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(VI) ボランティア「とほほ」日記・続編 |
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・06/5/2(火)今日は足の激痛に絶えかねて、病院へ行ってきた。てっきり蕁麻疹だと思って、内科に受診票を出していたら、親切な看護婦さんが、「これは皮膚科ですよ」と言ってくれたんで、皮膚科で診てもらった。そしたら、なんと”帯状疱疹”だとの診断だった。 しばらくは、治療・養生に専念しなければ、痛みが治らへんようだ。とほほ! |
日本の点字切手 点字で「リハビリテーション」と刻印 ”世界地図とシンボルマーク” リハビリテーション世界会議記念 昭和63年(1988/9/5)発行 |
イタリアの点字切手 点字はイタリアでは考案者ルイ・ブライユにちなみ ブライユ・システムといわれています イタリア 発行 |
・06/2/24(金)兵庫県警の「金曜コンサート」へエスコート; 兵庫県警音楽隊の「金曜コンサート」へ障害者をエスコートして、県庁西隣の県民小劇場に行ってきた。12:20から始まった音楽隊の演奏は「ピンクレディーメドレー」なんかもあったが、最後は勇壮なマーチ「星条旗よ永遠なれ」だった。その後、近くのレストランで昼食となった。テーブル上の説明をしていたら、「未だ、だいたい分かるんです」と言われてしまった。とほほ! ・06/2/14(火)今日は”The St.Valentine's Day”で新神戸オーパへ買い物支援にエスコートする予定が、どうしても都合が付かず参加できなかった。「義理チョコ」をもらえると思っていたのに。とほほ! ・06/2/16(木)あいにくの雨の中を宇都宮からの全盲のご夫妻を神戸空港へ外出支援ボランティアとして行ってきた。そしてその帰りに神戸空港内を見物した。交通アクセスは三宮からポートライナーで20分とトテモ便利だった。 |
・点字について; 1829年頃、フランスのルイ・ブライユ(Louis Braille, 1809〜1852年)によって考案されたが、そのアイデアについては次の諸説がある。 (1)点字は、ルイ・ブライユがパリの盲学校の生徒だった時に仲間同士で通信しあっていた暗号だったとする説。 ナポレオン戦争が終わり大革命以来の混乱もようやくおさまりかけた頃の1785年頃ヴァランタン・アユイValentin Hauy 1745〜1822)が世界で最初(1784年)にパリで盲学校を創設した。そこでは目が見えない人に適した文字はなく、ただふつうの文字を大きく書いて盛り上げたものを使っていた。生徒達はこれに満足せず自分達で暗号を作って通信しあっていた。この元となる暗号を作ったのがブライユだといわれている。この暗号をブライユが点字のコード体系(暗号化のシステム)として完成した。 (2)点字は、軍用の暗号が元になっているとする説。 ナポレオン時代フランスの砲兵大尉シャルル・バルビエ(1767〜1841)が夜でも触覚だけで読むことができる伝令の秘密保持のための暗号用文字を考案した。これが点字の基礎となったといわれていて、その後、ルイ・ブライユが改良を加えて6点点字となったということだ。 (3)フランスの砲兵大尉バルビエが、夜でも触覚だけで読むことができる暗号用文字を考案しそれを盲学校に持ち込んでいた。ブライユがその欠点を改良し、読みやすい6点式の点字を作ったのは1825年、彼が15歳の時のことだった。しかし、この点字はすぐには認められず、パリの盲学校でもなかなか採用されなかった。ブライユは母校の教師をしながらこの点字の研究と改良を続け公認されることを望んだがフランス政府が正式に6点点字を認めたのは、彼の死後2年(1854)経ってからのことだった。 ・このため、この人の名前にちなんで「ブライユ点字」といい、フランス語では点字のことを”ブライユBraille”、英語では”ブレールBraille”という。ルイ・ブライユの点字コード(暗号)のシステムは現在のコンピュータ・コードと本質的に同じものだといわれ、また、その頃アメリカではモールスが電信のモールス符号を考案している。 ・日本の点字は1890(明治23)年11月1日に東京盲学校の石川倉次(1859〜1944)がルイ・ブライユの精神にもとづいて日本語に合うように考案した.。 ・なお、明治12(1879)年に日本最初の公立盲学校・聾唖学校として府立盲唖院が京都で開校している。 |
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