ラオス
Lao People's Democratic Republic

ROYAUME de LAOS
ラオスの地図と国旗
ラオスの地図
ラオス  発行
ヴィエンチャンのパゴダ

ラオス 1959/11/2 発行

飾りたてた正装の像

ラオス 1958/3/17 発行
クァンフォウイ王妃の喜捨

Queen Khamphouy
ラオス 1963/10/10 発行

仏陀の涅槃像(ねはん仏)

ラオス 1953/11/18 発行
チャンパーサックの景観

パチャン(Papheng)滝
ラオス 1960/7/1 発行

日本・ラオス友好の国道9号線建設プロジェクト

ラオス 2002/12/18 発行

ラオス人民民主共和国
 Lao People's Democratic Republic

  漢字:老木過(らおす)、
  ラテン文字転写:Sathalanalat Paxathipatai Paxaxon Lao
.面積:24万km2、人口:580万人(2006)、首都:ビエンチャン、民族:低地ラオ族(60%)他、計49民族、言語:ラオス語、宗教: 仏教、1番切手:1951年発行、仏領インド=1892年発行。

ラオスの歴史は、中国南西部(現在の雲南省中心)にあったナンチャオ王国(南詔国)の
支配領域が南下し、この地に定住者があらわれた時代に始まる。王国滅亡後の
1353年、ラーオ族による統一王朝ラーンサーン王国が建国
      その勢力は現在のタイ北東部やカンボジア北部にまで及ぶ
18世紀、3国に分裂し、タイやカンボジアの影響下で戦乱が続いた
19世紀半ば、フランス人がインドシナ半島に進出し始めた頃には、
     ラオスの3国はタイの支配下で、ラオスの王族はフランスの力を借りて対抗し
1893年、フランスの保護国となる
1899年、フランスのインドシナ連邦に編入される
1941/12/08、大日本帝国がフランス・イギリス・アメリカ・オランダに宣戦布告(太平洋戦争勃発
1945/04/08、第二次世界大戦中に日本支配下で独立宣言
1945/08/15、大日本帝国無条件降伏
1949年、フランス連合内のラオス王国として名目上独立。その後、
1951年、1番切手を発行
1953/10/22、フランス・ラオス条約により完全独立を達成するも、
      ラオスでは右派、中立派、左派(パテート・ラーオ)による内戦が長期化
1955/12/14、国連連合に加盟
1973/2月、「ラオスにおける平和の回復及び民族和解に関する協定」が成立
1973年、アメリカがベトナムから撤退
1974年、三派連合によるラオス民族連合政府が成立
1975/12月、サイゴン陥落で連合政府が王政の廃止を宣言、ラオス人民民主共和国が成立
1977/12月、在ラオス日本大使館杉江清一書記官夫妻殺害事件が発生(政治的犯行)
2007年6月、アメリカに亡命したミャオ族の元王国軍将軍とアメリカ軍退役少佐による
        クーデター計画が発覚。関係者はアメリカ司法当局が局外中立違反で逮捕
1975年、共産主義のラオス人民民主共和国が成立
1980年、タイと国境紛争
1980年、ラオス人民革命党、中国共産党と関係断絶
1986年、新経済政策(チンタナカンマイ)を導入。
1987年、タイと国境紛争、タイ空軍機1機が撃墜される
1988年、ラオス人民革命党、中国共産党との関係改善
1991年、憲法制定、ラオス人民革命党の一党独裁体制維持を確認
1992年、カイソーン大統領死去
1997/7/23、東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟

ラオスは、その国土の多くが山岳で占められており、隣国に比べて比較的森林資源が多く残っていた地域であるが、最近急激な森林破壊が問題となっている。プー・ビアと呼ばれる山が、2,817 mの高度を持つ国内最高峰である。一方でメコン川周辺には小さく平地が広がっている。メコン川のほとんどは、タイとの国境としても利用されている。ラオスの気候はモンスーンの影響で明瞭な雨期と乾期があり、大まかに言って5月から11月にかけては雨期、乾期がその後4月まで続く。ラオスの首都はヴィエンチャンで、主要都市にルアンパバーン、サワンナケート、パークセー(パクセー)などがある。

ラオスの県区分(県都)
北部
 1)ウドムサイ県〜(サイ(ムアンサイ)
 2)サイニャブーリー県〜(サイニャブーリー)
 3)シエンクワーン県〜(ポーンサワン)
 4)フアパン県〜(サムヌア)
 5)ボーケーオ県〜(フアイサーイ)
 6)ポンサーリー県〜(ポンサーリー)
 7)ルアンナムター県〜(ルアンナムター)
 8)ルアンパバーン県〜(ルアンパバーン)
中部
 9)ヴィエンチャン県(2008年ウィエンカム県に改称)〜(ポーンホーン)
10)ヴィエンチャン都〜(ヴィエンチャン)
11)カムムアン県〜(ターケーク)
12)サワンナケート県〜(カイソーンポムウィハーン)
13)サイソムブーン特別区(現在は特別区は廃止されている)〜(サイソムブーン)
14)ボーリカムサイ県〜(パークサン)
南部
15)アッタプー県〜(サーマッキーイサイ)
16)サーラワン県〜(サーラワン)
17)セーコーン県〜(ラマーム)
18)チャンパーサック県〜(パークセー)
   2001年世界遺産〜県内の文化的景観にあるワット・
   プー(Vat Phou)と関連古代遺産群
*)ヴィエンチャン市がヴィエンチャン都のうちの
  首都機能を持つ特別区域:〜
  ・チャンタブリー郡
  ・シーコッタボーン郡
  ・サイセーター郡
チャンパーサック
  ・シーサッタナーク郡
  ・ハートサーイフォン郡

ワット・アマート村に住む日本人
ヴィエンチャンから約500km離れた(バス11時間)パークセー市からバスで1時間の所のワット・プー遺跡から、さらに10km程のアマート村に日本人の岩月裕二(現44才)さんがソムサイ(男前:他人にできないことができる男)と呼ばれて居住。愛知県出身で、1999年に日本のJICA青年海外協力隊でヴィエンチャンのゴミ処理場建設の現場監督で来て、2年の任期切れで帰国。ラオスの”のんびり”したところが気に入って、夢の「半年働いて残り半年はのんびりする」を実現できるラオスへ、2001/6月に再度来て、ボランティアでワット・プー遺跡の出土品保管場建設に参加。ワット・プー遺跡入場券売りのマニチャン(現35才)と出会い、2003年に結婚、現在1児有。ラオスでは結婚すると妻の実家で暮らし、資金ができると家を建てて独立するのが一般的。現在は妻がコピーや代書などで母と妹2人と一家6人の家計を支え、ソムサイさんは建築・土木の現場監督にヴィエンチャンへ出稼ぎに行き、その一仕事が終わると帰郷して趣味で一人で家を建築中(稼ぎは建築資材代)なるも、5年たっても完成せず、”のんびり”やっている良い男。2014/2/7にMBS毎日TV放映。
ワット・プー遺跡

ラオス 1992 発行

参考HP:〜
 ・ラオスの地図
 ・ラオスの地図(県区分地図)
 ・ラーンサーン王国の頃の地図(メコン川中流域、14〜18世紀の版図)
 ・チャンパサックの世界遺産の場所地図
 ・コーチシナの地図(1886年の地図)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。         09/12/12、14/4/4

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