切手で綴る 大航海の物語 日本編の参考資料として |
日本丸 1930〜1984 |
日本郵便 NIPPON | ||||
帆走する日本丸 商戦教育 110年 記念 昭和61年 1986/7/26 発行
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帆船の日本丸は、旧運輸省航海訓練所(現在は国土交通省所管の独立行政法人・航海訓練所)の航海練習船として、昭和5年(1930)に進水し、約半世紀にわたり活躍した帆船です。昭和59年(1984)に引退し、航海練習船としての役割を日本丸2世号に引き継ぎ、横浜マリタイム・ミュージアムで記念帆船として一般公開されています。 ・船型 4本マスト バーク型帆船 ・総トン数 2278トン ・全長 97m ・全幅 13m ・メインマスト高 46m(水面からの高さ) ・吃水 5.3m(平均) ・総帆数 29枚 ・定員計 138名 ・ディーゼル機関による走航可能: 出力1500ps(馬力)x2基で航海速力13.2ノット(最大14.3kt)後続距離9800M(約1万5800km) 昭和2年(1927)3月、鹿児島商船水産学校の練習船「霧島丸」が千葉県銚子沖にて暴風雨のため沈没、乗組員および生徒の合計53名が全員死亡するという惨事が発生しました。この事故が契機となり、昭和3年(1928)大型練習帆船2隻の建造が決定されました。 イギリス・スコットランドのラメージ・エンド・ファーガッソン社が設計し、神戸の川崎造船所で建造されました。第1船は「日本丸」で昭和5年(1930)1月27日に進水しました。同年3月31日には儀装を終え、文部省に引き渡されました。この年にはミクロネシアのボナペ島へ初の遠洋航海を行っています。その後、太平洋を中心に訓練航海に従事していましたが、太平洋戦争が激化した昭和18年(1943)に帆装が取り外され、大阪湾、瀬戸内海などの輸送任務に従事しました。戦後は海外在留邦人の復員船として25,428人の引揚者を輸送しました。その後、帆装の再取り付けがなされ、昭和28年(1953)春にはハワイに向け、戦後初の遠洋航海を行いました。 昭和59年(1984)9月16日の退役まで、約183万kmを航海し、約11,500人の実習生を育てました。その後、海洋練習船としての役割は後継の日本丸2世に引き継がれました。 こちらで ・海王丸 (帆船) ・日本丸 (帆船日本丸のセイルドリル写真) 世界遺産の ・ヌビア遺跡 (エジプト) ・ピラミッド (エジプト) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・姫路城 (日本) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2018/7/8追記 |