★ロシア |
アファナシイ・ニキティン 1466〜1472 三つの海を越えてインドへ大航海旅行 |
大航海物語★ |
旅行地図 | ←ニキティンの銅像 ←インド ←船の船首 |
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アラビア海→ |
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BULGARIA ロシアの地図 1917 ロシア10月革命50周年記念 1967 ブルガリア 1967 発行 |
SULTANATE of OMAN アラビア海とインド洋の地図 オマーン 1981/11/23 発行 |
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RSSIA
ロシア 2003 発行 |
SULTANATE of OMAN アラビア半島・マスカット港 オマーン 1981/11/23 発行 |
ロシアの商人ニキティンは1466年にトヴェリを出帆、ボルガ河を下って、アストラハンへ行きカスピ海を縦断、デルベント、バクーを経て、ペルシャに到着、そこで1年間を過ごし、アラビア海を横断してインドに行き着きました。帰路にはソマリア、マスカット、トラブゾンを経て、黒海を渡って、クリミア半島のフェオドシヤに着き、帰国しました。帰国後に「三つの海(カスピ海、アラビア海、黒海)を越えて」という著述を発表しました。 |
アファナシイ・ニキティン (生年不詳〜1472) Afanasiy Nikitin (アタナシオス・ニキチンとも) モスクワ大公ヴァシーリー2世の治世前半の1420年代から1450年代、モスクワ大公国の時期にトヴェリ(Tver、ヴォルガ川に面するロシア連邦の都市)大公ボリス・アレクサンドロヴィチ(Boris Alexandrovich 在位:1426-1461)がロシアの商人アファナシイ・ニキティンに「金やダイヤ」の探索のためインドに向かうよう命じました。 1466年にインドへの商業旅行へとロシアのトヴェリ州を流れる河川でヴォルガ河の左支流とトヴェルツァ川(Tvertsa River)の合流点にある街トヴェリ(Tver)を出帆。ヴォルガ河(Volga River)を下ってアストラハン(Astrakhan)へ行き、ロシア最南端(ロシア最古)の都市でダゲスタン共和国第2の都市で、当時はペルシャのシルヴァンシャー朝の支配下だったデルベント(Derbent)、アゼルバイジャン共和国の首都で、カスピ海西岸に突き出したアブシェロン半島南岸にある港町バクー(Baku)を経て、カスピ海(Caspian Sea)を縦断し、ペルシャ(Persia)に到着、そこで1年間を過ごしました。1469年の春にホルムス(Ormus)に到着。アラビア海を横断してインドのイスラム王朝バフマニー(Bahmani Sultanate、1347-1482)に着いて、3年間を過ごしました。 帰路に、東アフリカの「アフリカの角」と呼ばれる地域を領域とするソマリア(Somalia)、アラビア海にのぞむオマーン最大の港湾都市マスカット(Muscat, Oman)、黒海沿岸のトルコの都市トラブゾン(Trabzon)を経て、1472年に黒海(Black Sea)を横断し、ウクライナ南部の都市でクリミア半島東海岸のフェオドシヤ(Feodosiya)に着き、そこからトヴェリに帰り着きました。 帰国後の1472年に、1466年から1472年までの、ヨーロッパ人最初のインド旅行記「三つの海を越えて」(A Journey Beyond the Three Seas)を書き発表しました。その年の秋にスモレンスク(Smolensk)近郷に行き、そこで亡くなりました。 参考:〜
参考HP:〜 ・ヴォルガ河の地図(モスクワの北方にトヴェリが有) ・デルベントの地図 ・バクーの地図 ・カスピ海の地図(アストラハン、デルベント、バクーが有) ・ペルシャの地図 ・ホルムス海峡の地図 ・インドの地図(バフマニーが有) ・ソマリアの地図 ・オマーンの地図(マスカット有) ・黒海の地図(トラブゾン有) ・フェオドシヤの場所地図 ・スモレンスクの場所地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 08/8/20、 10/6/26追記 |