大航海物語 |
チリ大地震 1960(昭和35年)/5/22 日本を含め環太平洋全域に津波が襲来 |
参考資料 |
スペイン提供 チリ地震救済の寄付金付切手 |
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ペドロ・ド・ヴァルディヴィア |
アロンゾ・ド・エルシラ |
”ESPANA A CHILE”とは 1960年チリ地震援助でスペインから無償提供 チリ地震救済寄付金付として発行 チリ 1961/4/29 発行 |
・チリ地震 1960 Valdivia earthquake Great Chilean Earthquake 上の切手はチリ地震救援でスペインが提供して、チリから、チリ地震救済「寄付金付き切手」として、1961/4/29に発行されました。 チリ地震は、1960(昭和35)/5/22:午後3時11分20秒(現地時間、日本時間は5/23午前4時11分20秒)にチリのバルディビア近海を震源として発生した地震で、日本を含め、環太平洋全域に津波が襲来しました。マグニチュード8.5Mの有史以来観測された中で世界最大規模の地震でした。チリ首都サンティアゴはじめ全土が壊滅状態になりました。地震による直接的な犠牲者1743人、負傷者667人。本震発生から15分後に約18mの津波がチリ沿岸部を襲い、約17時間後にはハワイ諸島を襲い、ハワイ島のヒロ湾には10.5mの津波が来襲。 日本でも地震による津波の被害が大く、地震発生から約22時間半後の5/24未明に最大で6mの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し、142人が死亡。津波による被害が大きかった岩手県大船渡市では53人、宮城県志津川町(現:南三陸町)では41人、北海道浜中町霧多布では11人が死亡。この浜中町では8年前の1952年十勝沖地震でも津波被害を受けており、2度目の市街地壊滅でした。街の中心でもある霧多布村がこのチリ地震津波により土砂が流出して、北海道本島より切り離され島になりました(現在は陸つづきだった所に2つ橋が架けられました)。また、同じく度重なる津波被害を受けた田老町(現:宮古市)は高さ10mの巨大防潮堤が功を奏して人的被害は皆無でした。この田老町の防災の取り組みを取り入れて浜中町にも防潮堤が建設されました。北海道の防潮堤については後の北海道南西沖地震でも津波による人的被害の甚大な奥尻島などでも建設されました。 地球の反対側から突然やってきた津波(遠隔地津波)に対する認識が甘かったことが指摘され、以後、気象庁は海外で発生した海洋型巨大地震に対しても、例えばハワイの太平洋津波警報センターと連携を取るなどして津波警報、注意報を出すようになりました。
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2010/1/23追記、14/6/30 |