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”ガイドヘルパー の とほほ日記”
05/10/8(土):「視覚障害者のホームページ作成講習会」

このたび、偶然にも、視覚障害者のホームページ作成講習会を垣間見る機会によくした。そこで使用されていたのは、なんとハイパーテキストのソフトではないか!

これは私が10年以上も前に使用していた物なんだ。
10年と言えば、一昔(ひとむかし)だよね。
Win(ウィンドウズ)93が発売され、これは使いにくいなと思っていたら、Win95が発売された。メインメモリーは62MByts(メガバイト)で、HDD(ハードディスク)が内臓で、しかもメモリー容量が1GByts(ギガバイト)も有るじゃないか。なんと使い易いことか、早速買い込んで職場に持っていって、「社長に買って〜!」と言ったけど「会社もナア、地震でな〜ア!」と買ってくれなかったんで、そのまま実務に使用して、職場の皆んなをビックリさせた。なにせインプット(入力)からアウトプット(印刷)まで、全自動なんだ。ちょこちょこっとインプットしたら「ハイ出来上がり!」だったんだ。使いにくいオフコン(オフイスコンピューター)で仕事をこなしていたんで、皆さんから羨ましがられたもんだ。その速度の速いこと。「そろばん」の数千倍かしらね〜ぇ!。締め切りの日には、「皆さんお先にお昼に行きまっせ!」となってしまった。それまでは一人取り残されてお昼もろくに食べられなかったのに、それまでとは見事なる逆転現象を起こしたのだった。もはや、大規模なシステムはイラン。担当部署でそれぞれが作成すればよい時代が到来したと実感。実務を何も知らん本部の連中が作ったシステムの使いにくいこと。もうそれにも、おさらばだ。「パソコンは便利や〜!」と言っておいたが、実はそのプログラミングには、帰宅後に夜なべをしてコツコツと半年がかりで仕上げたのであった。とほほ!。
苦労したが、その結果は素晴しかった。そうこうしているとだ、Win(ウィンドウズ)98が発売され、HDD(ハードディスク)が10ギガ以上のメモリー容量となってからは、私もバージョンの進んだIBM社製のホームページビルダーを購入して使用してきた。その使い易さは言葉では表現できないほどなんだ。メールを書いているのと同じか、それ以上だ。それを機械がHTML方式のハイパーテキストに自動翻訳してくれているんで、私達はこの言語に直す必要がないわけ。このメールも、もちろん機械言語に自動翻訳されているよね。

これって、口はばったいことを言うようだが、「障害者用ソフトの立ち遅れ」以外の何者でもないと思うんだ。これは教育現場の、講師にも、サポーターにも、ひいては受講生へも、大きな負担をかけるものだよ。大変で御座います、本当にご苦労さまと言いたいわけなんだ。

今や、小学生もホームページを持っている時代にだよ。
それがもとで、長崎で悲惨な事件が起ったことは記憶に新しいよね。
昨年(H16年春(5月?)頃)、長崎の佐世保で恐ろしい、悲惨な事件が起きたよね。小学生の女の子が同級生を殺してしまった事件。「生と死」について、未だ十分に分かっていない年頃じゃないか。確か11才の5年生だったと思うが? それが、どうして「殺す」と発想し、実行したんたんだろう? 首を切れば人は死ぬということは知っていたんだ。しかし、どうして「死んだら、生き返らない」という事を、周りの人たちが教えなかったんだろうか! 本当に悔やまれる事件だ。死んだ子供は自分が殺されるとは思ってもいなかったんじゃないか、その子が余りにも哀れだね。イスに座ってと言われて素直に座っているところを後ろから、首をカッターナイフで切られたんだからな。首から血がピューと噴出して、殺した女の子は相当な「返り血」を浴びた筈だ。その子が教室に戻ってきた姿を見て、担任の男の先生が腰を抜かして寝込んでしまったそうだもんナ。酷い悲惨な事件と言う他ない。

私が思うに、いたづらにHP(インターネット・ホームページ)を毛嫌いしているよりは、HPをどんどん見せて、その免疫力を高める他ないと思う。そりゃあ、子供に見せたくないサイトも一杯ある。そこは放置せずに親の立場で、アドバイスしてやれば良いんでは。ただ、ハンディを持った人達のソフト(ホームページ作成支援ソフト)が、これでは負担が大きい。

ハンディを背負った人達に、このような難しいことを教えねばならない現状に驚くと共に、ソフト開発者の怠慢に憤りを禁じえない。この業界には障害者へ我々同様、いや、それ以上に使い易いソフトを提供するという配慮は無いんだろうか。

以上が、私の偽らぬ感想だ。何とかならへんのかな〜、という思いなのだ。
7年前、視覚障害者の会報印刷のボランティアをした時に、プレス機械で点字印刷を手伝ったことがあるが、先だって神戸で開催されたロービジョン合同会議の機器展示会場でパソコンからの点字印刷機械が30万円で販売されているのを見た。便利になったな〜、と思ったが、HP作成も未だ未だ待たねばならんのだろうかしらね〜ぇ。
・下を見て〜↓↓ハイパーテキストは、こんなもんなんだソースを見ると分かるよ!

<!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//W3C//DTD HTML4.0Transitional//EN"><HTML><HEAD><TITLE>進路</TITLE<META http-equiv=Content-Type content="text/html; charset=Shift_JIS"><META content="MSHTML 6.00.2800.1498" name=GENERATOR><META http-equiv=Content-Style-Type cont5.gif><P><IMG height=66 src="進路.files/image38.gif" width=190 border=0><BR><BR></P><CENTER><TABLE width="100%" border=1>  <TBO=middle><B><A href="就学前"><FONT  color=#0000ff size=+2>就前</FONT></A></B></TD></TR><TR><TD align=middl地域の小学校"><B><FONT color=#0000ff size=+2>地域の小学校</FONFONTTR<TD bgColor=#ffffcc colSpan=5><B>覚障害者福ンター</B></TD></TR><TR><TD><B><FONT color=#0000ff>078-577-6505<FONTBTD<TD bgColor=#ffffcc colSpan=5><B>総人センター</B></TD></TR><P><FONT color=#0000ff><B><FO

しかし、まだまだグループホームの数は足りないのが現実です。国が「入所施設から地域生活へ」と言っているわりには、全然足りていません。生活するには、作業所のお給料だけでは難しい事は明らかです。

ONRIPT lanipt src="進路.files/geov2.js"></SCRIPT><SCRIPT language=javascript>geovisit();</SCRIPT><NOSCRIPT><IMG height=1 src="" width=1 border=0/NOSCRIPT
・上記を見て〜↑↑ 本文を書くために実に多くさんの記号がいるんだ〜!
。。。我々目明きはいきなり本文を打ち込んでいるというのに。。。m(_ _)m

先日らいの雨で、神戸も少し冷えてきた、そろそろ、秋冬支度をしなくちゃ〜!

05/10/6(木):「ニューマシンの初期設定」完了、視覚障害者専用ページ作成。

今朝は昨日と一昨日と、シトシトと降り続いた雨も止み薄日が射して快適な日となりそうだ。だが、「夏の麻の下着」だけではチョット肌寒さを感じるので、冬の部屋着を着込んだ。ちなみに窓を全開にして室温は24℃外気温は21℃である。つい先週まで窓を閉めると室温が35℃にもなっていたんが、ウソのように涼しくなったもんだ。風邪が大敵の季節の到来であるナ。

早起きをしてPCのニューマシンと取り組んだ結果、ようやくにして「初期設定」が完了していることを確かめたんである。9/13(火)の昼過ぎに購入して、重たいマシンをフウフウ言いながら自宅まで担いで帰ってから、早くも1ヵ月近くも経ってしまった。しかしながら実に快適なPC環境となった。さすがは2005年の秋冬モデルだけのことはある。Pentium搭載のメーカーは富士通の”FMV BIBLO NB”マシンである。高額だっただけのことはある。処理速度が格段に速いんである。

いままで、何故モタモタしてたんかと言えば、前任者に手伝ってもらって、PCーTAKERxpのインストール(組込み)、その上にデスクトップリーダーやホームページリーダー、ProTalker97エンジンまでインストールしたもんだから、システムが大幅に重たくなったうえに、システムの不具合が起こってしまっていたんだ。その他の古いバージョンのソフトもインストールしていたんで、余計に具合が悪かったようだ。古いのは直ぐに削除したんだが、スクリーンリーダー関係のソフトが余りにも重たいもんだから、システムの変更を何回も何回も実施する羽目に陥ってしまっていたんだ。特にこの一週間は夜も寝ないで昼寝して頑張らんと間にあわんことになっていたんだ。とほほ!

出来て良かった。ついに、沈黙していたホームページリーダーが声高らかに読み始めたではないか! これでOKだ。早速、視覚障害者専用のHPページを作成した。さすがに専用ページにすると読み上げる声もなめらなのだ。これでイケル!

HPサイトの切り替えも早い、一瞬だ、目にも留まらぬ速さとはこのことである。画像処理も早い、デスクトップの背景画像の貼り付けも一瞬で出来る。これからは自分で撮影してきた画像で毎週取り替えてやろう。今週は「明石城の大手門上の東西の隅櫓とその白壁」の風景写真を使用することにした。今のところは静止画だが、いずれ動画にも挑戦してみよう。その能力は十分にあるようなのだ。HDDが巨大メモリーなのでシステム関係の変更記録が保存されていることもわかった。削除したソフトも隠されてはいるが保存されているので注意する必要がある。それらへ単独にアクセスをかける時は余程の確かめが無いとシステムの不具合やシステム・ダウンにつながってしまうのだ。
35年以上前に聞いた「試行錯誤」という言葉は 今なお生きている。何処かの銀行でこれを怠ったがために首になった社長がいる。我々だったら何百回か何千回か、銀行だったら何百万回か何千万回か、とにかくよく確かめないと出来ないもんなのだ。たとえ何十時間何百時間かかろうとも、ほとんど絶対といえるまで!

10/3(月)はハ−バーランドのソフマップ神戸店へマシンのハードとソフトの何度目かの聞き取り調査に行ってきた。午後から思い立ったので、いつものウォーキングのコースとは違う最短距離の近道をとったら、なんと我が懐かしの母校で今は無き「入江小学校」前を通ったのだ。「二宮尊徳」のコンクリ像が記念碑と共に前の場所にあった。記念碑には明治38年から昭和64年までとあった。そこは現在では12階建てマンション風の市営住宅群と入江地域福祉センターとになっていた。直ぐ近くの裏路地へと辿ってみると、小道はレンガ畳風のシャレタ小路となり、玄関前にチッチャなガレージを造って車を駐車している家もあった。今を去る五十五年前の七月、私は神戸に初めて来て、この路地裏に住み、この小学校へと通っていたんだ。その当時に住んでいた裏長屋は無くなり、神戸の両親も今は亡く、久しぶりに来たんで懐かしかったが、 関西大震災の傷跡は深く、復興できないまま、倒壊家屋の跡地をそのまま駐車場としている所が多く見受けられたんは悲しかった。松尾稲荷神社はそのままあったが、特に「稲荷市場」の寂れ様はひどいものだった。母の買い物について行っては、冬場は太鼓焼き饅頭を、夏はアイスキャンデーを食べるのが楽しみだったのだ。往時の賑わい、大盛況は何処へ行ってしもうたんやろか。裏さびれた店がところどころに有るにはあった。「川重」の労働者の激減での「新開地」の衰退から、市場の後継者問題、競争相手のコンビニの進出から、はては大震災での打撃と 大変動を経ての、何と言う変わりようか。ああ、ただ世の無常を感じるのみ! 半世紀前へとタイムスリップの一瞬だった。二十一世紀まで生き延び、最新のPCマシンを使っている自分は何と言う幸せ者かと、感慨深し。

では、明日は、快適なPCのシステム環境のもとで、新神戸へ行ってHP・更新UPの仕事に取り組もう。なお、9/23は表紙のページのリニューアルとかをした。先週(9/30)は今月のお知らせとかを更新した。また、先月9/21(水)のミニウォーク”長田サロンコンサート”と9/27(火)の”須磨海岸”ウォーキングデーにメンバーの人達と出かけ、晴天に恵まれて楽しい日を過ごすことができた。それぞれの写真アルバムも作成できて提供した。もう、九作品にもなった。

05/09/17(土)〜9/18(日):
日本ロービジョン学会と視覚障害者リハビリテーション協会による
「合同研究会の神戸大会」

神戸市中央区のポートアイランドにある「国際会議場」で、「合同研究発表会」の全国大会が3日間開催された。”NPO”が参加される視覚障害者の「会場内での移動介助」を引き受けるので、私もボランティア参加した。ホームヘルパー研修会で、ご一緒した三人(現役のヘルパーさん)も参加して、

9/17(土)は2人で、
AM08:00現地集合でPM05:30まで。会場と周辺の移動介助、
帰りはプランタン・ターミナル・ホテルまで移動介助で送った。
9/18(日)は3人で
AM08:00現地集合でPM04:30まで。会場の移動介助。

9/17(土)は朝、三田市内からボランティアに来てくれる方とポートライナー「市民広場駅」に8時の待ち合わせをしていたんで、10分前に着くともう来ていた。ご主人が車で六甲トンネルを抜けて送ってくれたんで早く着いたそうだ(1hはかかったと思う)。それから会場を探しながらあちこち歩いて、やっと会場受付に着いた。手伝いのボランティアが揃って少しのミーティングがあった。この合同会議では学生ボランティアの手配が無かったんで、早朝に私達が駅から会場までの道案内もした。 会場への道案内は角々に矢印付きのプラカードを持って説明する案内だった。9:50過ぎに再びミーティングがあって、主として4Fの福祉機器展示会場とポスター・セッション(発表)会場への移動介助をすることとなった。大会議室から、チョット出てくる方の移動介助をしながら待機していると、昼食で介助者の交代をすることになった。

午前中のボランティアの方に代わって、食堂(レストラン)へ連れて行ってみると列が出来ていた。4F会場へもう一度行きたいので、何処か他に食事が出来る場所はありませんかとなった。するとポートピアホテルの2Fレストランなら座れるということで、探しながら行ってみた。なるほど大きい感じの良いレストランだったんで、そのことを説明して直ぐテーブルにつけた。札幌から来た方だったんで、神戸の観光や名物を色々と話した。さて、フロントで精算ということになって、金額を聞いて驚いた。ピラフ1皿とコーヒー2杯で3000円を越えるなんて、どうして〜? 明細書を要求して読み上げを行って、やっと分かった。此処はホテルなんだ。だから税サービス料が加算されていたんだ。もっと大衆的な店が良かったようだった。ここら辺にはそんな店は無いのであった。とほほ!

4F福祉機器展示会場へ移動介助。色んな機器を手にとって、メーカーの係りに説明をしてもらった。メーカーの係りの人との知り合いなどもあり、和やかに詳しい機器情報を熱心に聞いておられた。1:30前に時間を知らせて、1Fへ移動、大会議室へ移動介助。その後、お金を引き出したいので「銀行は無いですか」とのことだったが、土曜なのでオープンしている銀行はこの島にはないとのことだったんで、セブンイレブンのカードが使えるところを探しに行った。色々と聞きまくってヤット見つけた。そこはポートライナー「中ふ頭駅」近くだった。4:30会議終了で、直ぐお金を引き出しに行くとのこと。なんでもカードの使用時間が制限されているんだそうなので、急いで「7:11」へ行った。私は初体験の機械だったが、なかなかに使い易く出来ていて、色々と読み上げ介助をして現金を引き出すことが出来た。金額を手で確かめてもらってから、中ふ頭駅へ移動。この時の移動介助はかなり難儀であった。というのは荷物が多かったせいなのだ。クロークで受け取った荷物も含めて、背中にリュック、肩にショルダー、両手に紙のバッグで、右手に白杖では持ちきれへん。私が両手にバッグを提げての介助となったんで、口での誘導状態となった。左手にバッグを提げていては、私の手を取れないもんナ。駅に着いてみると障害者マークのボタンが無かったんで、通常料金となった。そこに行楽と思われる中高年の一団が来たんで、ホームへ連れて行ってもらうことと三ノ宮で下車することを頼んだ。二つ返事で引き受けてくれた。
神戸市民は良い人ばからりなのだな〜!。
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9/18(日)は朝、三ノ宮駅で会場へ向かうポートライナーへ乗り換えの途中で、ホテルから出てきた昨日の帰りに送った方とばったり会ったんで、移動介助をした。 ポートライナー「市民広場駅」に8時前についてみると、2人は、もう来てくれていた。私は2日目なので会場へ2人を連れて行った。8:30から会議が始まるので、チョットのミーティングをして、すぐに会場への道案内に出た。9;40頃で道案内を終了して、4Fへの移動介助のため、1F大会議場ホールにて待機。

10:30の会議終了前に会議場内にて待機に入り、場内にいたアイライト・スタッフの知らせで、障害者に ジット聴いていたんで、IT関連の現場情報などを尋ねてみた。すると私の質問をよく理解してくれて有意義な情報を下さったんだが、名前を聞くことが出来なくて、連絡のしょうがないことになってしまった。介助しながらの情報交換は難しいもんだ。 視覚障害者用の”Iモード”HP作成の有益な情報だったのに、ノートも取れなかったし、惜しいことをした。

お昼前に時間を知らせると、「昨日は食堂が混雑していたので、早めの昼食にしたい」とのことで、1F食堂へ移動介助。東京からの方だったんで、神戸の名物や食べ物、飲み物とかの話をした。食後にもう一度会場へ行きたいとのことだったので、食後の飲み物を急いで持って来てもらったんが、裏目に出てしまった。手を伸ばして「飲み物の位置」を説明しているのに、私のアイスコーヒーをテーブルの右手前に置いてくれたんで、見事にヒジが当って、右足の付け根付近から後ろにかけて。「そそう」をしたように、びしょ濡れになってしまった。そのまま終日過ごすことになった。あ〜、気持ちわる〜ぅ、とほほ!

その後4Fへ移動、わりと早く食事を終わらせたので、今度は会場はすいていたんで、ゆっくりと係りの説明を聞くことが出来て良かった。キーホルダー式音声時計を購入されていた。お知らせ機能もついていて便利そうだった。1:30が迫ってきたんで、その旨を知らせてギリギリで1F大会議場へ移動介助できた。
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大会議場での講演は、作日(9/17)石川准氏の「IT技術の障害者への利用」を聞くことが出来た。この方は大学の先生で、この7月に音声読み上げソフトの最新版をリリースしたとのことだった。IT技術を利用すると、障害者もインターネットを身近に活用出来るんだと感じた。ロービジョンの立場からは「網膜色素変性症」などの障害者への就業支援活動として、使い易いIT技術の開発をなさっているんだということも良く分かった。障害者が一般人と同じように社会参加できるようにすることを「ノーマライゼーション」というが、IT関連では「アクセシビリティー」というと話されていたが、例えばインターネットへ健常者と同様にアクセスすることは、かなりの困難性をともなうだろうと思った。
先生の研究報告は「ようやく我が国でも、ウェブアクセシビリティへの取り組みが社会的広がりを見せ始めている。ウェブアクセシビリティはウェブコンテンツ側の努力と支援技術側の努力の共同作業によって実現する」として、ウェブサイトを閲覧するさいに、視覚障害者が用いる音声プラウザが今日どのような支援を提供しているかを、現在、世界で最も高機能のスクリーンリーダーである”JAWS for Windows日本語版”を例にとって解説されていた。そして支援技術分野のソフトウェア開発の困難さをメインストリーム側でどのようなブレイクスルーがあれば支援技術がさらに大きく飛躍できるかについても論じられた。先生が目下取り組んでいる次世代音声点字インターネットプラウザの設計コンセプトや開発の現状についても言及された。視覚障害者がインターネット社会に自由に参加できるようにするためにはユーザーサポートがかかせないこと、ユーザーサポートにおける当事者参加の重要性についての論述は大いに賛同した。”GUI”ベースの”OS”が主流になってきてから開発の分野で視覚障害者は姿を消したというのは全くの誤りで、当事者自身が「自分の道具は自分で作る」という心意気が、今もなお視覚障害者が支援技術開発で中心的な役割をを担っている、と説かれていた。

今日(9/18)は青森県の大学の眼科医の先生の講演を聞くことが出来た。臨床医としての研究発表で、 「網膜色素変性症」の事例を視聴覚機器を駆使して分かり易く話されていた。我々がパワーポイントを使用して、営業活動で”プレゼン”しているのと似ているなと思った。客席数700人(?)の正面ワイド大スクリーンに映し出された映像は、「目が点になる」様子がよく理解できた。ただ、客席の視覚障害者は「どのように理解されてんのかな〜?」と気になった。

この大会のお手伝いをして、思うに、
大勢のボランティアが障害者を支えていることが良く分かった2日間だった。私が介助した方々から、感謝の言葉を頂いた。
ボランティアの 皆さん、ご苦労様でした。

05/09/16(金):NPO行き、「ニューマシンの初期設定」

今日、行ってみると午前中はパソコン勉強会で。「インターネット・ホームページの取得をPCでどうするのか」の使用方法の説明が行われていた。障害者一人に一台のPCと一人の介助者がついての勉強会である、我々健常者だと先生が一人で簡単に教えれるのに、ここでは本当に大変なもんなんだ。

そのかたわらで持参していったニューマシンの初期設定をした。無線ランが内蔵されていたので、NPOトのHPを取り込めることが出来た。昼は前回同様「おにぎり」をかじって済ませた。昼の休憩で新神戸へ移動介助した後、HPの部分修正をして、PM3時過ぎに辞去した。

05/09/9(金):NPO行き、「ホームページの部分修正の提案」

今日は先方のマシンでインターネット・ホームページがどのように成っているかを見てみた。実に複雑怪奇といった印象であった。私の、このHPがとてもイージーに作成可能なのに、どうしてかしら?

「NPOのHP」:〜:9/9の成果や如何に?
> > ホームページの更新、3時ごろまでとりくんでおられました。
> > しかし、うまくいかなかったようです。
> > また来週でも、話をきいていただけますか。
> >
となってしまった、とほほ!
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9/10より、PCのニューマシンの調査を開始していたんだが、9/13とうとう「ノート型」の最新最強マシンを購入した。メインメモリーは500M,HDDは100Gというしろ物なのだ。今後は持込みで、やろう!
かなりの出費となってしまった。デスクトップ型なら4台買える値段だ、とほほ!

帰宅してから、
「どんなホームページが期待されているのか?
--------ご意見を聞かせてください!」という図解(フローチャート分析による”サイト展開図”)付き文書をWordで作成した。次回に持参して、スタッフの皆さんへ渡して、ご意見拝聴だ!
NPO行き、「HPの引継ぎと現状の説明」

今日はインターネット・ホームページの前任者からの話を聞きに行き、IDやパスワードなどの引継ぎを受けた。2時間くらいかかったが、そのほとんどが、無線ラン使用による接続のやり直しに時間が費やされてしまった。システムが不安定のようである。なかなか接続できないんである。また、今まではHPの作成を古式ゆかしい「ハイパーテキスト」を使用していたんだということも、そのモデルを見せてもらって分かった。このファイルのオープン・クローズにも相当な時間が費やされてしまった。この間はPC講習会用のノート型PCを使用されていたので、本番は、もう旧式になっている「Win2000」がインストールされているデスクトップ型PCでやることになった。ファイルの オープン・クローズの時間が遅いことが分かった。その後も色々と見てみた。かなりの数のファイルが未整理のままUpされているようだった。

PM3時過ぎに辞去した。

05/08/26(金):NPO行き
蓬莱遍路さま

8/26(金)はフロインドリーブ・ミニウォキングの写真を持って、 NPOへ行ってきました。カラーコピーにて、皆さんへ差し上げてはりました。お役に立って良かったです。

次の金曜日(9/2)はインターネット・ホームページ(HP)の話を聞きに行き、
先方の依頼で、HP管理を引き受けることに成りそうです。

今後の私の課題としては
・視覚障害PR用ホームページ=晴眼者へ支援を呼びかける
・視覚障害者のための情報発信HP=盲人に役に立つHP製作
この「二大テーマ」に向かって取り組んでゆきたいと思います。
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05/08/23(火):病院への通院介助
蓬莱遍路さま

今日(8/19金)は視覚障害者をボランティア・ ガイド(手引き)して、カネボウ病院へ行ってきました。

8/19(金)AM7:45市営地下鉄「長田駅」の待ち合わせで、7:40に着きますと、Kさんは、すでに改札口を出て待っていました。お声を掛けて確認をしましてから、市バスにてJR兵庫駅に行き、そこから無料送迎バスにて病院へ行き(帰途も同じ交通機関を利用)、受付の手続きでは、「一日ドック」を予約してありましたので、名札など、既に用意してありました。 その過程を簡単に書きますと、

地下鉄「長田駅」→送迎バス→JR兵庫駅→病院→玄関総合受付→眼科検室→同行を許されました。というよりも、ほとんど何も世話できない様子(初体験?)でした。

→眼科検診で検診室内を三回移動→2Fのドックセンターへ移動→受付をもう一度しました→名札と着替えの検診着を受領→ロッカー室→検診着とジャージの上下に着替え→ロビーの待合室で呼出し後→検診室(看護師の説明を聴いて)→待合室で次の呼出し後→採尿→待合室→検査室で(→血圧測定→採血→肺活測定→身長測定(同時に体重、体脂肪の測定)→心電図→腹圧エコー検査→終了後→待合室(長く待って)→レントゲン検査室(胸部レントゲン)→レントゲン検査室(胃の透視レントゲン)→冷水室→待合室→検診室(看護師による検査結果の説明)→待合室→食堂→食堂の賄いの方にお願いして→私は病院の喫茶店にて食事→待合室→受付嬢が待合室へ連れて来てとの事で→食堂→待合室(ここで栄養士による成人病対策の食事指導と体操指導士による健康体操の指導)→検診室→内科の医師による内科検診→レントゲンの説明→待合室 →ロッカー室→ドック受付→1F→受付4番の会計→支払い→病院の外→無料送迎バス→JR兵庫駅→市営バス→地下鉄「長田駅」

待合室では、いずれもかなりの待ち時間がありましたので、特に午後からは「ヒポクラテスの誓い」などの話を聞かせてもらいました。未熟者のいたらぬ私ですがかなり打ち解け、喜んでもらったことが出来たと感した次弟です。

以上の通りでしたが、地下鉄「長田駅」では、改札ゲート前で「もうここでいい」とのことで、見送っておりますと、なかなかホームへ降りて行けそうも無いので、つい、手を貸してしまいました。自立のためには良くないことですよね。ですが、見ちゃあおれなかったんです。私の過度の「手出し」をお許し下さいませ。と言うような事で、PM3:40にて駅を後にしました次弟です。

病院に居る時から、少し喉がヘンだと感じていましたら、どおも夏風邪をもらってきたようです。大したことは無いんですが、咳が続いてかないまへん状態になっとりますんです。風邪薬を買いに行こうと思っとります。いま、考えてみれば、検診者の人達は30人ほどいましたが、病院の長袖ジャージの上下を着ていたのに、私は半袖だけでした。何か上に羽織る物を持ってゆくべきでした。大したことは無いので週明けにはご報告にお伺いできると思います。
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05/08/20(土):教会を改装した喫茶店”フロインドリーブ”
蓬莱遍路さま

今日(8/18木)は視覚障害者をボランティア・ガイド(手引き)して、新神戸の近くの、教会をそのまま使って改装した喫茶店”フロインドリーブ”へ行ってきました。

「フロインドリーブの思い出」  作詞:西原

教会をそのまま店にしたフロインドリーブという喫茶店へ行った
そこには美しい女性(ひと)が居た
その顔は何とも言えぬ憂れいに包まれていた
それはやがて来たる暗闇の女王に怯えてか
はたまた来たるべき未知への不安の予感なのか
その憂いに満ちた顔はなお一層美しかった
それはやはり女王の襲来に怯えきった顔だったのだ

「だいじょうぶ、心配ないわよ、あたしがついているから!」
と 手引きをなさっている女性(ひと)も居た
そこには貴女が居て
貴女に身を任せ
安心し切った女性(ひと)も居た

教会をそのまま店にしたフロインドリーブという喫茶店へ行った
そこには”メニュー”の読み上げをしている貴女が居て
耳をすませてジット聞いている女性(ひと)も居た
「ケーキにしょうかしら」
「パンが得意なお店やからサンドウィッチにしたら」
「どっちも食べたい」
「ダイエット中やなかったん」
「痩せんでもエエねん」
「じぁー注文しょっかな〜ぁ」
楽しい会話が続き話は弾む

その自信に満ちた笑顔は美しかった
身を任せ安心し切った顔は明るい笑みに満ちていた
なにがその女性(ひと)をうごかすのだろう
それは献身的な愛なのだろうか
私にはとうてい真似をできぬ何かがあった

何と言ってやれば良いのだろう
気休めの慰めは言えぬ
宗教心に希薄な者は
言う言葉を持ち合わさない
「やあ元気かい!」と言えぬ自分が腹立たしい
だがやはりその顔は美しかった
時よ止まれ
今が永遠の時刻(とき)ならば
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05/08/10(水):再々山の”森林植物園”
蓬莱遍路さま

今日(8/6土)は視覚障害者をボランティア・ガイド(手引き)して、
再々山の”森林植物園”へ行ってきました。
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05/07/30:新神戸オーパ金魚鉢。
蓬莱遍路さま

今日(7/28)木は視覚障害者をボランティア・ガイド(手引き)して、
新神戸オーパ金魚鉢へ行ってきました。
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05/07/10(日):パソコン講習会。
蓬莱遍路さま

今日(7/22金)は視覚障害者のためのパソコン講習会へ行ってきました。午前中は初級コース、午後は中級コースを見学させてもらいました。見学者の中にIT関連企業の若い人(男)が居ました。その話によりますと、なんでも関西は障害者向けのインターネット関連事業が関東に比べて立ち遅れているのだそうです。それでソフトの開発の研究のために見学させてもらっていますと話していました。

今日のパソコン講習会の感想を述べますと、講師の先生のお話がとても分かり易くて良く分かりました。特に目の不自由な方へ教えることが「如何に難しいものか」ということも、初体験でしたが、理解できたと思います。初級講座での先生のお話は、やさしく、親切で、とても分かり易く感心いたしました。私はこのところ福祉関係の勉強をしてきたものですから、講師がかなり尊大な感じでしたんで、なお一層その優しさを感じました次第です。教室には「こくばん」が無かったんです。当然といえば当然なんですが、このところ、よく勉強をしに、教室に行ってきたもんですから、スゴ〜ク、不思議な感じでした。「盲人にPCを教える事」とは、どんなものかを考えて見て下さい。目が見えないから「画面がどうなっているか」が分からないんでよ!

もう、7年前になると思いますが、兵庫区ボランティアセンターの要望で盲人協会の会報の点字印刷の手伝いに行ったことがあります。その時はプレス機のようなもので点字の型をボール紙にプレスして、点字の凹凸をつける仕事でした。手を挟まれそうで、危険な仕事でした。それで、PCで出来れば簡単だからと、色々と探してみましたが、IBM社が「ソフト」と「機械」を開発中ということ以外分りませんでした。それが、どうです、今や”PCトーカー”なるソフトがPC画面を読み上げてくるれんです! そりゃあ、目明きに比べれば時間はかかりますよ。でも、PCの操作は出来るようになるんですね〜。

ただ、機械の値段が高いのが難点のようでした。ノートPCに例のソフトを入れてるんが数台しかなかったんです。中山財団がスポンサーになっているようでした。初級、中級、応用とあって、これからやっていくらしいです。写真を見てもらいますと、そこには大勢写っていますが生徒は5人なんです。あとは教室へ連れてきた人達と、盲人にはそれぞれサポーターという人達が横についていました。マラソンの伴走者と同じですね。それで大勢写っています。左端で頭を抱えている人が講師の先生で、全盲の人でした。
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05/07/08(金):六甲山のオルゴール博物館へ行って来ました。蓬莱遍路さま

今日(7/8)は視覚障害者をボランティア・ガイド(手引き)して、六甲山頂のオルゴール博物館”ホール・オブ・ホールズ六甲”へ行ってきました。六甲高山植物園の西隣にありました。メンバー9人とガイド・ボランティア8人でしたが、メンバーのお一人が小学生の男の子を連れて (に連れられて)来ていました。

地下鉄三ノ宮駅に集合して、JR六甲道駅から市バスで六甲ケーブル駅まで行き、ケーブルカーで山頂の”六甲ケーブル山上駅”へ、そこから六甲山巡回バスのオルゴール博物館前で下車でした。お天気は梅雨の晴れ間の”曇天”の曇り空で、山頂で、”おにぎり”を頬張りながら、「今日はガスってて下界が見えません」と説明しました。食後、山上バスでオルゴール館へ移動介助しました。けっこう、観光客や登山客が多く、満員状態でしたが、楽しい一日を過ごせたと思います。
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05/06/24(金):視覚障害者ガイドで県民小劇場へ行ってきました。蓬莱遍路さま

今日(6/24)は視覚障害者をボランティア・ガイド(手引き)して、兵庫県庁の西隣ビルの地下の”県民小劇場”へ行ってきました。

12時20分〜13時の演奏だったと思います。
演奏曲目:1)海を越える握手:ジョン・フィリップ・スーザ、2)カルト寺院賛歌:アルトサックスソロ付、3)おもちゃのマーチ、4)雨にぬれても:映画「明日に向かって撃て」主題曲、5)ノーモアクライ:沖縄出身「D-51」曲、6)懐かしの歌謡曲メドレー:「365歩のマーチ」他7曲。

県庁横の県民小劇場での、県警音楽隊の演奏を聴いたんですが、この劇場は 500〜600人規模の、細長いんでね。ハーバーランドに有る神戸新聞社ビル4Fの700人規模の”松方ホール”に似ていると話しました。なんだか、ペットの音が”われて”ネ、私には良い音色には聞こえなかった。でも、障害者の方はジット聴いている様子で、後で感想を聞いてみると、良かったと言っていたよ。

視覚障害者11人、ガイド役のボランティア11人とコーディネーターは兼務で合計22人でした。NPOの主催で、私はボランティアとして2度目の参加でした。

帰りに県警本部ビル南のビルのレストランで昼食をとりました。4人がけのテーブルでした。
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05/06/20(月): やっぱしすごい!

写真拝見。それぞれがいい顔して写っていますね。やっぱし、何かをしたという充実感が、笑顔に表れるのでしょう。それに比べると私など遊んでばかりです。

18日から泊りがけで、福島の矢祭町という所に行ってきました。絶対合併をしないと宣言した町で、全国的に有名になりました。通常、鮎の解禁は7月1日ですが、ここは山林が80%の町。そこで町興しのために、6月1日が解禁日なのです。でわということで、美味い地酒と若鮎となったのです。広島行きですが、大阪の友達に不都合が出来たため、大阪に寄らず、島根のほうに行きます。残念ですが会えそうもありません。でも、この機会だけではありませんので、別の日ということにしたいと思います。実は、もう一度四国お遍路をしたいと考えているのです。その折にでもか、神戸から福島へ来るとかです。

雪で壊れた丸太小屋の改修は順調に進んでいます。

でわ、また。

       どたばたしている遍路より

05/06/18(土):視覚障害者のボランティア・ガイドヘルパーでした。
蓬莱遍路さま

これは追伸です。前メールを、もう少し詳しく話しますと、

まず、神戸市営地下鉄”三宮駅”にAM10時に集合して、阪急電車の”三の宮駅”へと移動です。私の担当の方に「どちら側が宜しいですか?」と尋ねると「右を持たせて下さい」とのことでした。”白杖”を右手で持っているから、左手で私の右腕を持たれるわけです。駅での切符の購入ですが、まず障害者マークの有る券売機を探します。無ければ駅員さんに障害者手帳を示して購入します。2人で一人分の運賃ですが2枚とします。自動改札のゲートには次々と2枚を通します。出る時に2枚ともをとり忘れないようにね。阪急”三の宮駅”にはエレベーターが有って、乗って向きを変えずに降りるとホームへ出られました。ああ楽珍、ラッキー!
ところが、阪急”西宮北口駅”での今津線への乗換えでは、エスカレーターは有るは、折れ曲がった階段は在るはで、ほとほと疲れる始末です。と申しますのは、エスカレーターへの昇降は”一、二、の三”でお互いの足なみを揃えて乗らないと落ちそうになって危険なのです。階段では”踊り場”が意外と危ない、まだ段が在ると思って、余所見をして踏み外しそうになった経験は誰でも有ると思うんですが。その声かけのタイミングが難しいんです。帰りは二人の息が合って、とても上手くいきました。阪神国道駅で下車後は、国道2号線(山陽道)の広い綺麗な歩道を200mほど歩いて、アサヒビール西宮工場に到着しました。歩道の左側がずっと工場の生垣となっていました。かなりな大きさの工場だなと思っていたら、現地での説明で、甲子園野球場の4倍の広さが有ることが分かりました。

工場内では最初の長いエスカレーターの他は、床はフラットで大変に歩き安くガイドは楽でした。1時間ほどの説明でしたが、工場は定期点検中とのことで、ビール製造の機械は止まっていました。「見学ルートでは写真撮影はご遠慮下さい」と言われましたが、その後、待望のビールの試飲の時間となり、レストラン風の食堂に案内され、そこからは撮影できましたんですよ。私は一口だけ味わってみましたら、さすがに蔵出しビールは「味が違うな〜ぁ」と感じました。ビールの賞味期限は90日だそうです。私は知りませんでしたが、ご存知でしたか?
幾ら飲んでも良いとの話でしたが、時間が限られており、そうはゆきません。次は、お土産コーナーの売店へ移動です。私のお相手は「缶ビール」タイプの貯金箱を購入、私は「ビヤ樽風入れ物」(工場限定品)に入ったクラッカーを購入し、同じガイド仲間の友人への土産としました。帰りに、係の案内嬢さんが私のデジカメのシャッターをきってくれましたので、ゲストハウスの前での記念撮影が出来ました。

お昼を少し回っていましたが、近くのレストランへ、片側3車線と中央分離帯緑地の国道を横断して移動です。ここは、やはり東西の車両の通行を優先しているのでしょう、長い信号待ちをしました。神戸が東西に細長い街であるため、市内を通過する車両が多いからかなと話をしました。レストランでは”わいわいがyがや”と楽しく食事を出来ました。最初のメニューの読み上げと説明が大変で、せっかく注文しても品切れ続出で、ちょっと難儀しました。料理がくるまでの待ち時間に腕時計式の”音声時計”を聞かせてもらいました。「午後1時25分です」と言ってました。便利になったもんですね〜ぇ、いちいち時計の針を触らなくても良いんですよ。 食事中に色々と話が出来ましたので、帰りは二人の息がピッタリと合って、とても上手くガイドすることが出来ました。

PM3時30分頃、 神戸市営地下鉄”三宮駅”に到着、解散となりました。最後に、お出迎えの障害者のお母さんの”ありがとうございました”に全ての疲れがとれました。”ありがとう”は私が言うセリフです。喜んでいただいて、私の方が癒された良い日と相成りました。
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05/06/17(金):視覚障害者のボランティア・ガイドヘルパーです。
・日本もマダマダ捨てたもんじゃない!
蓬莱遍路さま

今日(6/17)は視覚障害者をエスコートして西宮のアサヒビール工場へ行って来ました。視覚障害者12人、ガイド役のボランティア8人とコーディネーターで合計21人でした。アイライト協会の主催で、私はボランティアとして初参加しましたんですよ。視覚障害のガイドヘルパーの仕事も初体験で、とっても気疲れをして、帰ってくると、ついウトウトしてしまいました。目の不自由な人を連れていますと、道が如何に凸凹したり、アップ・ダウンしていることか驚くほどでした。チョット言うのが遅れると、ツマヅクわけですからね。

でも、努力のかいあってか、写真を見て下さいまし、
なんと、イイ笑顔じゃないですか!
皆さん喜んで下さったものと、了解しました。

その上、帰りの阪急電車では、パソコンを熱心に打っていた若者(男)が席を立ってくれましたんですよ。それで、障害者さんを座席に座らせることが出来ました。
日本もマダマダ捨てたもんじゃないですね!
日本の将来に、一安心です。

なお、電車賃は2人で1人分となっていました。
電鉄会社も粋な計らいをしてくれるもんですね。

色んなことを体験できた一日となりました。
おおきに〜ぃ、で御座います。
私の方が、なんだか癒された感じです。

それでは、来週の金曜日も視覚障害者のガイドヘルパーに行ってきます。
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・ガイドヘルパー  (Certified、April 2005)
・ホームヘルパー  (Certified、January 2005)
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