チロエ島
 Isla de Chiloe

チロエ島
チロエ島



チョノス諸島
チリ本土
  (南米大陸)
テナウン・1567、カストロ・1567、チャカオ・1568、
チョンチ・1768、アンクー・1768

カストロ建設400年、アンクー建設200年記念

チリ 1968 発行

チロエ島
 Isla de Chiloe
、(Isla Grande de Chiloe)
 (チリのロス・ラゴス州)
面積:8,394ku、島の人口:155000人(2002)。チロエ島はチリのロス・ラゴス州にある大きな島で、チリの島ではフエゴ島に次いで広く、南米でも5番目に広い島。チロエ島とその周辺の小島で構成されるチロエ諸島の主島。主要産業は、農業、林業、サケ養殖、観光。2000年にチロエの教会群が世界遺産に登録され、観光客が増加。チリの本土とは北はチャカオ海峡で、東はアンクー湾とコルコバド湾で隔てられ、西は太平洋に面している。南はコルコバド湾の一部を挟んでチョノス諸島がある。チロエ島は南北190km、東西55.65kmの長方形をしている。

チロエ県の首都で島の中心地のカストロは東海岸中部にあり、人口は約40000人。第2の都市は島の北西にある旧首都のアンクー。チロエ島には先住民として遊牧民のチョノス人がいた。後からやってきたマプチェ族の人々が東海岸で漁業や農業を行った。

1567年、スペインが島の領有を宣言し、カストロを建設。
 後にカストロはイエズス会布教の拠点となり、
 アンクーが建設されるまでチロエ県の首都だった。
1768年、アンクーが建設され、チロエ県の首都になる。
1784年、ペルー副王領の直轄地となる。
1817年12月、チリの独立で追われたスペイン軍の最後の拠点となる。
1826年1月、スペイン軍の残党が降伏し、チロエ島はチリ領に併合された。
1834年から1835年にかけてチャールズ・ダーウィンが島に滞在。
1960年、チリ地震で壊滅的な被害を受ける。
1982年、カストロが再びチロエ県の首都になる。
2000年、チロエの教会群が世界遺産に登録。

参考HP〜
 ・チロエ島の地図
 ・チロエ島の場所地図
 ・チョノス島の場所地図

・フアン・フェルナンデス諸島をこちらでお楽しみください。
・イースター島はこちら
・マゼラン海峡はこちら

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     08/11/11、14/5/18追記

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