Pirates of Caribbian
Cross Bone
海賊イスラエル・ハンズ船長
1718
海賊船の船長となる

大航海物語
 ★カリブ海
CAYMAN ISLANDS
海賊イスラエル・ハンズ船長

ケイマン 1975/7/25 発行 (200%)

Sierra Leorne
スクーナー型帆船

シェラレオーネ 1984 発行
Jamaica
商船を襲うカリブの海賊船

MERCHANTMAN SURENDERING
TO PIRATE SCHONER

ジャマイカ 1971/5/10 発行
海賊の旗印 ”クロスボーン”

イギリス 1971 発行

St.Helena
イギリスのフリゲート型軍艦

セントヘレナ 1998/8/25 発行
St.VINCENT
アメリカ南部、メキシコ湾、カリブ海、大西洋の地図

太平洋
ヨ|ロッパ

アフリカ
セントヴィンセント 1980/12/4 発行

海賊イスラエル・ハンズ (生年没年不詳)
 
Israel Hands
  別   名:バシリカ・ハンズ(Basilica Hands:神の手を持つの意)
  乗   船:スループ帆船アドヴェンチュアー号(sloop Adventure)
  活動場所:北米東部沿岸の大西洋、カリブ海
  活動期間:1718/3〜1718/11(船長)
  海賊仲間:海賊黒ひげ船長
  最   期:オクラコーク入江で捕縛後、ヴァージニアで証言して恩赦となり、ロンドン没
イスラエル・ハンズの生い立ちは定かではありませんが、18世紀の「海賊の黄金時代」(Golden Age of Piracy)と呼ばれた時期の海賊の一人だったことは確かといわれています。
イスラエル・ハンズは海賊黒髭(Edward Teach)の副船長(second-in-command)でしたが、ある時に海賊黒髭が手下の野郎を撃った弾がそれて、誤ってハンズ副船長に当りました。1718/3月に海賊黒髭が捕らえたデイヴィッド・ハリオット船長(David Herriot)アドヴェンチュアー号(sloop Adventure)の船長に、イスラエル・ハンズを指名して、海賊イスラエル・ハンズ船長が誕生し、バハマ諸島のニュー・プロビデンス島ナッソー港を拠点の基地にして、海賊稼業を繰り返しました。 海賊黒髭ティーチ船長

バハマ 1980/7/9 発行
イギリスのウッズ・ロジャーズが初代バハマ総督に任命されると、彼は海賊退治に乗り出し、ナッソーを襲撃して基地を壊滅させたため、黒髭とハンズ船長はほうほうのていで逃亡しまし
た。黒髭とハンズ船長はナッソー港から、イギリスの北米カロライナ植民地(1663〜1729)のチャールストン港(Charleston Harbor)近郷の「隠れ家」(というよりは海賊の町 Pirate Town)へ逃げて行き、鳴りを潜めるどころか、数週間すると再び海賊稼業に出帆しました。

1718/5月遅く頃にクイーン・アンズ・リベンジ号とアドヴェンチュアー号、2隻の小型帆船の船隊4隻で北米サウスカロライナのチャールストン港(Charleston, South Carolina)に現れ、5隻の商船を取り逃がしましたが、その他の商船と町を襲って略奪し、チャールストン港を分捕りました。その後、北米ノースカロライナのビューフォ
ディズニーが描く海賊の略奪

タークス・カイコス諸島 1985 発行
ート入江(Beaufort Inlet, North Carolina)のトップセイル入江(Topsail Inlet)でクイーン・アンズ・
リベンジ号ともう1隻の海賊船が座礁したので、黒髭は北米ノースカロライナのオクラコーク島(Ocracoke Island)オクラコーク入江(Ocracoke Inlet)を基地の泊地に変更し、4隻の船隊を停泊して恩赦を受入れ海賊稼業から引退しました。だが、ノースカロライナ植民地ヴァージニア総督スポットウッド(Lieutenant Governor of Virginia, Alexander Spotswood 1676-1740)は評判が悪い略奪者が近くに生きていることを心配するようになり、海軍艦隊で海賊黒髭を退治する決心をして、ロバート・メイナード海軍大佐(Captain Lieutenant Robert Maynard RN 1684-1751)を海賊捜 サウスカロナイナの地図

バルバドス 1976 発行
索討伐隊長に指名しました。

オクラコークの海戦(Battle of Ocracoke Inlet 1718)
  英軍艦4隻が海賊船4隻を攻撃、英の勝利
海軍大佐ロバート・メイナードは42門戦艦パール号(HMS Pearl、fourth-rate 42gun)、20門フリゲート艦ライム号(HMS Lyme、sixth-rate 20gun)、スループ型艦レンジャー号(sloop Ranger)とジェーン号(sloop Jane)の4隻の艦隊を率いてヴァージニアのハンプトン港(Hampton, Virginia)を出帆しました。1718/11/22にオクラコーク入江で海賊黒髭の船隊を発見・襲撃。激戦の後に、海賊黒髭が遂に打ち取られました。
イギリスのフリゲート型軍艦

海賊ハンズ船長は捕らえられ、ヴァージア(Virginia)へ連行されて裁判にかけられました。そして海賊黒髭の悪逆非道ぶりを証言して、恩赦を与えられ赦免になりました。その後の海賊ハンズ船長の消息は様として解りませんが、ロンドンに帰って「物乞い」に身を落として生涯を閉じたという説もあり、そのことから彼はイングランドで生まれたといわれてます。

海賊イスラエル・ハンズ船長は、ニューエル・ワイス(Newell Convers Wyeth 1882-1945)や、小説「ロビンソンクルーソー」の作者ダニエル・デフォー(Daniel Defoe 1659-1731)、小説「宝島」の作者ロバート・ルイス・スティーヴンソン(Robert Louis Balfour Stevenson、1850-1894)などが小説の題材として扱っています。なお、小説「宝島」では、海賊ジョン・シルバー船長の副船長(second-in-command)として、イスラエル・ハンズが描かれて操舵の責任者になっています。

・参考HP:〜
カリブ海の地図
・現ナッソーの場所地図(日本語)
カロライナ植民地の地図(北米)
チャールストン港の地図(Charleston Harbor)
ルイジアナ州の地図(ニューオーリンズ有)
ノースカオライナ東部の地図(Beafortの東がOcracoke島)
オラコーク・インレットの場所地図
オラコーク入江の場所地図(古地図、1775)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     12/10/12、12/11/22
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