切手で綴る世界遺産(エジプト)
フィラエ島の神殿遺跡
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O.N.U. アスワン方面のフィラエ島遺跡 イシス神殿 第二塔門 誕生殿の列柱 第一塔門 |
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国連の世界遺産シリーズ PHILAE, Egypt 国連ジュネーブ(GENEVA) 2005/8/4 発行 |
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イシス神殿の第一塔門の内側(上部) |
国連の紋章 | |||
第一塔門左側 | 誕生殿入口 | 第一塔門右側 | フィラエ神殿保存国際協力 | |
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ユネスコ25年とヌビア遺跡(フィラエ遺跡)保存事業を記念 エジプト 1970/10/24 発行 |
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UAR フィラエ神殿の列柱廊、国連紋章 Pillars, Philae UN Emblem
フィラエ遺跡の保存事業を記念 Inter Coop in Saving Monuments of Nubia エジプト 1965/10/24 発行 |
EGYPT C水没柱、ユネスコ紋章 Submerged Pillar, Philae, UNESCO Emblem
フィラエ遺跡の保存事業を記念 Save Abu Sinbel エジプト 1971/10/24 発行 |
・フィラエ島の神殿遺跡 Philael Temple 所在地:エジプト共和国南部ヌビア地方ナセル湖フィラエ島(旧アギルキア島) (Philae(Agilkia) Island in Lake Nasser, Nubia, southern Egypt) 別 名:イシス神殿(Isis Temple)遺跡 世界遺産:ユネスコの文化遺産(1979) (UNESCO World Heritage Site, Type:Cultural) 正式名称:日:アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群 英:Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae 仏:Monuments de Nubie d'Abou Simbel a Philae アブ・シンベルからフィラエ(イシス神殿)までのヌビア遺跡群は、エジプト南部のナイル川流域にある、古代エジプト文明の遺跡。 フィラエ神殿遺跡は、エジプト南部、アスワン近郊にあるヌビア遺跡にあって、中心となるのが現在残っているイシス神殿で、古代エジプト末期王朝(BC664-BC332)に創建されてから、有名なクレオパトラ7世(Cleopatra VII Philopator, BC69-BC30)の父プトレマイオス12世(Ptolemy XII Auletes, BC117-BC51)が築いたイシス女神を祀るイシス神殿を中心としています。現存する神殿はプトレマイオス朝時代(BC306-BC30)に建設され、その後ローマ時代(BC753-1453)にかけて増築が行われてきたもの。4世紀末にテオドシウス1世(Flavius Theodosius, 347-395)が、帝国内の全ての古代神殿を閉鎖しようとしたとき、フィラエ神殿は抵抗を続け、453年に条約が締結され、周辺地域の宗教的自由が保証されて、条約は約100年間守られました。550年に東ローマ帝国(395-1453)のユスティニアヌス1世(Justinianus I, 483-565)がフィラエ神殿を閉鎖。閉鎖後は、4つのキリスト教会として再利用されました。 アスワン・ダムの建設で半水没状態だったのが、上流のアスワン・ハイ・ダムの建設を機に、1980年にユネスコがフィラエ島(Philae Island)からアギルキア島(Agilkia Island)に移築、保存されることになり、実現しました。現在はアギルキア島がフィラエ島と呼ばれています。 ・イシス神殿(フィラエ島) 建造年 :BC380−AD300年頃 アスワン・ハイダムとアスワン・ダムの間の、ナイル川に浮かぶ小さな島のフィラエ島は、オシリス神の妻でイシス女神が此処でホルス神を産んだとされるエジプトの聖地。この島にはイシス女神のための神殿が築かれ、岩がなく緑多き美しい島として「ナイルの真珠」と呼ばれてきました。 そこは神聖なる島と考えられており、古代エジプト末期王朝からローマ時代に、色々な宗教的建物が建てられていました。その最も大きなものが、古代エジプトにおける有名な女の神様の一人であるイシス神を奉った「イシス神殿」です。エジプト航空のマークでもあるハヤブサの頭のホルス神はイシスの子供であり、この地で産まれたとされています。イシスのお乳から乳を飲む人間の子供の姿をしたホルス神のレリーフが見られます。キリスト教の台頭により、この神殿がローマ時代に閉鎖されるまで古代エジプトの神々の信仰を続けていた神殿です。 現在のイシス神殿はアブ・シンベル神殿同様にアスワンハイダム建設による水没から守るため隣の島に丸ごと移転されているもの。しかも移転先の島の形までフィラエ島と同じに変えられました。アブ・シンベル神殿同様に保護されました。現在残っているイシス神殿は有名なクレオパトラの父プトレマイオス12世が築いたもので、神殿の入口にあたる第一塔門・誕生殿・第二塔門・本殿が有。 ・切手@:〜ナイル河から見た「イシス神殿」 「第1塔門」には、敵を倒すプトレマイオス12世と、イシス女神・ハヤブサ頭のホルス神・ハトホル神に、プトレマイオス12世(Ptolemy XII Auletes, BC117-BC51)が生贄(いけにえ)達の髪をつかんで捧げる姿が大きく描かれています。「柱が並んでいる誕生殿」の列柱室は、この塔門を中に入っていくとあって、あちらこちらに十字架が彫られ、十字架のマークの石の台もあります。これらは、後の時代にキリスト教の教会として使われていたことを物語っています。その後ろには「第2塔門」があります。 ・切手A:〜 イシス神殿の第一塔門の内側(上部)。 ・切手B:〜トラヤヌス帝のキオスク (Trajan's Kiosk of Philae, Agilkia Island) 創建:BC100年頃 「トラヤヌス帝のキオスク」は、1980年にフィラエ島(Philae Island)からアギルキア島(Agilkia Island)に移築された屋根のない寺院で、イシス神殿の横、島の東側にあって、花の形の柱がキレイな建物です。キオスクとは、「船着き場の休憩所」でしたが未完でした。紀元前100年頃にトラヤヌス帝によって建てられたものです。柱の上部にさらに石を積み重ねられた構造をしています。古代ギリシア的な構造にファラオ時代の装飾を組み合わせたもので魅力的な建物です。仕切り壁にトラヤヌス帝がイシス女帝やオシリス神に供物を捧げているレリーフが描かれています。 ・切手C:〜「柱が並んでいる誕生殿」の列柱廊。 ・切手D:〜ハトホル神殿の柱 トラヤヌス帝のキオスクの隣にあるのが、「ハトホル神殿」です。状態はあまりよくないですが、ハトホル神の頭がついた柱があります。 参考:〜 ・イシス女神 (Goddes of Isis) エジプト神話によると、イシス女神はオシリ ス神(Osiris)の妹であり妻であり、またホルス神(Horus)の母。イシスの夫、オシリスは弟のセト神(Set)に殺され、身体をバラバラにされて川に流されるも、イシスがそれを拾い集め復活させたとされています。復活したオシリスは冥界の王となり、古代エジプトの重要な神として崇拝され、又復活再生から、穀物の神とし てもあがめられました。イシス女神の子ホルス神は天空と太陽の神であり、強力な猛禽類の隼の頭をした男性神として登場。エジプトの王朝の初期においては、王はホル ス神の化身とされ、ホルスとは即ち王を意味する存在でした。イシス神殿のあるフィラエ島は、女神イシスがホルス神を生んだ聖地でありそのために神殿が築かれました。隣のビーガ島には夫のオシリス神が祭ら れています。 参考HP:〜 ・エジプト付近の地図(日本語、アレキサンドリア〜アブシンベルの地図) ・世界遺産フィラエ神殿の写真(全体) ・世界遺産トラヤヌス帝のキオスクの写真 こちらで世界遺産の ・ピラミッド (エジプト) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・法隆寺 (日本) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2016/10/26 |