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(7)コロンブスのインド探検の記(1) ころんぶすのいんどたんけんのき C・MENU もどる すすむ







サン・サルバドル島
(ワットリング島)→

フアナ島
(キューバ島)→


イスパニョーラ島→

サン・サルバドル島から、キューバ島、イスパニョーラ島への航海地図


話をきいたコロンブスは、10/14に、その南の大きな島に向かってサン・サルバドル島を出帆しました。


←ヴァージン諸島 1992 コロンブス新大陸発見500年記念発行小型シート

10/15の午後(ごご)から南の大きな島へと出帆しました。”サンタ・マライア・デ・ラ・コンセプシオン”と名前をつけた島につき、10/15には”サンタ・マリア”と名前をつけた島、さらに”フェルナンディナ”と名前をつけた島を見つけ、ほかにも、いくつかの島を見ました。10/16の正午(しょうご)ころに南の大きな島を見つけ、海岸(かいがん)にちかよりました。すると、カヌーでその島のインディオの人が船のまわりにきて、水と食料をさしだしたのでもらいました。その島のことをいろいろと聞き、この島はとても大きい島であることがわかりました。オウムとトカゲのほかには、ヤギやヒツジやそのほかの野獣(やじゅう)などの大きい動物(どうぶつ)はいないことがわかりました。それで、スペインから持ってきていた品をわたすと大喜(おおよろこ)びでかえってゆきました。その夜は波の静かな入江を見つけて、そこに停泊(ていはく)してすごしました。10/17正午に出帆して、さらに東へと航海しました。島は緑(みどり)したたる木々(きぎ)でおおわれ、とても肥沃(ひよく)な土地(とち)のように見えました。出会(であ)ったインディオの人はかなり大きな金の装飾品(そうしょく)を身につけていました。10/19に岬()みさきを見つけ”ヘルモゾ岬”と名前をつけました。それからは、日中(にっちゅう)は船を進めて、島のようすを調(しら)べながら、大きい川(かわ)があるとボートをおろして調べました。夜は碇(いかり)をおろす「波の静かな入江」をさがして、そこに停泊して夜をすごしながらの航海をつづけました。10/26の日没(にちぼつ)ごろキューバ島を見つけ、波(なみ)しずかな入江に碇をおろして停泊(ていはく)し、その夜(よる)をすごしました。

サンタ・マリア号とコロンブス→




コロンブスは10/26(金)に、
その大きな島(キューバ島)を見つけました




 コロンブスの上陸



ギニア・ビサウ 1992 発行→
コロンブスの新大陸発見500年記念・小型シート

←キューバの古地図(こちず)
 ファン・デ・ラ・コーサの世界地図
げんざいのキューバ→
キューバのめんせき(110,922ku)は
日本の本州のやく半分
キューバ 1973/10/29 発行→

コロンブスは10/27の夜あけにキューバ島へ上陸して、「スペインの領土(りょうど)である」と宣言(せんげん)しました。そして、イサベラ女王の王女さまの名前(なまえ)にちなんで、”フアナ”島となづけました。

←ルーマニア 1992 コロンブス新大陸発見500年記念発行

コロンブスは10/27に、住民が食べ物をもってきたので、スペインの品とこうかんしました。そして、金の装飾品(そうしょくひん)ともこうかんすることができました。


グレナディン・セントヴィンセント 1992/1/16 発行

コロンブスは島の人たちと、物々交換(ぶつぶつこうかん)をしました。”コットン(綿布)”や”槍の玉”、そして、オウムなどの小鳥(ことり)と、スペインからもってきた品とをこうかんしました。


ドミニカ 1992 発行

グレナダ 1987/4/27 発行

島の住民(じゅうみん)の人たちが、カヌーで船のまわりにちかよってきました
アンチグア 1970/8/19 発行

コロンブスは島の人から、海(うみ)の”東の方”(ひがしのほう)にも、おおきな島があることをききました。


ヴェトナム 1992 発行

10/27(土)キューバ島の北岸(ほくがん)の”バリアイ湾”にとうちゃくして、日の出とともに海岸に上陸しました。コロンブスは「人間の目が見たもっとも美しい土地」と航海日誌(こうかいにっし)に書きました。そこを、コロンブスはアジア大陸(たいりく)の一部(いちぶ)とかんがえ,イサベラ女王の王女にちなんで ”フアナ Juana” との名前(なまえ)をつけましました。出会った住民のインディオの人たちは真珠や金を身につけていました。その後は、波静かな入江を見つけてはボートをおろしたり、大きい川を見つけては上陸したりしましたが住民とであえませんでした。そこで川をさかのぼって村(むら)を見つけましたが、住民は逃げさっていました。住民を探し出しとらえて聞いてみると、「妖精(ようせい)が天国(てんごく)からきたのだ」とおそれをなして逃げたことがわかりましたので、コロンブスはスペインの品をやって安心(あんしん)させました。すると酋長(しゅうちょう)がでてきて、果物(くだもの)や食べ物を持ってきたので、スペインの品をやり、金や槍や弓矢(矢のさきには「魚のするどいホネ」がついていました)との物々交換もできました。11/21(水)にはピンタ号が船隊をはなれて行ってしまい、れんらくがとれなくなりました。そして海の東の方にも、大きな島があることを聞きましたので、12/5(水)フアナ(キューバ)島の東端(ひがしはし)の”パラゴア”につき、東の大きな島、”イスパニョーラ(Hispaniola)島” へと出帆しました。
←ピンタ号とコロンブス


11/21(水)、マルティン・ピンソン船長のピンタ号の姿(すがた)が見えなくなりました。よくじつも、ピンタ号をさがしましたが、みつかりませんでした。


ルーマニア 1992 コロンブス新大陸発見500年記念発行

コロンブスの
盾の「紋章



オーム
コロンブスはサン・サルバドル島を出帆してからは、日中は航海し、停泊にちょうどよい湾から入江にはいって、ボートをだして陸地のようすを調べながら進みました。夜になると碇をおろす停泊地を見つけて錨をおろして停泊しました。

ヴァージン諸島 1992 コロンブスの新大陸発見500年記念発行・小型シート

フアナ(キューバ)島

キューバ島からイスパニョーラ島への
航海地図(こうかいちず)

サン・サルバドル(ワットリング)島

イスパニョーラ島

モントセラット1992発行・小型組合せシートより

サンタ・マリア号、ニーニャ号

コロンブスは1492/12/5キューバ島からイスパニョーラ島へと、サンタ・マリア号とニーニャ号の2隻の船で出帆しました

ルーマニア 1992 発行

令和 R.3/9/20(2021)追記
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