イギリス植民地諸国の地図切手 |
英領マレーの地図切手 |
ペルリス ケダー ペナン ペラク セランゴール ネグリセンビラン マラッカ |
MALAYA |
タイ国 ケランタン トレンガヌ パハン ジョホール |
マレーは7世紀には仏教国シュリービジャの支配下にありましたが、13世紀にはジャワ島のヒンドゥ教国マジャバヒトの支配へと変りました。15世紀になるとスマトラ島の王族バラメシュバラがマラッカ王国を建国し、今日のマレーの基礎となるサルタン制を取り入れイスラム化してゆき、東西交易の中心地マラッカを支配して繁栄を極めました。1511年のポルトガルによるマラッカ攻略により、マラッカはポルトガルによって貿易とキリスト教布教の基地となりました。1641年オランダが進出してきて、マラッカ王国は崩壊し、サルタンによる小王国になりました。18世紀になるとイギリスがインドから進出を始め、1786年マラッカと海峡の北出口にあるペナン島を抑え、1795年マラッカを占領。1819年マラッカ・ペナンにシンガポールを加えて海峡植民地となり、1867年直轄植民地となりました。1909年北部タイ領の4サルタン王国を併合、英領マレーとなりました。 1941/12/8の大日本帝国のマレー上陸から、1945/8/15の帝国の敗戦・無条件降伏までの間、マレーは全土にわたり帝国に占領されました。戦後の英領マレーは1948年マレー人の独立運動激化でペナン・マラッカと半島の9つの州からなるマレー連邦自治政府が発足。1957年に英連邦の一員として独立。1963年にはシンガポールとボルネオのサバ・サラワクを合せて14州がマレーシア連邦を結成しましたが、1965年に中国人系の多いシンガポールが分離独立しましたので、13州となり、サルタンの互選(9つの州)による国家元首制の立憲君主国として、今日にいたっています。 マレーシア(Mlaysia)は面積329749kuで日本の約80%、人口15、204、000人(1984)、ゴム、スズ等の天然資源に恵まれています。首都はクアラ・ルンプール。 |
英領北ボルネオの地図切手 |
東南アジア地図に 北ボルネオを表示 |
英エリザベス2世と 東南アジア地図に北ボルネオを表示 |
英ジョウジ6世と北ボルネオ地図 | 英エリザベス2世と北ボルネオ地図 |
北ボルネオは19世紀後半ブルネイのサルタンからイギリスへ割譲され、1888年英保護領となり、1963年からマレーシアの一つの州(サバ)となりました。人口約98万人、州都はコタ・キナバル、標高4100mのキナバル山有り。
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英領 サラワク の地図切手 |
北 緯 4° 2° |
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東経 110°112°114° |
1841年イギリス人のサー・ジェームス・ブルーク卿が海賊鎮定の功績でブルネイのサルタンから与えられ、自ら王国を建設しました。1881年にはイギリスの保護国となり、1963年にマレーシアへ編入され、サラワク州となりました。 サラワクはボルネオ北岸に有、面積121449ku・人口132万人(1980)・年間降水量4000mm・首府クチン、主産業は「ミリ」の石油と木材、国土の75%が密林。 サラワク発行の蝶一番切手をお楽しみください。 |