豊岡災害ボランティア
兵庫県豊岡市円山川沿いの地区

神戸ティームの皆さん

「泥かき」作業ボランティア 2004/10/31(日)
10/31(日)豊岡へ行ってきました。「泥かき」のボランティアで、帰った翌日からは腰は痛いし、腕が上がらなくなってしまいました。

道路から3mも上にクッキリと床上浸水の証拠が家屋の白壁に残っていました。お気の毒としか言えない惨状でした。ですから、車も自販機も水没で、ダメと成っていました。お金が役に立たないので、昼食の弁当と飲み物は持参して行きましたんですよ。川にはオイルフェンスが張って有りました。

写真を見て下さると分ると思いますが、町の道路と側溝の泥を袋詰めして、円山川の堤防の道路端まで運んで行く仕事をしましたんです。上の2枚の写真は昼食休憩終了直後のスナップです。上の右側の写真にはゴム手袋をつけながら作業現場へ戻る姿が写っていますでしょう。向うの開けている所は円山川です。片付いている所は午前中に済んだ所です。この道路は山の方へ向って、突き当たると右へ曲がっていますので、午後からは奥側とさらに右側へと片付けてゆきました。私達が着いた時には、地元の高校生が「泥かき」の仕事をしていました。高校生は奥の方にいたので、私達は手前の方から作業に取り掛かったんです。午後しばらくして「自治労神戸」の腕章をした人達が加わってきました。で〜ぇ、100人位がこの狭い道路に一杯になったのです。側溝が意外と手間取ったんですが、3時頃に道が綺麗になったんで終了と成りました。

別の所に移動と言ってたら、雨が降り出したので、借りていたスコップや運搬車などの道具を綺麗に洗って片付けて、この地区のボ・センターへ30分ほど歩いて返して、自分達の身体についた泥を落として、バスで中央ボ・センターのテント村兼バス駐車場へと帰りました。そこで15分もらって、泥だらけの衣類を持参してきた着替えと着替えまして、帰途につきました。作業中は汗だらけの泥んこの暑い一日でした。

移動時間に結構疲れました。神戸から大型観光バスで3時間、着いたら待つこと30分、さらにバスで15分、徒歩15分でようやく被災地に入りましたんですが、荷物と道具が重かった。私達は着替えと弁当の入った重い荷物を持ち歩く事になってしまいました。昼食もバス内で食べると良いと思ったのは帰りのことで、後の祭りです。川沿いの道路沿いに並んで、アスファルトにそのまま尻餅をついての昼食となりました。車は良く通るし、雨もよいでしたので、ホコリが立たんだけマシでした。神戸からは被災直後から毎日バスが出ていたそうですが、現地の事情が毎日変るので、現地では混乱している部分もあったようです。私達が着いた時、既に5台のバスが来ていました。その後、3台のバスが次々と到着して来ました。帰りには15台(?)のバスが次々と帰途に着きました。京都ナンバー(やさか観光)も有りましたが、ほとんど阪神地域からじゃないかと感じました。私達の神姫バスも大阪ナンバーでした。現地の人達が私達のバスに向って手を振って見送ってくれていました。

神戸からの参加は80人ほどいましたが、「豊岡」と「出石」と2台のバスに分かれました。私は午前6時に家を出て、帰宅したのは午後8時30分でした。私達の男は、シニア5人、中年1人、若者4人くらいで、後は女性でした。女性は中年4〜5人で、ほとんどが若い女の子でした。学生風の娘さんを連れたお母さんもおられました。この娘さんは、キット、阪神大震災の時には8才〜13才位だったんでしょうね! 皆さん、黙々と良く働いていましたよ。それから、バスに添乗しておられたボ・コーディネーターの方は、ご自分も作業しながら、それはよく気を使って下さっていました事を申しそえておきます。

午後1時間位した時に、シニアのお1人の顔色がとても悪くなっている事に気づいたので、ご本人に休憩しましょうと言って一緒にしばらく手を止めました。倒れはしませんでしたが、その後ずっと血色が悪いままでした。他にも2,3人の女の子が青い顔をしていましたが、全員、無事に帰れました。

先程(04/11/5:pm8:55)のTVニュースで、11/1の神戸市の人口が152万500人になったと伝えていました。震災前の人口から10万人以上も減少していたそうですが、これで200人増加して、過去最高となったとか。しかし、東灘区や灘区の増加が多くて、長田区はまだ80%の回復に留まっているそうです。

円山川の堤防は8.6mも有って、それが溢れて決壊したんだから。そして「出石川」も「舞鶴の由良川」の堤防も決壊したんだから。いかに大雨が降ったかが分りますよね。台風が10本も上陸するなんて、そのうえ新潟では未だ震度5クラスの余震が続いている。ほんと今年は自然災害が多い年ですね〜ぇ!

実はですね、右上の写真の左側の材木の上に荷物を置いているのが分りますよね。この家は材木屋さんだったんです。ココの年老いた会長さんに泣かれましてね。材木を運ぶ重機や特殊車両やトラックや車が水没してダメになってしまったんだそうです。中小企業のようだったから、リースの車輌ではなかったんでしょうね。大損害ですよね。たから、お話を聞かされても、ただ、うんうんと頷いているほか言葉も無かったんですよ。

と、まあ、こんな風に頑張ってきました。私達のバスは「ひょうごボランタリープラザ」が手配してくれていました。  2004/11/10
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