★チ リ |
パルド・ヴィラロン船長 1916、エレファント島 遭難したエンデュランス号シャックルトン探検隊を救出 |
大航海物語★ |
ヴィラロン船長とイェルチョ号 | ヴィラロン船長と南極の地図 | ||
パルド ・ヴィラロン船長 |
←サウスジョージア諸島 ←エレファント島 ←南極半島 ←南極大陸 |
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1916 シャックルトン救出50年記念 1966 チリ領南極地域 1967/1/23 発行 |
CHILE | |
イェルチョ号 |
遭難者を発見 |
1916 エンデュランス号シャックルトン探検隊救助75年記念 1991 チリ 1991 発行 |
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CHILE ウェッデル海で遭難した エンデュランス号 オーストラリア南極地域 1979 発行 |
チリの首都サンチャゴ生れのパルド・ヴィラロン船長は17才でチリ海軍パイロット学校に入隊し、卒業後に28才で蒸気船タグボートのイェルチョ号の船長になりました。1916年34才の時に起こったシャックルトンのエンデュランス号南極探検隊の遭難に際しては、その救助を命じられ、厳冬期の南極海での困難な救出任務を成功させ、一躍チリ海軍の英雄になりました。 |
ルイス・アルベルト・パルド・ヴィラロン船長 (1882/9/20〜1935/2/21) Cptain Luis Alberto Pardo Villalon パルド・ヴィラロン船長はチリの首都サンチャゴ(Santiago, Chile)で生まれ、1900/7月に17才でチリ海軍パイロット(水先案内人)学校(Chilean Naval Pilot's School )に入学しました。そして1906/6月に23才で3等パイロット(Pilot 3rd Class)に任官しました。1910/9月には28才で2等パイロット(Pilot 2nd class)に昇進して、チリ南部のマゼラン海軍基地(Magallanes Naval Base)で、36.5mの石炭蒸気船タグボート(Tugboat)イェルチョ号(steam tug S.S.Yelcho)の船長を命じられました。 シャックルトンの南極探検(Imperial Trans-Antarctic Expedition 1914-17)で、不運にもエンデュランス号(Endurance)が1915/1月にウェッデル海で氷に閉ざされ、9ヵ月後の1915/10/27に氷に押しつぶされて沈没しました。シャックルトンと27人の乗組員は救命ボート(lifeboats)、ソリ(sledge)、そして徒歩(foot)で、南極半島の北の端の南アメリカに向かい合っているサウス・シェットランド諸島のエレファント島(Elephant Island)へたどり着きました。1916/4/24にシャックルトンは5人の仲間と約1290km(800-mile)離れたサウスジョージア島へ救援を求めに、ジェームス・ケアード号(James Caird)と名付けた約7mの救命ボート(open-boat)で、22人の乗組員をエレファント島に残して出帆しました。約1300km東のサウスジョージア島西端のキング・ハーコン湾(King Haakon Bay)岸に5/15に到達し、さらに36時間歩いてサウスジョージア島に着いたシャックルトンは、1916/5/19にチリ政府に救援を依頼しました。
エレファント島の最高地のパルド・リッジ(Pardo Ridge、隆起地、852m)はパルド・ヴィラロン船長にちなんで名付けられ、イェルチョ岬(Cape YelchoYelcho)はイェルチョ号に因んで名づけられました。イェルチョ号の船首(バウ、Bow)がビーグル水道(Beagle Channel)に面したチリ領のナバリノ島の南緯55度にある世界最南端集落の人口:約2000人の港町プエルト・ウィリアムズ(Puerto Williams)に展示してあります。 ・イェルチョ号とエンデュランス号の諸元:〜
参考HP:〜 ・シャックルトン探検隊の探検地図 ・ジェームス・ケアード号の航海地図 ・エンデュランス号の写真 ・ジェームス・ケアード号の写真 ・南極周辺の島の地図(日本語) ・エレファント島の地図(Pardo Ridge) ・マゼラン海峡付近の詳細地図(Punta Arenas、Puerto Williams、他) ・チリの地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2010/2/5 |