大航海物語 |
岐阜城 1567〜1600 永禄10年〜慶長5年 |
参考資料 |
・岐阜城 (ぎふじょう) Gifu-jo Castle 住所:岐阜県岐阜市(旧・美濃国井之口)の金華山(稲葉山) 通称:稲葉山城 城郭構造:山城 天守構造:不明・非現存、1956年復興天守:独立式望楼型3重4階 築城主:二階堂行政(砦)、織田信長(城郭に大改修) 築城年:1201(建仁元)年、1567(永禄10)年 主な城主:織田氏 廃城年:1600(慶長5)年 岐阜城は現:岐阜県岐阜市(旧・美濃国井之口)の金華山(稲葉山:328.9m)にある山城の跡。織田信長が斎藤道三(1494:明応3〜1556:弘治2)の孫の龍興(1548:天文17〜1573:天正元)から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して、新たに造営したものが岐阜城です。城跡は岐阜城跡として国の史跡に指定され「信長公記」に、「尾張国小真木山より濃州稲葉山へ御越しなり。井口と申すを今度改めて、岐阜と名付けさせられ」と記載されています。稲葉山(井口山)からのつづきが、瑞龍寺山といい、信長以前の斎藤氏が居城としていた時代の同時代史料には「井口城」「金華山城」として登場しています。現在の城跡は岐阜城跡として国の史跡に指定されています。 <斎藤道三・織田信長の居城> 金華山々頂にあって、1201年に鎌倉幕府執事の二階堂行政により初めて砦が築かれたといわれています。岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ「美濃を制すものは天下を制す」と言われるほどでした。戦国時代は、司馬遼太郎(1923:大正12〜1996:平成8)の小説「国盗り物語」の主人公である斎藤道三の居城でした。その後、1567(永禄10)年に織田信長がこの城を斎藤龍興から奪取し、稲葉山城の縄張りを破却して新たに造営したものを岐阜城として再建して城主となりました。 信長は「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています。天正4(1576)年に岐阜城を息子の信忠(1557:弘治3〜1582:天正10)に譲るまでの間、「天下布武」の朱印を用いて天下統一の志をかかげ、城下町の復興に力を注ぎました。楽市楽座の保護など、当時としては斬新な政策により岐阜城下は大変に賑わいました。1600年に起った関ヶ原合戦の前哨戦の際、信長の孫の秀信(1580:天正8〜1605:慶長10)が西軍に味方したため、東軍に攻められて激戦の末に落城し、天守閣・櫓等は岐阜市の加納城に移されました。 現在の城は昭和31年に復興され、鉄筋コンクリート造り3層4階構造(RC造復興・1956年再建)で、岐阜市のシンボルとなっています。城内は史料展示室、楼上は展望台として多くの人に親しまれています。日没〜夜11時まで岐阜城はライトアップされ暗闇の中にその姿が浮かび上がります。 参考HP:〜 ・岐阜城の図(円徳寺の所蔵) ・岐阜城の縄張図(現在) ・こちらで安土城(あづちじょう)を、 ・こちらで大阪城(おおさかじょう)をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 12/6/16 |