大航海物語 大航海と古代ギリシャ世界
世界の七不思議
Seven Wonders of the Ancient World

参考資料
世界の七不思議の場所地図
 ギリシャ エーゲ海   トルコ

オリンピアのゼウス像→

エフェソスのアルテミス神殿→
ハリカルナッソスのマウソロス霊廟→

ロードス島の巨像→


アレクサンドリアの大灯台→

ギザの大ピラミッド→




←バビロンの空中庭園
コンゴ人民共和国 1978/8/12 発行
ギザの大ピラミッド(Great Pyramid of Giza):
エジプトのギザに建設された、ギザの三大ピラミッド(ギザの大ピラミッド、クフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッド)。建造された時代はエジプト古王国時代(第3-第6王朝)。世界の七不思議で唯一現存する建造物である。このピラミッドの内、エジプト第4王朝のファラオ・クフ王の墳墓は紀元前2540年頃に20年以上かけて建築されたと考えられている。完成時の高さ146.6m。
アルテミス神殿(Temple of Artemis):
アルテミス神殿は紀元前550年ごろにアケメネス朝ペルシア統治下のエフェソス(現在のトルコ)に完成したアルテミスを奉った神殿で、リディアのクロイソス王によって始められ、120年に及ぶ大事業でした。この遺跡がトルコ共和国のエフェソスにあるアルテミス神殿遺跡で、残骸を積み上げ柱がいくらか復元されているが、原形をとどめてはいない。エフェソスのアルテミス神殿を発見したのは、イギリス人技師ジョン・ウッド率いる大英博物館の考古学探検隊で、1863年から7年にわたりエフェソスの発掘を続け、1869年12月についに深さ4m半の泥の中から神殿跡を発見した。この神殿はギリシア世界の東の境界近くにありました。
バビロンの空中庭園(Hanging Gardens of Babylon):
セミラミスの架空庭園(懸垂庭園)とも呼ばれる「バビロンの宮中庭園」は屋上庭園ともいわれ、名前からは重力に逆らって空中に浮かぶ庭園が連想されますが、本当は高台に造られた庭園ことでした。現在のバグダード郊外にそれらしき遺跡が残るっており、紀元前600年頃に新バビロニアの王”ネブカドネザル2世”がメディア出身で砂漠の国に輿入れするのを嫌がった”王妃アミュティス”を慰めるためにバビロンに建造しました。宮殿の中に作った高さ25m、5段の階段状になっているテラスに土を盛り、水を上まで汲み上げて下に流し、樹木や花などを植えました。とても大きかったので遠くから見ると、あたかも空中に吊り下げられているように見えたといわれています。一番上の面積が60uと推定されており、紀元前538年のペルシアによる侵略の時に破壊されました。
オリンピアのゼウス像(Statue of Zeus at Olympia):
紀元前435年に古代の高名な彫刻家ペイディアスによって建造された天空神ゼウスをかたどった彫像。紀元前5世紀頃、オリンピアにゼウス神殿が建造され、ゼウス像はこの神殿の奥に収められ、その全幅は神殿の通路の幅とほぼ同じでした。座像でありながら全長は約12m(約40fts)もありました。紀元前1世紀頃の地理学者ストラボンは「もし、ゼウス像が立ち上がったら、屋根を突き抜けてしまうだろう」と記述。本体は杉で作られ、表面を象牙で覆っていました。表面の乾燥を防ぐために、常にオリーブ油を塗布。座席は金、象牙、黒檀、宝石で飾られて、右手には勝利の女神ニケの彫像を持ち、左手には鷲が止まった錫杖を持っていました。建造から800年後の394年にゼウス像はオリンピアからビザンツ帝国の首都コンスタンティノポリスに移され、その後の消息は不明、おそらく焼失したのだろうと考えられています。
マウソロス霊廟(Mausoleum of Halicarnassus):
マウソロスとその妻アルテミシアの遺体を安置するために造られた霊廟で、ギリシア人建築家のピティオスとサティロスによって設計され、スコパス、レオカル、ブリアクシス、チモフェイという4人の高名な彫刻家によってフリーズ(彫刻帯)。その壮麗さから、世界の七不思議のひとつに選ばれました。この霊廟はマウソロスの死後に妃アルテミシアが夫のために建造したといわれていますが、実際にはマウソロスの生存中に建造が開始されたと考えられ、マウソロスの死から3年後にアルテミシアの死から1年後にあたる紀元前350年に完成。マウソロスは紀元前377年から紀元前353年にかけて小アジア西部のカリア国を統治したアケメネス朝ペルシアの州知事(サトラップ)で、カリア国はペルシア帝国の一州でしたが、首都から離れていたため実質的には独立国でした。マウソロスの霊廟はハリカルナッソスの中心地に何世紀もの間建っていて、紀元前334年にアレクサンドロス大王によって町が陥落した時も、紀元前60年前後に海賊の襲撃を受けた時も、被害を受けずに残り、1600年もの間、廃墟となった町を見下ろすように建っていましたが、度重なる地震によって柱は崩れ、屋根に乗っていた馬車の像は地面に落ちてしまいました。
ロードス島の巨像(Colossus of Rhodes):
紀元前3世紀頃にリンドスのカレスによってロードス島に建造された太陽神ヘリオスをかたどった巨大な彫像。長は34m、台座まで含めると約50mになり、現代のニューヨークの自由の女神像に匹敵する大きさでした。巨像が完成したのは着工から12年後の紀元前284年で、58年後の紀元前226年にロードスで地震が発生、巨像は膝から折れて倒壊。プトレマイオス3世は再建のための資金提供を申し出ましたが、ロードスの住民は神に似せた彫像を作ったことが、神の怒りに触れたのだろうと考え、再建を拒否。巨像は800年間にわたってそのまま放置され、その間に残骸を見物するために多くの人が訪れ、大プリニウスの記述に拠れば巨像の脱落した親指に腕を回せるものはわずかしかおらず、また指だけでもほとんどの彫像より大きかったといったとか。654年にムアーウィヤの軍がロードスを征服し、テオファネスの記述に拠れば「その時に巨像の残骸はエデッサの商人に売却された」と述べています。商人は彫像を破壊して青銅のスクラップにし、900頭のラクダの背に積んで持ち去ったのでした。
アレクサンドリアの大灯台(Lighthouse of Alexandria)
紀元前3世紀頃にエジプトのアレクサンドリア湾岸のファロス島に建造された灯台。ファロス島はアレクサンドリア港の一方の端に人工の埋め立てにより出来上がった半島の突端にあった小さな島で、14世紀の2度の地震によって全壊。七不思議の中ではギザの大ピラミッドに次ぐ長命な建造物でした。灯台の全高は約134m(約440fts)。建造当時は地球上で最も高い人工物の一つでした。建材には大理石が用いられていました。796年の地震で大灯台は半壊し、その後の1303年と1323年の地震で完全に崩壊。14世紀のモロッコの旅行家イブン・バットゥータは、その著書で「崩壊のために中に入ることもできなかった」と記していましす。1480年頃、跡地に灯台の残骸を利用してカーイト・ベイの要塞が建造され、大灯台は完全に消滅しました。
世界の七不思議
 Seven Wonders of the Ancient World

世界の七不思議は古代ギリシャ・古代ローマ時代に於ける7つの注目すべき建造物として、紀元前2世紀にビザンチウムのフィロンの書いた「世界の七つの景観」の中で選ばれた「古代の地中海地方に存在していた7つの巨大建造物」といわれています。

ビザンチウムのフィロン(Philo of Byzantium、紀元前260〜紀元前180)は古代ギリシアの数学者で旅行家でした。紀元前225年ごろに「世界の七不思議」を提案。古代の「世界の七不思議」の一つである「アレクサンドリアの大灯台」が、まだ健造されていなかったので、フィロンは、その代わりに「バビロンの城壁」を入れていました。紀元前5世紀にギリシアの歴史家ヘロドトスが、7つの驚異的な建造物を「世界の七不思議」と名付けたのが、七不思議の最初といわれています。

参考HP:〜
 ・エーゲ海の地図
 ・地中海の地図

・上記々述はこちらの文献などを参照させてもらいました。     09/12/25
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