切手で綴る世界遺産シリーズ (日本 No.6)
厳島神社
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・厳島神社 客神社 | ・空撮の厳島神社(シート地) | ||
・本社 正面 | |||
・狛犬 | ・客神社と五重塔 | ||
・舞楽面 | ・飾馬 | ・能舞台 | |
・多宝塔 | ・大元神社 |
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日本 NIPPON 厳島神社 第3次国宝シリーズ第4集 日本 1988/06/23 発行 |
Nation Unies 厳島神社 国連世界遺産シリーズ 国連NY 2001/8/1 発行 |
・嚴島神社 Itsukushima Shinto Shrine (安芸の宮島に有) 世界遺産:ユネスコの文化遺産(1996) (UNESCO World Heritage Site, Type:Cultural) 正式名称:厳島神社 英:Itsukushima Shinto Shrine 仏:Sanctuaire shinto d'Itsukushima 所在地:広島県廿日市市宮島町 厳島神社(嚴島神社)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」全国に約500社ある厳島神社の総本社。1996/12月にユネスコの世界文化遺産に「厳島神社」として登録されました。 厳島神社は広島湾に浮かぶ厳島(宮島)の北東部、弥山(標高535m)北麓に鎮座。厳島は一般に「安芸の宮島」とも呼ばれ日本三景の1つになっています。厳島神社の平舞台(国宝:附指定)は日本三舞台の1つで、海上に立つ高さ16mの大鳥居(重要文化財)は日本三大鳥居の1つです。また、夏には例祭「管絃祭」が行われます。主祭神は、宗像三女神(市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の総称)で、市杵島姫命は神仏習合時代には仏教の女神の弁才天と習合し、隣接する大願寺と一体化して大伽藍を構成していました。現在の大願寺は「日本三大弁才天」の1つです。 平家からの信仰で有名で、平清盛により現在の海上に立つ大規模な社殿が整えられました。社殿は現在、本殿・拝殿・回廊など6棟が国宝に、14棟が重要文化財に指定されている。そのほか、平家の納めた平家納経を始めとした国宝・重要文化財の工芸品が多数納められています。 社伝では、推古天皇元年(593年)、当地方の有力豪族・佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建。文献での初出は、弘仁2年(811年)に名神に預かったという記事。平安時代中期の「延喜式神名帳」では「安芸国佐伯郡 伊都伎嶋神社」と記載されて名神大社に列した他、安芸国一宮とされました。その頃には神職は佐伯氏が掌握。この社格が昇っていく過程で祭神が整備されていったと考えられており、祭神の市杵島姫命が明記されるのは「一宮記」以降。平安時代末期、神主・佐伯景弘と当時の安芸守・平清盛の結びつきを契機に平家一族から崇敬を受けました。仁安3年(1168年)頃、平清盛が社殿を造営し現在と同程度の大規模な社殿が整えられました。 平家一門の隆盛とともに厳島神社も栄えて平家の氏神となりました。平家滅亡後も源氏をはじめとして時の権力者の崇敬を受けるも、建永2年(1207年)と貞応2年(1223年)の2度の火災で建物の全てを焼失しました。そのため、現在残る社殿は仁治年間(1240年-1243年)以降に造営されたものです。 戦国時代に入り世の中が不安定になると社勢は徐々に衰退する。毛利元就が弘治元年(1555年)の厳島の戦いで勝利を収めて厳島を含む一帯を支配下に置き、厳島神社を崇敬するようになると再び隆盛しました。元就は大掛かりな社殿修復を行ないました。また、豊臣秀吉が九州遠征の途上で厳島神社に参拝し、大経堂(現 千畳閣)を造営しました。江戸時代には厳島詣が民衆に広まり、門前町や周囲は多くの参拝者で賑わいました。明治維新後、神仏分離により大聖院(旧別当寺)、大願寺といった寺院が独立しました。明治4年(1871年)近代社格制度において国幣中社に列し、明治44年(1911年)に官幣中社に昇格しました。
参考HP:〜 ・厳島神社の場所地図(日本語) ・厳島神社の社殿(写真) こちらで世界遺産の ・日光東照宮 (日本) ・アンコール・ワット (カンボジア) ・ワット・プー遺跡 (ラオス) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 14/8/23、 2017/3/31 |