケルマディック諸島の地図
カーティス島の写真
クック諸島の場所地図(広域地図)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     12/6/6
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